携帯電話




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          はだい悠






 穏やかな田園風景ばかり見て育ってきた友幸は、仕事を求めて町に住むようになった。 
   アパートの窓の外が急に暗くなり雨が降り始めた。
 友幸は何もする気がなくなり横になることにした。そして、昨日駅前でもらったチラシをポケットから出してみた。
 カラーで印刷されたその上には、インターネットとか、ADSLとかという文字と共に、さまざまな料金を示す数字がたくさん書いてあった。友幸はこのチラシが何を訴えたいのかよくわからなかった。でも、インターネットの事だなということはなんとなく判った。そして思った、俺もそろそろインターネットやらなければな、このままじゃ時代に取り残されちゃうからな、と。
 友幸はチラシに書かれたフリーダイヤルの電話番号を目にすると、さっそく携帯電話に手を伸ばした。

 もう次の電話が待っている。希美は数秒でもいいから目を閉じて休みたかった。朝からのひっきりなしの応対で、こめかみから額にかけてのしびれるよう違和感に耐え難いものを感じていたからだった。もしこのまま続けたら訳もなく大声で叫んでしまうんではないかと思うほどに。
 この仕事をはじめたころ希美は、仕事に対する知識不足や顧客への言葉遣いに神経を使うあまり、勤務時間が終わるころには、しばらくのあいだは、何も出来ないんではないかと思えるほどに、いつも精も根も尽き果てた感じだった。でも、仕事に慣れさえすればそんなことはなくなると思っていた。
だが、仕事に慣れてきても、午後になると決まって出てくるその痺れ感から開放されることはなかった。それは仕事のあと、少し休息すれば取れる場合と、なかなかとれない場合があった。そしてその原因は主に、長時間仕事に集中しているためにその緊張感から来るものではあったが、どうやらそれだけではなさそうだった。
 顧客と電話で応対しているとき、希美は、まれに居るいやらしい話を仕掛けて来る者に対しては、マニュアルがあるため何とか対応できるので、
それほど苦にはならなかったが、突然言葉遣いが荒々しくなったり、怒り出したりする者には、こたえた。そのとき希美は、これはあくまでも仕事ということで、なんでもないかのように冷静に応えているつもりだが、心の奥底にはずっともやもやとしたものを感じていた。
そのもやもやが希美を痺れ感からなかなか開放させない原因であったが、希美にとっとは無意識的だった。だが希美は、どんなに自分が誠意をこめて応対しても、相手から辛らつな言葉が返ってくるとき、その冷たさや敵意に、寂しさや悲しさを感じ、自分がどうしようもなく落ち込んでいくのをはっきりと感じ取ることはできた。
 希美は休息しないで電話を受けた。
「、、、、」
「お待たせしました。お電話ありがとうございます。担当の笹森と申します。よろしくお願いします。」
「はっ、はい。」
「ただいま弊社のブロードバンドサービスをご利用いただきますと、工事費および契約後三ヶ月間は使用料無料になっております。それでは次にその料金体系について説明させていただきます。まず、、、、」
「あのう、、、、もし、もす、これはインターネットをやるんじゃないですか。」
「はい、そうですが、なにか。」
「何かって言われても、何を言っているのかよくわからんのですよ。俺はただインターネットをやりたいだけで、でも今の話を聞いていると、ブローでバンドがどうしたこうしたのって、インターネットのこと何も言わないじゅない。」
「あのう、たいへん申し訳ないんですが、お客様はどのようなご用件で電話をなさっているんでしょうか。」
それを聞いて友幸は少し腹を立てた。
「何を言っているんですか、インターネットですよ、インターネットをやるために電話をしているんですよ。」
「それはそうなんですが、お客様はどのようなもの、いわゆる広告とか雑誌ですが、ご覧になってこちらを電話をなっているんでしょうか、」
「チラシだよ、チラシ、駅前で配っている。」
「どこの駅でしょうか。」
「どこの駅って、あ、青森。」
「そこで配られたチラシを見ているわけですね。ではそのチラシにはブロードバンドとかADSLとかという文字書いておられるでしょうか。」
「あるよ、でも何のことかよく判らんのですよ。俺はただインターネットをやりたいだけなんすよ。」
「と言いますと、お客様はまだどのような形でもインターネットをなさっていないということですね。これから初めてやるということですね」
「そうだよ。だから今電話しているんじない。」
「判りました。では後でもう一度電話を差し上げますので、よろしかったらお客様の電話番号をお聞かせください。」
友幸は自分の携帯の番号を言って、電話を切った。だがなんか自分が馬鹿にされたようで、後味がものすごく悪かった。ほんとに電話をかけてくるのかなあ、と疑った。
 友幸は待った。でも電話は来なかった。不快な気分からだんだんいらいらした気分に変わっていった。三十分待った。それでもこなかった。やっぱり来るわけないよな、全然話がかみ合わなかったからな、と思った。一時間待っても来なかった。いらいらした気分からだんだん腹ただしい気分に変わっていった。こんな田舎の一人ぐらいの客を逃したってどうってことないんだろうな。ロではお客さまなどと言ってるけど、ほんとはへとも思ってないんだろうな、思った。
 友幸は、雨音がしなくなり窓の外が明るくなっているのに気づいた。腹が減っているので買出しに行くことにした。

