詩集彷徨そして孤独と憂愁

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          小礼手与志




    悲哀は宇宙の重みをささえている




     駅前の広場で
     鳩を捕まえようと
     よちよち歩きで追いかけていた
     あの幼な児は
     鳥になっただろうか






暗がりの路地を激しく行き来する犬がいる
わたしに会うと忙しそうなそぶりをする
わたしを無視するように、聞こえない音に耳をそば立ててみたり
乾いた地面に鼻をこすりつけてみたり
わたしは思わず笑いがこみ上げてくる
わたしにはわかっている
おまえがこの狭い地域を縄張りに
昼は見知らぬ軒先で惰眠をむさぼり
夜は多少のドブ臭さを我慢しながらも
生き生きと走りまわっているのを
そして、密かに狙っているのだ
毛のふさふさとした気まぐれなメス犬を
おまえは賢い、実にずる賢い
おまえは知っている、本能的に
忙しそうな素振りをしながら、己をごまかす術を
知らず知らずのうちに恥辱に耐えうる術を
だれもおまえには目もくれない
だが、わたしはおまえに価値を与えよう
もう時期、保健所行きだから
そして、スキあらば盗め
肉屋の店先から肉片を
見知らぬ軒先からは毛のふさふさとしたメス犬を

暗がりの路地を激しく行き来する犬がいる
都会に捨てられた
所在無く振舞う地下道の浮浪者にも似て
わたしを見る目はいつも笑っている







九月の出発は遅すぎたのだろうか
それにしても夏の終わりは見事だった
一夜にして気圏は雲を変え、風を変え
肉体に生まれた数々の言葉をさらっていった
変わる季節は従順な人々を許し
変わるまいとする人々を打ちのめす
九月の出発は遅すぎたのだろうか
久しぶりに尋ねた部屋に友はいない
わたしが無用の言葉を書き連ねているあいだに
わたしが現実の悪夢にさいなまれているあいだに
友は課せられた新しい生へと旅立っていった
二度とあの小さな窓から夜の街を眺めることはない
わたしが夢のような過去を懐かしんでいたあいだに
わたしが過去の幻影に脅かされていたあいだに
この恥辱の街と決別した
もう歩き疲れたこの町には用はない
わたしはわたしの窮状を救ってもらおうとしたのだが
ひそかに、だが、心に中ではかすかに
友への不信が、猜疑が、そして
意趣返しの機会を狙っていたのでは
わたしが性急な思想に夢見ていたあいだに
わたしが思想の優位さを信じていたあいだに
友は見知らぬ町に消えた
明日からはわたし自身に話しかけるだけ
見知らぬ町に消えた友の沈黙は
思い上がったわたしへの見事な復讐
課せられた生に忠実な友の沈黙は
最後のとき生の勝利を呼ぶのでは
歩き疲れたこの町の夜景は九月の空のように果てしない






雑踏から逃れきたわたしの目に映るのは
ただ茫々としたいつもの風景
耳元を通り過ぎる微風に
思わず髪の毛が逆立つ
無数の人々の声を後にして、肩の力もゆるみ
ビルの屋上の手すりにもたれる
こんな場所にしか安息がないとは
だがくぼんだ胸から吐き出された溜息も
茫々たる風景の中に音もなく吸い込まれていく
いま遠くに目をやり
屋上の手すりに目をやるわたしの胸に
ひとつの存在、ひとつの形象が沸き起こる
暖かく包み込み、遠い昔に見た太陽にような
はるか北の地で、いまだ慈しみを忘れず
ずっと衰えぬ思いを抱き続けているあなた
だがあなたのその思いも、その慈しみも
いまの急迫したわたしの心にはとどまることはできない
今ひとつの存在がむなしく北の地に消える
ひとつの悲しい形象が眼下の雑踏に消えていく
急迫の思いでビルの屋上にたどりついたように
あなたの慈しみに報いきれない涙が流れる






地に沈み行く夕日よ
命無くした落ち葉よ
わたしの心は今満ちている
あの午前の耐え切れない空虚も埋められ
あの真昼の深みによるめまいも消え
わたしのときは終わりを前にして満たされている

怠惰という汚名を与えられ
明日と肉体を犠牲にした
不眠の夜の
あのおびただしい時間の浪費と
沈黙は
いまのわたしのこれだけの幸福のためにあったのだろうか
雨の降り続く墓地の思想を必要とした
あの暗い部屋の孤独と
思索は
いまのわたしの顔を金色に輝かせるためにあったのだろうか
夕日にも落ち葉にも見向きもしない
わたしの背後のにぎやかな笑いの人々よ
わたしは知っている
血のつながりから生まれるその笑いを
宿命の因習から生まれるその笑いを

