第八悲歌



   

          小礼手与志





          第八悲歌

いま、わたしは目にしている
古い上着の内ポケットから出てきた一枚の小さな紙切れを
それにはこう書いてある

     だから
     ぼくはなぜ生きるんだろう
     などと言って
     自分を困らせないようにしよう

     だから
     ぼくはなぜ生まれたんだろう
     などと言って
     父や母を困らせないようにしよう

二十年前、手帳の一ページにこれをかきとめたとき、わたしは、確か、長い間わたしをずつと苦しめていた、煩悶と焦燥に満ちた青春の暗い迷路を、どうにか抜け出して、穏やかな春の日のような未来への希望の光を感じ取っていた。だから、それはまぎれもなく、わたし自身の生きることへのほのかな自信の表明でもあり、人々と共に生きることへのゆるぎない決意の表明でもあった。
そこで、わたしはなんのためらいもなく、人々であふれる町に入っていった。そして、その後、わたしは歌うように自分の思いを述べることをやめてしまった。

あれから二十年の歳月が流れた
過ぎ去った日々を思い起こそうとするとき、わたしはなぜか、いままで見ることを無意識のうちに避けてきたものを見るかのような、不安を覚えずに入られない
そして、いま頭に浮かんでくることは、たとえそれが何年も前の出来事であっても、昨日のことのように思えたり、なかには、いま瞬きをする前の出来事のように思えたりして、幻のように漠然として取りとめがない。
まるで、わたしという者が、この世界に、なんの痕跡も残してこなかったかのようだ。しかし、鏡に映るわたしの顔には、この二十年という月日がくっきりと刻まれている。
過去はあたかも、時計の針が刻む、自然時間のくびきから逃れているかのように、わたしの頭のなかに思い浮かぶことは、入れ違い抜け落ち重なり合い、曖昧のヴェールにおおわれる。
そして、思い出の混乱は、わたしを、記憶喪失患者のような苦悩に落とし入れる。
果たして、いまのわたしのこのような姿は、あの日、希望の光のなかに見出した未来のわたしの姿そのものと言えるだろうか。
もしかしたら、わたしは、いやわたしだけでなく、わたしと人々との関係も、二十年前となんにも変わっていないのではないだろうか。
それどころか、いや、実はそうなのだが、本当は、わたしは薄々気づいていたのだ。あたかも知らず知らずのごとくに、わたしは新たな迷路に入り込んでいたのに、そして、そこから抜け出そうとして、ふたたび煩悶と焦燥の日々が始まっていたことに。
しかし、わたしは、自分の力で阻止がどんな迷路なのか知ることはできなかったし、そこから抜け出す方法も見つけることはできなかったのだ。
ふと、わたしは、名状しがたい絶望感に襲われる。
すると、ふたたび書き始めているわたしに向かって、もうひとりのわたしがささやきかける。
いったい、そんなことしてなんになる。未来には、不安と混乱と絶望が待ち受けているだけではないか、いままで通りに、平凡にひとりの通行人として、無言のまま歩き続けていたほうが良いのではないかと。
だが、わたしは書き続けようとしている。何故なら次のようなこともはっきりと判っているからだ。
もし、わたしがこれまでのように沈黙を守り続けていたら、きっと取り返しのつかない破局がわたしを待ち受けているにちがいないと。

二十年前のあの日、わたしは、生命について考えその大切さを思うことよりも、生命を感じ、その向かうところを信じることのほうが大切だと考えていた。また、人々のなかで、人々とともに、人々のために平凡なひとりの労働者として生きることが、理想的な生き方であると信じていた。そして、わたしはひとりで、まばゆい人工の光と心地よい音楽にあふれた喧騒の町に入っていった。
そこでわたしは、人々と同じように働き、食べ、遊び、人々と同じように、その忠実な構成員として、雑踏にまぎれ、うずもれ、無言のまま、さ迷うように歩き続けていた。そして、わたしは、完全な群集の人となることを目指していた。

