散文詩忘れられた精霊の森




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          小礼手与志







  夏も終わりに

 窓を締め切ったアパートの一室に、何もしないでこのまま死を待つことと、働き、生活をし、そして老いて死んで行くこととは、それほど違いがないと思いこんでいた男が、ベッドに横たわっていた。
 何もしなくなってから二日目。男は軽く空腹を覚えたので、テーブルの上に残されていた最後の一個のりんごに手をのばし、力なく噛み付いた。すると前歯の先に何かうごめくのを感じた。見るとそれはりんごに寄生していた何かの幼虫であった。節のある白い胴体と茶褐色の頭をもった小動物があわただしくうごめくのを見ていると、男にはその幼虫が不意を付かれたためか、心なし狼狽しているようにも見えた。
 男はりんごを食べることをやめ、テーブルに戻した。そして日の光がさんさんと降り注ぐ初夏の果樹園で、美しいアゲハチョウが風に舞うにうに飛び交いながら、ときどきまだ青い果実に卵を産み付ける光景を思い浮かべながら、ふたたびベッドに横たわった。
 それから三週間後男は眠るように死んだ。と同時に、腐りかけたりんごを食べながら成長しつづけた一匹の幼虫は、静かに静かに成虫に変身した。その羽根をひと揺れふた揺れすると、部屋のよどんだ空気が乱れ、かすかに風が起こり死んだ男の髪の毛を揺らした。舞い上がった鱗紛は、カーテンの隙間から忍び込む夜の町の光を反射して虹色に輝いた。しばらくしてその成虫は飛ぶことを覚えた。だが、飛んでは壁に突き当たり、また飛んでは壁へ天井へ、そして壁へと次々と突き当たった。結局、その成虫にとって、狭く薄暗いアパートの一室だけが、自分を取り巻く世界のすべてと感じるようになった。そしてその成虫は飛ぶことをあきらめ、テーブルの上のナイフのえいに留まったまま、身動きもせずじっと時間がすぎるのを待った。

 やがてその時がやってきた。その成虫は腐りかけた男の肉体の隅々に卵を生みつづけたあと、男のように静かに死んだ。
そして、さらに時が過ぎ、卵は幼虫に成長した。幼虫たちはその男の肉体を自分たちの親のように慕い、その肉体の形に群がりうごめき、腐った男の肉体を養分として成長した。
 やがて、男の肉体を貪欲に食い尽くした幼虫たちは数万の成虫に変身した。だが、数万の成虫が飛び交うには部屋はあまりにも狭すぎた。だから、ただそのときをじっと待つしかなかった。

 それから数日後、久しぶりでたずねた死んだ男の友人が、部屋のドアを開けると、カーテンの隙間から差し込む夜の町の光を受けて、ベッドに横たわっている男の姿が目に入ってきた。だが、つぎの瞬間、目を覆うばかりの蛾の群れが、その友人が立っているドアをめがけて飛んできた。すべての蛾が夜空に飛び去ったあと、その友人は気を取り直して、もう一度ベッドを見ると、先程まであった男の死体はもうそこにはなかった。




 たとえ、宇宙をさ迷った星の破片が炎の石となって、天井を突き破り、眠っている私の頭蓋骨を打ち砕こうとも、それはそれで良いのです。
 黒雲の中から突然放たれた雷光が、わたしになんの不安も恐怖も与えずに、わたしの脳天を貫こうともそれはそれで嘆くことはないのです。むしろそんな偶然喜ぶべきでしょう。
 地球の夜の部分に忽然と現れた反物質が、誰も知ることなく地球に衝突し、一瞬のうちに地球が消滅しても、それはそれでもかまわないのです。目覚めていた恋人たちは、もはや引き離されることなくひとつの光となって歓喜の中で滅びることを知るだけです。月は恋人を失ったように嘆きさ迷うでしょうが。でも、所詮月は冷たい石ころだらけの物体です。ただ太陽系の惑星たちの軌道が多少変わるくらい、それに銀河の星たちも多少位置関係を変えるくらい。そして数万光年離れた地球に似た星の人々は、数万年後、夜空に巨大な花火を見て喜ぶでしょう。





噂によると、彼女の評価は人によってまちまちであった。
あるものは、女神のごときその優しさと美しさを褒め称え、
また、あるものは、女王のごときその威厳と公正さを褒め称えた。
しかし、あるものは、その独裁者のごとき容赦のなさと厳格さを嫌った。そして、
あるものは。天女のごときその歌と踊りのうまさを褒め称え、
また、あるものは、聖母のごときその寛大さと分け隔てなさを褒め称え、また、
あるものは、賢女のごときその高潔さと才知を褒め称えた。
そして、わたしが出会ったとき、彼女は黒い金属製の光沢を持つ一枚の布を身につけていた。胸のあたりはその豊かな乳房に逆らうことのないようにゆったりと巻かれていて、腰はやや締め付け気味にひと巻きだけ短いスカートのように巻かれていた。限りなく裸身に近いことにまるで無頓着のようであった。
不思議そうな顔してみているわたしに彼女は言った。
「もし、あなたが、宇宙の果ての写真を取ってきたら、あなたはわたしのすべてを知ることができるでしょう。」
 その声は穏やかで屈託がなく、その開放的な微笑には、優美さとこだわりのなさが溢れていた。