夕日よ落ち葉よ
わたしの心はいま満ちている
背後の人々よ
わたしを引き止めないでほしい
午前の空虚も、真昼の深みも
わたしには合わない
背後の人々よ
もうわたしには声をかけないでほしい







微風におびえる髪の毛に
唇のかすかな艶光に
ただ優しいというだけの声の響きに
夢見たわたしが悪かったとしても

荒々しい言葉を投げつける君の唇からの
最後の言葉
君の退屈な誘惑に乗らなかったわたしへの
復習の言葉がよくなかった
「わたしが美しいのは、あなたの頭の中でのみ。」

乾くことが知らなかった唇はあれ
抱きとめるはずであった腕はなえた
さようならわたしに夢を見させてくれた女たちよ
薄明かりの君の柔肌には手は届かない







父たちは死んだ
母たちは死んだ
いつ?わたしの前?後?
わからない?
マクロな時間の流れに
ゆだねられたひとつの肉体。それは
意味ありげな時間への加担者
季節は無表情に通り過ぎるだけ
不可解なつながり
ゆだねられたひとつの肉体
意味ありげな空間の共犯者
なんにも残さず形は消えた
純粋なつながり






理由も言わずに家を出たとき
父は寝込んだ。わたしは憎む
わたしにも流れている弱さの遺伝
わたしが倒れるか
父が倒れるか、二つに一つ





一日の喜びと希望が、すべて
憂愁となりふりそそぐ夜
まぶたは美しい像を写さない
孤室の闇に向かって
狂人のような目を開く
俺はどこにあるのか
意識の重み
目覚めてあるあることの苦痛
百姓の父の眠りのよう
ロを開けて耐え眠らねば





硬いアスファルトをはずれ
土の道に足を踏み入れたので
わたしは自分がわからなくなってしまった
そして、緑の雑草や石ころを目にすると
想わず空を見上げてしまう
空はくもひとつなく青いのだが
わたしにはなぜか苦しい
悲しむ方法もわからなくなってしまったわたしは
このままさ迷い歩いても良いし
この場にうづくまっても良いのだ







     偶然にも
友と喧嘩別れをした
わたしを拒むのをいったい何か
疲労した足をひきづりながら
歩き始めてから気がついた
足の痛みを
だがもう戻ることはできない

偶然にも
悩みを抱え込んだ電車は動かなかった
軽はずみな憤りも、嘆きも
灯りの消えたホームには似合わなかった
ただ激しくみぞおちがうづき出した

夜半の町はわたしを途方にくれさせた
と同時に世界も途方にくれた






極寒の冬の夜。
さ迷い歩いてやっと探し当てた客のいない静かな食堂に入り、
出された一杯の熱いお茶をすするとき、
神が現れる。冷酷な相貌をして。
ときおり皮肉な笑みを浮かべながら。







夜の街角の女たちの別れが
わたしの怒りと憎しみを鎮める
それは彼女たちが美しいからではなく
彼女たちの過ぎ去った一日を思うから
それは初夏に秋の風を感じたからではなく
新たな悲しみと嘆きがわたしを包むから
それはマンホールのふたとビルの隙間と
歩道橋と女たちの別れが
夜の光と共にわたしの記憶に残り
わたしの思い出の中に長く生きつづけ
そしてわたしの死と共に消えてしまうから





歩み続ける人々の背後に
町に日は暮れて
路上に靴音が響き
スカートからこぼれる脚

スーパーマーケットから吐き出された
バケツいっぱいの魚のくず
魚の地に染められた歩道
腐りかけた魚の頭をくわえ
野良猫が路地を逃げていく





海には無限の波動がある
わたしにも無限の波動があるに違いない
わたしは海に沈んだ

青はわたしの脳髄を透き通らせた
その瞬間わたしは死に、海に溶け込んだ

そして永遠が過ぎた
だが重力はわたしを浮かびあがらせた

漂いながら、波の間からのぞいた
塵埃に煙る海辺の町は
おぞましい排泄物だった






ぼくが不幸であるというのなら
ぼくが寂しい人間であるというのなら
いったい不幸や寂しさはどこから来るのか
たとえが、もうないと思っていた空き箱から
一本のタバコを見つけたときの喜びに
それとも吐息のように舞い上がる
広場の噴水を見つめるときに
それとも夕暮れ間じか、遠く聞こえる
ブランコのきしむ音に耳を傾けるときに
ぼくの不幸や寂しさがあるとでもいうのだろうが

ぼくが不幸であるというのなら
ぼくが寂しい人間であるというのなら
いったい不幸や寂しさはどこから来るのか
喜びを分かち合う肉親がいないから
肩を寄せ合うともがいないから
いや、血を分け合ったものたちの不在も
肩を寄せ合うものたちの不在も
本当の不幸や寂しさを生まない
それならばいったいどこから