群集のなかで、わたしは限りなく気楽だった。
だれもわたしのことも、わたしの過去も知らず
わたしと特別の関わりを持とうとする人もいなかった。

群集のなかで、わたしは限りなく自由だった。
ときにはそれを持て余すくらいに
わたしはなろうと思えば、周囲を気にすることなく
なんにでもなることができた。
たとえ、それが犯罪者であっても
そして、群集のなかで、わたしはまさしく孤独だった。

群集と孤独のなかで、わたしは人々と同じように行動していたが、いつしか自分が他の人と違うということをなんとなく感じるようになっていた。
群集と孤独のなかで、わたしは人々と同じような位置から世界を見ていたが、いつしか他の人と違うことを考えるようになっていた。
群集と孤独のなかで、わたしは感じたことや思ったことをそのまま素直に言ってはならないことに気づき始めていた。
群衆と孤独のなかで、わたしは人に言えないことをひそかに思うようになっていた。

 あるとき、わたしは次のように思った。
     結局、重いものを持っても、せいぜい百キロまで
     走っても、百メートルは十五秒ぐらい
     暑い日はこたえるし、寒し日もいやだ
     笑うときはおなかを抱えて笑ってしまうし
     泣きたいときは、やはりこらえきれずに泣いてしまう
     仕事が忙しいときは、いらいらして怒りっぽくなる
     追いつめられると、われを忘れて叫び声を上げたくなる
     それがわたしです。それこそわたしの個性です

 またあるとき、次のように思った。
     だれかが死ぬと、だれかが確実に生まれる
     ひとつの町が滅びると、ひとつの町が確実に起こる
     ひとつの国が衰えると、ひとつ国が確実に栄える
     でも、地球にとっては痛くも痒くもない

 またあるとき、次のように思った。
     わたしたちの周りには、万の夢見る人と
     百の実行者と、たった一人の成功者がいる

 またあるとき、次のように思った
     迫害をされ戦えることは幸せだ。
     まず目の前の障害を乗り越えることが第一の目的となるからだ。
     抑圧のなかで生きつづける者はつねに抑圧を必要とする

   またあるとき、次のように思った。
     人間の生命の仕組みは複雑だが、思考は単純である。

 またあるとき、次のように思った。
     人類の目的は犯罪や戦争のない世界を目指すことではない。

 またあるとき、次のように思った。
     美人にも天才がある。美人の価値は社会的価値である。

 またあるとき、次のように思った。
     もしかして、死をもっとも恐れているのはわたし自身かも知れない。
     他人がつまらないことで争っているのを見ると、
     どれほどほっとした気分になることか。

 またあるとき、次のように思った。
     女性を奴隷にしたくなるときがときおりある。

 またあるとき、次のように思った。
     わたしが悪いことをしないのは、人々のひそひそ話や罰が怖いからです。

 またあるとき、次のように思った。
     霊はひとつの現実的な力である。
     知性は罠にかかりやすい、そして、もっともかかりやすいのは
     自分自身の仕掛けた罠である。

 またあるとき、次のように思った。
     結局、悪は滅びるというより悪は自滅するといったほうが良いのかもしれない。
     しかし、善がある限り悪は再生する。

 またあるとき、次のように思った。
     頭の良い人たちが勝手に未来像を描いて、
     無理やりそっちに持っていこうとする。
     余計なお世話である。
 またあるとき、次のように思った
     努力をしないで富や名声を得ることは果たして幸せなことであろうか。
     軍隊を持たない王とは、政治権力のない王とは
     自分で自分の人生を切り開くことのできない王とは。

 またあるとき、次のように思った
     理由が、理屈にあっているかいないかはたいした問題ではないのです。
     重要なのは、その理由を心の底からどれほど信じているかを、
     相手に悟らせることにあるのです。

 またあるとき、次のように思った。
     安心していられること。
     理想とされのは、お互いに相手と同じような力を持つこと。
     でも、だれもがひそかに思っていることは
     つねに自分のほうが相手よりもうわまっていること。
     そして、究極は、殴っても相手が殴り返さないような状態にあること。