        ある老女のひとりごと

 昨夜の猛吹雪がまるで嘘のようです。今日はなんて穏やかで暖かいんでしょう。そういえばいつのことだったかはっきりしないけど、こんな日和があったことを思い出します。そう、わたしが胸の病気で入院し、一ヶ月後に退院した日のことです。そうでした。あの厳しい人がわたしを背負ったのです。先祖や近所のことばかり気になるようで、いつも家族につらくあたっていたあの人が、表通りから家までの百メートルほどの雪道を、わたしを背負って歩いたのです。入院中も、仕事のことばかりしか話ししなくて、わたしに一言もやさしい言葉を書けてくれなかったあの人が、苦しそうにふうふう言いながらも結婚以来一度も見せたことがないような笑みを浮かべて。そのときまで、わたしはあの人がこんなことをしてくれる人だなんて夢にも思いませんでした。わたしはそれまでのかたくなな気持が和らいで行くような気がして、幸福感でいっぱいになりました。そして、明日からはきっと生活が変わるような気がしたのを思い出しますよ。




思い出そうとして思い出すのではなく、語ろうとして語るのではなく、
変わりなく過ぎ行く日々の暮らしの中で、ふと脳裏を掠める思い出が語られるとき、
なぜか悲しい。

    祝いごとの後片付けをしながら

「小さいころ、おばあさんから聞いた話し。おばあさんが小さかったころ、一家で険しい山道を歩いていたとき、脚の悪かったおばあさんのおばあさんが足を滑らせてしまって、声もあげずにずるずると深い谷に落ちて行ったそうです。滑ったとき助けようとして手を伸ばしたそうですが間に合わず、そのまま谷ぞこ深くに見えなくなっていったそうです。はじめはみんな泣いていましたが、なにせ先を急いでいたので、父親の言うとおりに、ふたたび歩き出したそうです。だから、そのおばあさんがその後どうなったかは判らなかったそうです。

     新築のため解体中の家を見ながら

「あの柱に突き刺さっている楔、五十年前この家を建てたとき、夕方、若い大工さんが『明日もうすこしちゃんと調整しないと。』と言って打ち込んでいたんだよ。でもつぎの日、召集されて戦争に行って死んだので、今日までずっとあそこに突き刺さったままだったんだよ。」





 わたしは午前の耐え切れない空虚を見つめることができる。
 朝の重苦しい目覚めとともに、近所の家からは一日の仕事に出かけるものたちの玄関のざわつき、ドアを閉める音、道路に踏み出した靴の音が聞こえ、そしてしばらくすると、遊び始めた子供たちの叫び声や、自転車のきしむ音が聞こえてくる。
 わたしはいつも寝床の中でそれらの音を聞きながら、前夜の夢やわたしを洪水のように襲った熱狂や興奮を、脳裏に沸き立つ饒舌のように思えるが、ありふれた朝の現実の前では、それらはすべて気まぐれで、まったく取りとめもない空想に思えるのである。
 朝は、わたしの心を占めるものはなにもないのだ。
 ようやく近所の家々が、朝の用事を済ませて静かになるころ。わたしは空っぽの植物のような頭をもたげて、わたしの朝の用事を済ますのである。
 それから、耐え切れないほどの朝の空虚がやってくるのである。そのようなときわたしにやれることと言えば一本の煙草に火をつけて口にくわえることぐらいである。だがわたしの空虚な退屈した意識にとって、それはあまりにも意識されしすぎた行為、息苦しいほど計算され尽くした行為として写るのである。煙草だけとは限らない、手足の動きや視線の位置まで、退屈したわたしの意識が私の行為を始終監視しているのである。
 わたしはわたしの心を満たすものを、何か出来事を待たねばならない。そのあいだわたしは怠惰と言えるほど私自身を時間の床に横たえていなければならない。そうして、私は午前の空虚な耐えているのである。
 わたしは周囲には原生動物のような人間がいる。常の外界の制約のみによって左右され、反射的に行動し、外界からの刺激のみを頼りに、かつそれを生きがいにし、内から沸き起こる情熱を信頼しない人間である。わたしは彼らを見るとうんざりする。だが、それはただ不断に人間を襲う退屈や空虚感に絶えられないということであって、ある意味ではもっとも人間的なことでもあるのだ。わたしとて程度に差はあれ似たようなものだから悪くもいえまい。それは現代においては他に生きようがないほど制約されていると言う事を意味していることでもあるのだ。
しかし、わたしは密かに思っている。退屈に耐えられなく退屈の意義を知らないものは真に人間的熱狂も陶酔も知ることはできないだろうと。ぎりぎりの限界と極限で、ただあるのは生物体としての固体、そして自分の頭に中にはなにもないと知る瞬間が人間が真にもとめているものは何か、なにを必要としているのかがおのずとわかる瞬間にちがいないと。
 これがわたしの怠惰の正当化である。なんとも苦しげな正当化ではあるが。