ひそんでいる
ぼくらの背後にひそんでいる
都市の生理に解体されたぼくらの頭脳の背後に
そして待っている
濁流のような生に身をゆだね
卑屈な喜びを分かち合い
徒党の正義のみを信じ
卑賤な酒を酌み交わすとき
その赤い傷ロを空けてぼくたちを待っている






あてもなく街をさまよい
ふと気がついたら
遠く街を眺望できる場所にいたったとき
時間がゆるやかに流れると感じるのは、わたしの錯覚だろうか
いま、街の雑踏の中で見いだせない
幼子とその母が、真夏の陸橋を渡る
硬いコンクリートの階段は幼い意志をはじき
足取りはおぼつかなく、こらえると 折れ曲がりそうな一歩一歩

そして急がなくとも
遅れへの恐れのない一歩一歩
その母はやさしくかばいながら、ときには手をとり
不服そうでもなく、不安そうでもなく
物憂げなまなざしを幼な児に投げかける
またときにはそのうちへ内へと向けるまなざしを
夏の青い虚空へと投げかける
ああ、時はゆるやか、光はまばゆく、途切れることはない
わたしが賑やかな人々の目の中に見た時間は、錯覚だったのだろうか
わたしの周りだけに流れているように思えた、幼子のような時間
おぼつかない足取りのような時間は、いつもおびえている
物憂げなまなざしの母よ
おぼつかない足取りの幼な児よ
いつも見すてられがちな母子よ
だがもう少しだ、さあ歩め
ビルの白い壁に吸い込まれずに残った
あなたたちの夏の強い日差しによる影と
街の喧騒に吸い込まれずに残った
あなたたちの涼風が待っている






ぼくが頭の中で女とつぶやくと
いつも、可愛い女のしたいや
気まぐれな女のしぐさや
美しく着飾った女の姿が頭の中に浮かんでくる
しかも実際に良くできたもので
どんな受信装置をもっているのか知らないが
女たちは可愛ぶったり
気ままに振舞ったり
美しく着飾ったりしてぼくの前に現れる
するとぼくは、ぼくの心に責任を感じて
可愛がったり、うっとりしたり
許したり、惑わされたり、そしてときにはなぶったり
浮かれているうちにどんな憂鬱なやつが忍び込むのも忘れ
みんながやっていることを一生懸命まねしてみる
だが、れもつかの間
可愛がったり、うっとりしているスキに
あの例の得体の知れない化け物が割り込んでくる
そしてぼくの心をばらばらにする
女たちがどんな受信装置を持っているのか知らないが
世の中の陰鬱な約束事や決まりごとを
いとも巧みに体の心までしみこませ
訳のわからないしくみやからくりにぼくを誘い込む
おそらく人類を退屈にさせないための
神様の陥穽であろうが でも落ち込んだら最後
あの例の憂鬱な化け物の餌食となる
そこで訳のわからない仕組みやからくりに退屈したり
この陥穽に陥りまいすれば
例外なく不幸となる












病めるものたちの屍は、精神病院の裏庭に
無造作に捨てられ、うずたかく積み上げられ
死体管理人の焼却の順番を待っている

見えすぎる目を持った詩人哲学者は
その刑罰に、密室の壁に狂い
見えすぎる目をもった不幸を書き続ける

媚びることしかできなかった芸術家たちは
過去の伝統の亡霊に脅かされながらも
現代という特権の中でうぬぼれ続ける

詭弁と駄弁を誇る知者たちは
知でさえも人間を欺くという現実の中で
詭弁と駄弁を誇る痴者となる

森を追われた牧羊神パンは
場違いなビルの屋上に眠り
無邪気な子供たちに追いかけられる

星はその定められた軌道を変えることなく
重力は創世以来休むことなく人々を引き続け
夜はたしかな比率で狂人を作っていく

ただひとり冥界の老朔太郎だけは
桜のつぼみのはじける音を聞きながら
許されて、女のスカートに手をかける






ただ闇と静寂だけ
外界と弧絶した部屋の
酷寒の深夜
冷え切ったわたしの悔恨は眠ろうとしない
星の輝きを見失った
灰色の瞳の
花の香りを忘れた石のような頭の
酷寒の深夜
わたしは悔恨に病んだいる
 少女は胸に宝石を秘めて現れた
 少女はわたしにだけその宝石を見せてくれた
 だが心無いわたしのしぐさがそれを曇らせた
 取り戻す術はない
 ひびの入った花瓶は永久にもとに戻らないように
酷寒の深夜
わたしは悔恨に病んだいる
 わたしの使命は?
 わたしに残された唯一の行為は?
 人々の幸福の手助けをすること
 あの禿頭の強欲を許さぬこと
 と、、、、だが、、、、
 禿頭の前でわたしは一言もいえなかった
 なぜ、、、、
酷寒の深夜
わたしは悔恨に病んでいる
 たわむれの、厚化粧の女とのロづけ
 忘れていた、ロづけにまだ意味があったわたしの青春