 またあるとき、次のように思った。
     故郷を重荷に感じるときがある。何故なら故郷は
     わたしが未来に羽ばたこうとするのを妨げるかのように振舞うからである。

       またあるとき、次のように思った。
     憲法は自衛隊法違反である。

   またあるとき、次のように思った。
     スパルタカスが失敗したのは打ち破ったものを奴隷にしなかったからだ。

 またあるとき、次のように思った。
     自衛隊は地球軍に勝つことはできない。

 またあるとき、次のように思った。
     最も警戒しなければならないのは様々な原理主義者たちである。

 またあるとき、次のように思った。
     階段もポルノ小説も純愛も童話も根っこは同じである。

 またあるとき、次のように思った。
     他人の失敗や不幸が、
     どれほどわたしを憂いから解き放ってくれることか。
     他人の愚かさや惨めさが、
     どれほど追いつめられたわたしを慰めてくれることか。
     他人のだらしなさや不恰好さが、
     どれほどわたしを虚栄心から救ってくれることか。


   孤独と群集のなかで、わたしは、意外と多くの見習い悪魔が、
 人々のあいだを飛び回っているのに気づいた。
 ときおりやつらの放つ悪霊が、風のようにわたしの頬をなでるときがあった。
 ある夜その中のひとりが、薄暗い通りで独りごとを言っているのを耳にした。
 「理性の話はもう飽き飽きした、強烈な爆発的な刺激やイメージがほしいのだ。」
 ある夜、わたしは火災現場に遭遇した。燃え盛る炎を見ながら。わたしは、
 「放火犯人はわたしです。」
 といって、警察に出頭している自分の姿を熱狂的に思い描いていた。

 またある秋の日の夕暮れ。風が冷たい交差点で、ゴッホの自画像のような顔をした見知らぬ初老の男性が、何かを期待するかのような喜びの笑みを浮かべていきなりわたしに話しかけてきた。
「XX会社で働いていたね。」
と。わたしは動揺した。というのも、まったく見覚えのない男から十年ほど前に働いていた会社の名前を言い当てられたからである。
わたしはとっさに、しかもはっきりと答えた。
「いいえ。」
と。すると、その男の顔からは見る見る笑みが消えていき、もとの不機嫌そうな冷たい表情に変わっていった。
横断歩道を渡っていくその男の後姿に何気なく目をやりながら、ふとわたしは思った。
そういえば、あの男に似ていると。
しかし、目の前の、足取りもややおぼつかない六十ぐらいの男と、わたしが思い浮かべたひとりの男が同一人物であるとはどうしても思えなかった。何故なら、その男は、十年前はたしか三十代で、不良少年のように不器用で乱暴者であったからだ。
わたしは去っていく男の後姿を見ているうちに、わたしがその男から希望や思い出を奪い取り絶望に追いやったような気がした。

 またあるとき、わたしの近くで、わたしを侮辱したこと気ある男が無様にも転倒してしこたま顔を打ったとき、わたしは気づかぬ振りをして助け起こそうとはしなかった。
心の底ではおもいっきり、良い気味だと思いながら。

 またあるとき、わたしは、ある老人のかたわらに死神が寄り添っているのを見たが、わたしはそれをだれにも言うことができなかった。

 またあるとき、わたしは、あやまちを指摘されて、それを素直に認めることができなかったために、それがどうでもいいようなあやまちであったにもかかわらず直すのに何ヶ月もかかったことがあった。

 またあるとき、自分たちの権利を主張するだけでお金を手に入れたとき、わたしは口では断りながらも、無理やり握らされた札束の厚みへ手のひらでしっかりと感じ取っていた。
まるで手のひらは腕から体全体へとえもいわれぬ快感を伝える使命を帯びているかのように。