その日もわたしは、わたしの空虚な心を満たすべくアパートの一室をでた。でるとすぐ一日に十数回しか通らない私鉄線の線路がある。そこは線路沿いに立ち並ぶ両側の家々を区別するように、小高い土手になっている。わたしはそこに座り、秋の日の風にふるえる枯草を見つめていた。日差しは柔らかく、遠くからブランコのきしむ音や国道を失踪する車の轟音がかすかに聞こえるだけだった。
 わたしはじょじょに空虚な気持が満たされて行くように感じていた。
 しばらくじっとしていると、賑やかな笑い声を含んだ女性たちの笑い声が耳に入ってきた。見ると、まだ二十歳前後と思われるが少女のようなあどけなさを残した女性が二人、線路沿いの家々を訪問しては、何かを配布しながらわたしののほうにやってくる。わたしはその場を離れて部屋に帰りたい衝動にかられた。
 少女たちの服装は派手だった。赤いブレザーに青いスカート。それにひきかえわたしは、わたしの部屋の乱雑を暗示するかのようにだらしなくみすぼらしい服装、ぼさぼさの頭。わたしは少女たちの華やかさ明るさ、そしてその屈託のなさに圧倒されたのである。わたしは気後れしたのである。(わたしはいつもこうなのだが)だが、わたしの衝動も一瞬だった。そしてわたしは思った。なに、たかが小娘、小娘たちの華やいだ魅力にしり込みするほど純情な大人ではない、このままここにいてやれ、と。
 少女たちが配布しているのは某デパートの広告パンフレットだった。少女たちはパンフレットを手渡すとき、おそらくマニアル通りに違いない商売用のよそよそしい言葉を言った。だが、わたしにはピンとこなかった。賑やかな街角や、現代装飾美のデパート内なら似合うだろうが、こんな殺風景なところではよそよそしい言葉以上のなにものでもなかったからだ。
 パンフレットを手渡されたとき、わたしはかすかに動揺を覚えた。わたしはそれを隠そうとしてわざとだらしない格好をしてそれを受け取った。(大人らしい余裕を示したつもりである)
配布する家はここで終わっていた。だが、道路は線路にそってまだ続いていた。少女たちはこの道をまだ行けるかどうかわたしにたずねてきた。とっさにわたしののどから出た言葉こうだった。
「だいじょうぶ行けるよ。」
わたしは自分がどんな抑揚で言ったのか、冷たくそっけなかったのか、やさしそうだったのか、自分でもよく判らなかった。わたしは知っていた。その道は五十メートルほど行くと行き止まりになって、またもと来た道を引き返さなければならないことを。
 つまりわたしは嘘をついたのだ。おそらくわたしは少女たちに復讐したかったに違いない。というのも、わたしがパンフレットを受け取るとき、まともに彼女たちの顔を見ることができなかったのはたしかなのだから、その華やかな雰囲気でわたしに動揺を与え、少しばかり惨めな気持にさせたという理由で。それとも冗談の一つや二つぐらいは言えるぞという、成熟した男らしいところを示したかったからか。だが、冗談にはならなかった。少女たちはわたしの言うことを信じてそのまま行ってしまった。
 わたしはその場から逃げるようにして自分の部屋に戻った。自分に似合わないことはやるもんじゃないと激しく後悔しながら。そして、彼女たちがどうなったか見ようと思って窓に近づいた。
 やがて少女たちがなにごともなかったかのように陽気に笑いながら窓の下の道を帰って行った。笑いは少女たちの少女らしい話題から生まれたものらしく、わたしから受けた屈辱の後は微塵もなかった。意外だった。
 わたしのとっさの嘘はまったく愚劣なことだった。子供のころに良く見た、あの土木作業員の通りかがりの女性に呼びかける、「姉ちゃん、、、、、、、」に類した下賎な行為だったに違いないなかった。
 わたしの退屈凌ぎの愚劣な行為が、少女たちの心にどんな変化を与えたのだろうか。それとも少女たちの周囲に始終まとわりついてはなれない、数限りないからかい、侮辱、虚偽、嫌がらせの中の単なるひとつに過ぎなく、ありふれた出来事として軽く受け流せる性質のものだったのだろうか。
 少女たちの姿は完全にわたしの視界から消えた。
 わたしはなんて愚かなことをしてしまったんだろう。少女たちは自分たちの心を自分たちで守らなければならない。反撃するすべを持たなければ、心無い愚劣な野卑な人間たちの言動にさらされつづける限り、少女たちは知らず知らずのうちに、自分たちの周囲に壁をめぐらして、自分たちの心を守って行かなければならないに違いない。知らず知らずのうちに起こる心の変化というものはきっと残酷なものに違いない。









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