僕は愛せない、父や母や兄弟たちを
友を恋人を隣人たちを、僕は愛せない

僕の肌が人間を嫌う
僕の内臓が人間を嫌う
僕は狂人になってしまったのだろうか
孤独な生活を僕を狼にしてしまったのだろうか
一時たりとも僕の前に人間がいることが許されない
一時たりとも肉親のように肌を寄せ合うことを許さない
父のような愛
母のような愛
恋する人への愛
かけがいのない愛に生きる人々
つつましい愛に生きる人々
やさしく思いやりのある人々
でも僕の嫌いな人々の言葉を真似する限り
狼の肌を持つ僕の嫌悪の標的となる

なれるのなら何でもかまわない
凶悪な犯罪者でも
家庭をかえりみない父親でも
夕陽を恐れる精神病者でも
歩行者に呼びかけるアジテーターでも
欲望のままに生きられる商人でも
蟻塚をきづこうとする政治家でも
因習に取りすがる坊主でも
節操のない芸術家でも
善良でやさしい父親でも
ひとつの肩書きが与えられ
何者かになれるものは幸せであろう

僕は見出せない
父や母や兄弟たちへの愛を
友や恋人や隣人たちへの愛を
僕は見出せない

ぼくはロが利けないもののように黙っていたい
ぼくは盲人のように何も見たくない
ぼくは耳が聞こえないもののように何も聞きたくない
ぼくはただ白痴のように何も思いたくない






少女のまなざしの中に
僕は愛を見た
僕のまなざしの中に
少女は愛を見た
と互いに信じ
愛を誓い合ったが
どうやら錯覚だったらしく
いつしか僕たちは罵りあうようになった
少女は涙を見せずに去ったが
僕もこんな純愛に傷つく小鳥じゃなかった
だがこれは思い出
すべては過去だ、追憶だ

それにしてもどうしたのだろう今日のこの寂しさは

友人たちのまなざしの中に
簿は嫉妬と功名心を見た
僕のなにげない行為の中に
友人たちは怠惰と驕慢を見た
と互いに勘違いをし
憎悪を燃やしあったが
もともと違いなどなかったのだ
青春の過誤は誰にもあるらしく
いつしか僕たちは癒されぬ傷ロをつくった
友人たちはなんら疑問を抱かずに去ったが
僕には涙の悔悟がなかったわけじゃない
だがこれも思い出
すべては過去だ、追憶だ

それにしてもどうしたものだろう今日のこの寂しさは

僕たちに残されたのは生きた世界だった
僕はその生きた世界にのみ
人間の生と死があるという預言者の言葉を信じて
世界に参加した
最も信じられる世界に
だがそこには卑屈な掟があった
頭を上げて世界を見てはいけないと
人間はパン以外のことを考えてはいけないと
だが僕の昼間の仕事場からは
春の田園が見えた
秋のぶどう園が見えた
白鳥の舞い下りる沼地が見えた
そしてなんといっても沈み焼く夕日が見えた
また
そこにはいまだ衰えぬ因習があった
手を上げて世界に抗議してはいけないと
人間は人間を超えようとしてはいけないと
だが僕の夜の仕事場からは
息絶え絶えの美が見えた
見向きもされない情熱が見えた
忘れ去られた生と死が見えた
そしてなんと言っても神の悪戯が見えた
世界の僕に仕掛けた攻撃
僕の世界に仕返した反撃
という妄想は僕を引き裂いた
だがすべては預言どおり
すべては過去だ、追憶だ

それにしてもどうしたものだろう今日のこの寂しさは

すべては過去だ、追憶だ
と言い切ることの素晴らしさ、美しさ
すべては許される
許すのは僕か
それとも君か
ああ友よ
たとえどんなに辛くとも
使い慣らされた流行の言葉で
君と僕の関係を語るまいとした
暗黙の約束
そして僕と君がひそかに抱いた
暗黙の決意
たとえ肉体は拘束されても魂は拘束されない
僕らに価値を与えてくれるものは誰もいない
おのれ自らに価値を与えなければならないと
だがどうしたものだろう
今日、君は
君や君たちの言葉や
盟約に僕を引き込もうとする
挙句の果てに僕に強要する
君と僕のあまりにも弱すぎた約束
僕と君のあまりにも無防備だった心
今日、君と僕に残された約束はない
ああやっと判ったようだ
今日のこの寂しさが
君の責任でもない、僕の責任でもない
時という二重人格の保証人に解体された
君と僕の暗黙の約束と決意
すべてはこれが原因なのだ












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