 またあるとき、ある男がわたしに耳打ちした。
「たとえば、人夫を十人必要とするでしょう、一人二万ですから、一万五千、といわずに一万で良いんです。これだけでやつらは喜ぶんですよ。これで十万ですよ。ちょっと頭を使って一日十万ですよ。こんなうまい話他にないでしょう。止められないわけですよ。じゃあ、彼らはわたしの代わりができますか、彼らがわたしの代わりができるなら、もうとっくにやっているでしょう。わたしが彼らの代わりができないように、彼らはわたしの代わりができないんですよ。どうですか、だんなも一度やってみませんか。」
孤独と群集のなかで、わたしはますます孤独を深めていった。

 あるとき、わたしは次のように深く思った。
     偉大な善の創造のために積極的を悪を利用すること。
     善と悪、光と闇、プラスとマイナス、高と低、その示唆するところとは。

 またあるとき、わたしは次のように深く思った。
     善を演ずる人間がいるなら
     悪を演ずる人間がいても良いはずだ。

 またあるとき、わたしは次のように深く思った。
     善の側から、悪が気になってしようがない人間がいるように
     悪の側から、善が気になってしようがない人間がいるはずだ。

 またあるとき、わたしは次のように深く思った。
     善は力であり、方向性をもっている。
     悪も力であり、方向性をもっている。逆の。

 またあるとき、わたしは次のように深く思った。
     悪は永遠の黒い輝き。善は悪を分泌する。

 またあるとき、わたしは次のように深く思った。
     犯罪も創造だったりして。

 またあるとき、わたしは次のように深く思った。
     圧倒的な破壊の前での美しさといとおしさ。

 またあるとき、わたしは次のように深く思った。
     悪魔も悪魔である。悪魔にも悪魔権がある。
     悪魔を醜い汚いといっていじめすぎると、
     とほうもない反撃を食らうことになるだろう。
 またあるとき、わたしは次のように深く思った。
     苦痛と快楽は共生している。

 またあるとき、わたしは次のように深く思った。
     男が好きなのは聖母と遊女です。
     女が好きなのは教祖と英雄です。

 またあるとき、わたしは次のように深く思った。
     文明はいつも野蛮人によって滅ぼされてきていたではないか。

 またあるとき、わたしは次のように深く思った。
     お金も物質、人間も物質、お互いよりそって生きているが
     人間は心をもっているので傷つく。

 またあるとき、わたしは次のように思った。
     魔女は魔女として処刑されることを熱烈に望んだ。
     なんで火あぶり台があんなに舞台じみているんだ。

孤独と群集のなかで。わたしは思いがけないことに気づかされた。

 あるとき、わたしは気づいた。
     自由が重荷になってきているということに。
     それは自由の真の正体がだんだんわかってきたからであった。

 またあるとき、わたしは気づいた。
     前の日までは、差別をする、権威的に振舞っていると、言っては、
     上のものをみんなと一緒に非難していたが      次の日、自分が上にたつと、今度は、昨日までの仲間を怠け者とか、
     無責任なやつらとか言って 
     非難していることに。

 またあるとき、わたしは気づいた。
     理由のない、根拠のない、正当でないお金を配ることは、
     むしろ悪ではないかと。
     何故なら、ほとんど自分の裁量で得た金を、みんなに平等に配ったとき、
     気持ちは決して晴れなかったからだ。
     それは、絶対に差をつけるべきであった。

 またあるとき、わたしは気づいた。
     搾取することの悪魔的な喜び、そして不安と恍惚に

 またあるとき、わたしは気づいた。
     労働者の味方をして、生涯一労働者として生きることが、
     理想的な生き方だと思っていたことが
     青臭く、とても恥ずかしいことだということに。

 またあるとき、わたしは気づいた。
     いつのまにか、前を歩いている人がだれもいなくなっていることに。
     後ろを振り向くと、足取りがおぼつかないものや、目の悪いものや、
     乱暴者や、不安の多いものや
     不器用なものや、わがままな者がいっぱいついてきていた。
     彼らは、みんな自分なりに、自分の想いのままに、
     つまり自分に忠実に振舞っていた
     わたしは否応なしに前を歩かざるを得なかった。