 買い物をした後、人影もまばらな通りをのんびりと歩いて、友幸はアパートに帰ってきた。そして玄関のドアを開けた。するとどこからともなく電話のベルの音が聞こえてきた。あっ、自分の携帯の音だ、部屋に忘れていったのだと思った。まさか、と友幸は思った。まさか、さっきの電話じゃないだろうな、だってあれから二時間もたっているからな、と思いながら友幸は部屋に入り、テーブルの上の携帯を手に取った。友幸は、折り返し電話のことすっかり忘れていたのだった。

 これで今日は最後かなと思っていた電話が思ったより早めに終わり、少し余裕ができた。疲労と緊張でピークに達していたその痺れ感をとろうとして、額に手を当て目を閉じようとしたとき、希美は折り返し電話のことを思い出した。そして気力を振り絞るようにして電話をかけた。

「はぁい、もす、もす。」
「こちら先ほど電話をいただきました笹森と申します。それでご用件をもう少し詳しくお聞かせいただけないでしょう。
「くわすくも、くわすくないも、俺はたんだ今はやりのインターネットと言うものをやりたいの。それでどうすればいいのかなと思ってさ、電話したのさ。」
「はい、そうですか。では、そのためにはまず、弊社のようなプロバイダーと言うものに加入していただきまして、それからどのような料金のサービスを、」
「あのですね、そういう話はもういいの、聞いててもあんまりよく判らないからさ。されよりもズバリ聞きたいのさ、いったい一ヶ月いぐらぐらいかかるのさ。」
「はい、そうですね、、、、色々ありますが。」
「いづばんやすいのは、いぐらなの。」
「千弐百円からということになりますでしょうか。」
「へえ、たったの千二百円あればインターネットってできるのが、そんなに安くでぎるんだ。へえ、そうが、、、、あっ、なに、いま、わらったろう、なにおがすんだ、俺のしゃべりがだってそんなにおがすが。」
「いえ、笑ってなんかいません。わたし、なんか急に力が抜けたようになって、そのとき変な声が出たんです。」
「そうがな、俺には笑ったようにしか聞こえながったけどな。そんな笑いかたされると、なんかバカにされたようにかんずんだよな。」
「本当に笑ってないですよ。信じてください。なぜか全身から力が抜けたようになっちゃったんです」
「わがんねえな。なんで力なんかいれで仕事やってんの。そんな肉体労働じゃないだろう。お客と電話で話して、それで給料もらってんだがら、らぐなんじゃないの。」
「楽だなんて、とんでもないですよ。お客さんに失礼がないようにって、言葉遣いに気を使っていつも緊張してやっているんですよ。見た目より大変なんですよ。」
「そうがな、俺から見ると、そういう言葉遣い、最初に電話受けたときのような言葉遣い、こっつの言うことを聞かずにかってにしゃべり続けることが、よっぽど失礼だと思うよ。なんがよそよそしくて、うんと冷たい感じがするもんな。じづはさ、俺、さっき話したとき、ものすごくいらいらしたんだよ。でも、もう今はしない。なんかこっちの話が判ってもらえたような気がしてきて、うんだいたいお金のことはわがった。これからじっくり検討してみる。今日はよかった。ありがとう。あっ、そうだ、虹、見たんだ。虹、わがる。」
「虹って、雨上がりに空にかかるやつでしょう。判ります。」
「うん、すっげえよかった。何年ぶりだろう。最近あんまり空に興味ながったがら。あれ、なんだよ、俺も自分のことばかり言ってさ、わりぃ、わりぃ。とにがく今日はどうもね。ちょっといらいらして、きづい事も言ったけど、ごめんな。じゃあ、さいなら。」
「さよなら。」
 友幸は自分の気持ちが五月の青空のようにすっかりと晴れ渡っているのを感じながら、ゆっくりと携帯電話のスイッチを切った。

 電話が切れた。インカムをはずした。 希美は椅子から立ち上がると、固定されたビルの四角い窓につ近づき、空に目をやった。まだ青さを残す遅い午後の晴れた空が目に入ってきた。本当は窓に近づいたときになんとなく判っていたのではあるが、どうしても空を見ざるを得なかった。そして自然とこみ上げてくる笑みを浮かべながら独り言のようにつぶやいた。「虹が見えるのは、はるか遠く離れた北の地じゃない、ここから見えるわけないのにねえ。」と。












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