 またあるとき、わたしは気づいた。
     もしかしたらわたしは、
     年齢の半分は無駄に過ごしてきたのではないかということに。
     何故なら憎しみの本当の姿を最近まで知らなかったのだから。

 またあるとき、わたしは気づいた。
     この世界の崩壊と破局のイメージを熱烈に歓迎しているということに。

 またあるとき、わたしは気づいた。
     合理的探求が遠心力のように働き、
     不条理への渇望が向心力のように働いていことに。

孤独と群集のなかで、わたしは自分自身に疑問をもつようになった。

 あるとき、わたしは次のように思った。
     わたしは自分というものがどういう人間か知っていた。
     また他人がどういう人間であるか人並み以上に知ることができた。
     しかし、他人が自分の事をどう見ているかについてはまったく無頓着であった。
     それがどれほど重要であるかが判ったのは、
     自分に対する他人の不可解な言動や
     他人との誤解や行き違いの体験を経てからのことである。

 またあるとき、わたしは次のように思った。
     主観のあるべき姿、またはふさわしい姿は、
     いろいろな現実的な変数をもつ
     関数として表されるときに現れる。

      またあるとき、わたしは次のように思った。
     わたしはいままで自分の頭のなかで考えたり思ったりしたことを、
     正しいことのように
     つまり、それ自体が自動的に正しいことのように信じてきたが
     もしかしたら、それは、間違いではないかと。

 またあるとき、わたしは次のように思った。
     そもそも頭で思い描くことが現実と正反対のものであったとしたら。

 またあるとき、わたしは次のように思った。
     なぜ、わたしは、わたしでなければならないのか。

孤独と群集のなかで、わたしは人々が寝静まった夜の闇に向けてひそかに不満を発した。

 ある夜、わたしは次のように考えた。
     なぜまぶしすぎる光を求めようとするのか、
     それだけ闇が深くなるではないか。
 またある夜、わたしは次のように考えた。
     なぜ宇宙の隅々にまでれ理性の網をかぶせようとするのか
     それだけ地底深くひび割れた狂気の裂け目を
     さらに深く押し広げるだけではないか。

 またある夜、わたしは次のように考えた。
     なぜ輝かしい知恵を求めようとするのか
     それだけ深く迷妄の海に沈みこむではないか

 またある夜、わたしは次のように考えた。
     なぜ溢れ出すほどの知識を求めようとするのか。
     それだけ深く無限の闇の森に迷いこむではないか

 またある夜、わたしは次のように考えた。
     なぜ飽くことを知らない知性を求めようとするのか
     それだけ深く魔法にかかるだけではないか

 またある夜、わたしは次のように考えた。
     なぜ創造にばかり目を向けていて破壊に目を向けないのか。
     あまり無視をしていると、そのうちに全的破局に見舞われるにちがいない。

 またある夜、わたしは次のように考えた。
     なぜ命がけで批判をしないのか、なぜ批判を商売とするのか

 またある夜、わたしは次のように考えた。
     偉大な教祖のために弟子たちが、
     どんなに残酷な殺され方をしなければならなかったか
     またその後反目や分裂や戦争によって、
     どれほど多くの人々の血が流されたことか。

 またある夜、わたしは次のように考えた。
     高大な思想家のために、どれほど多くの個性的な思想が、
     脅迫と暴力の恐怖のもとが抹殺されようとしたか

     また対立や闘争や戦争によって、
     どれほど多くの人々の血が流されたことか
     そして、その後、その思想が破綻をきたしても、
     どれほど多くの人々の心を呪縛して自由な発想を妨げ
     どれほど長く不毛な論争の時代が続いたことか。

 またある夜、わたしは次のように考えた。
     強大な独裁者や英雄のために、どれほど多くの侵略や征服が行われ
     どれほど多くの人々の血が流されたことか、
     またどれほど多くの暴虐や殺戮が
     永遠の闇に葬り去られたことか。

孤独と群集のなかで、、わたしは本当のことをいうと、人々がわたしから離れていくのを知っていたので、夜ひそかに思うようになった。

   ある夜、わたしはひそかに次のように思った。
     明らかに裏で神と悪魔は通じている。

 またある夜、わたしはひそかに次のように思った。
     どんな戦乱の世でも生きられるが
     どんな平和の世でも生きにくい。

   またある夜、わたしはひそかに次のように思った。
     いったいだれがこんな悪魔も住めないような町にしたんだと。

 またあるとき、わたしはひそかに次のように思った。
     ポーと朔太郎とわたしとは一本の鋼鉄の線でつながっている。

 またあるとき、わたしはひそかに次のように思った。
     投げ出された荒海から、善人を助け悪人を助けないものを恐れるな
     むしろ善人も悪人も手のひらで水をすくうように一瞬にして
     助け出す力のあるものを恐れなさいと。

 またある夜、わたしはひそかに次のように思った。
     悪人を滅ぼしても善人を滅ぼさないものを恐れるな、むしろ善人も悪人も
     おのれのいのままに滅ぼすことのできるものを恐れなさいと。

 またある夜、わたしはひそかに次のように思った、
     固定観念のとしての差別ではなく、
     また差別されたと感じる側から発生する幻想としての差別ではなく
     正当な創造過程における副産物としての差別は認められなければならない。

 またある夜、わたしはひそかに次のように思った。
     制度としての支配ではなく、抑圧するための支配でもなく、
     また支配欲を満たすための
     支配でもなく、根源的な生命活動から発生して、
     仲間からはリーダーとして認められ
     仲間を保護しなければならないと宿命付けられた者の支配は
     認められなければならない。

 またある夜、わたしはひそかに次のように思った。
     制度としての搾取ではなく、人を支配するための搾取でもなく、
     またより多くの欲望を
     満足させるための搾取でもなく、正当な創造活動から発生して、
     社会の進化過程における
     副産物としての搾取は認められなければならない。

 またある夜、わたしはひそかに次のように思った。
     制度としての不平等ではなく、
     不平等な扱いを受けた側から発生する幻想としての不平等でもなく
     正当な創造活動における副産物としての不平等は認められなければならない。

 またある夜、わたしはひそかに次のように思った。
     支配するための侵略ではなく、また征服欲を満たすための侵略でもなく、
     根源的な生命活動における副産物としての侵略は認められなければならない。

 またある夜、わたしはひそかに次のように思った。
     固定観念や制度としての優越ではなく、正当な創造過程における
     副産物としての優越は認められなければならない。

 またある夜、わたしはひそかに次のように思った。
     ウイルスだって、細菌だって、がん細胞だって、みんな生きたいんだ。

       またある夜、わたしは次のように思った。
     はじめに時間と空間のないところに時間と空間ができた。

 またある夜、わたしはひそかに次のように思った。
     神秘とは合理性を背景として、世界への感性的な働きかけである

 またある夜、わたしはひそかに次のように思った。
     超宇宙は存在するといっても良いし、存在しないといっても良い。

 またある夜、わたしはひそかに次のように思った。
     1+1=2は人々の共通の話題とならないが
     1+1=3は人々の共通の話題となり、熱狂的に迎えられる。

 またある夜、わたしはひそかに次のように思った。
     わたしは、わたしのような人間が間違いを犯すことは十二分に知っていた
     しかし、高名な評論家や、詩人や科学者だけでなく、
     偉大な思想家や教祖や英雄までもが
     あやまちを犯すことに気づかなかったとは迂闊だった。

 またある夜、わたしはひそかに次のように思った。
     悪魔がもっとも住みやすい場所は、キリスト像に裏の物置小屋である。

 またある夜、わたしはひそかに次のように思った。
     頭脳による無へ向かっての極限的接近によって起こるもどかしさが
     有を発生する。

 またある夜、わたしはひそかに次のように思った。
     渋柿のような顔をして渋柿のような思想をテレビで話していた初老の男が
     未来に絶望したからといってどうだというのだ。
     谷あいの畑で生活の糧を得ていた
     老婆が、未来に絶望したというのなら、これは本当に重大なことなのですが。

 またある夜、わたしはひそかに次のように思った。
     神が混沌とした世界を見て、
     宇宙の創造というその壮大な計画を思いついたとしたら
     災害に見まわれた廃虚の光景が、人間たちをして、
     つらく悲しい時を超えて
     新たな創造へと駆りたてたとしても少しも不思議ではないでしょう
     ならば人類の欲望と、創造性の限りを尽くし、
     その惜しみない英知と計画性をそそぎこんだ
     この巨大な建築物を目にするとき、もう自分の出る幕はないと感じ、
     その息苦しさのあまり
     自然の力によるものであれ、
     その全的破壊へのイメージに熱狂的にとりつかれたとしても
     少しも不思議ではないだろう。

 またある夜、わたしはひそかに次のように思った。
     人は生きていく限り、年とともに成長していくものと思っていたが
     しかし、もしかしたら、ほとんど変わらないのでは、というよりむしろ
     どんなに努力しても、肉体と同じように衰えていくだけではないのか。

 またある夜、わたしはひそかに次のように思った。
     社会を刺激的なもの熱狂的なものにするために、
     禁制や規制や抑圧、迫害や差別や弾圧
     そして戦争を積極的に利用できるものであるとしたならば、
     個人が、毒物や刺激物
     浪費や賭け事、偏見や妄想、偏愛や憎悪、隷属と暴力、
     そして、悪を、自分の生活を
     生き生きとしたものにするために、
     積極的に利用することはそれほど不合理なことではないだろう。

 またある夜、わたしはひそかに次のように思った。
     わたしにとって問題とは、
     それが解決可能であることが前提とされる。もしそれが
     解決不可能なものであると判断されるなら、
     その瞬間からそれはわたしにとって問題でなくなる。

       またある夜、わたしは次のような夢を見た。
     顔も年齢も不確かだか、おっぱいを四つ持っているという女が、
     長い長い沈黙の後言った。
     たとえ生まれてくる子が息子の子であったとしても、
     力いっぱいおっぱいを吸わせてあげたいのです。

 またある夜、わたしは次のような夢を見た。
     顔も年齢も不確かだが、耳が三つあるという男が言った。
     「昔々諸国を放浪していた男が、とある海辺で二人の漁師に会いました。
     その漁師の一人が、
     何か言いたげな顔をして近寄ってくるその男に向かって言いました。
     『魚取りをやってみないか。』と。
     その男は漁師の言うことに従いました。
     実は、その男こそあなたの遠い遠いお父さんなのです。」

 またある夜、わたしは次のような夢を見た。
     顔も年齢も不確かだが、腕が五本もあるという男が言った。
     「昔々森の中で、ある家族がひとつの焚き火を囲んで暮らしていました。
     ある日、夜も更け、眠りにつこうとしていたとき
     森の奥のほうから、それまで聞いたこともなしような物音が聞こえてきました。
     そこでその家族の父親は、その物音の正体を確かめようとしたのか、
     無言のまま起き上がると
     その物音のする森のほうへと向かって歩いていきました。
     でも、その家族の母親は子供を抱きかかえたまま寝入ってしまいました。
     朝、目覚めると、その父親の姿はどこにもありませんでした。
     結局、その父親と残された家族は、
     その後二度と出会うことはありませんでした。
     実は、その父親があなたの遠い遠いおじいさんなのです。」

 またある夜、わたしは次のような夢を見た。
     顔も年齢も不確かだが、男根が二つあるという男が言った。
     「美しさや年齢がほとんど気にならないということもあるのですが、
     わたしにとって女性を誘惑するということほど簡単なことはないのです。
     というより、わたしにとってそれはごく自然な当たりまえのことなのです。
     どのような職業の女性も、どのような性格の女性も、
     まるで魔法にかかったかのように
     みんなわたしと深いなかになってしまうんです。
     でも、さすがに、一度に三人は相手にできませんでしたけどね。」


                              二部に続く