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    芸術論第三章(岡村孝子論)

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          真善美





     *  *  *  *


 このとき父なる最高神は、わが娘が作ったとは思えないこれらの楽曲を聴いて、これはきっと娘の身に何か異変が起こっているに違いないと思い心配になった。

 そこで母なる《夢の国の女王》に訊ねた。

   最高神
「これはいったいどういうことなんだ。女神ムーサは何をしているんだ。神性の扉は開かれていないのか」

   夢の国の女王
「もう開かれております。それに神性の光のもとで作られたような楽曲もすでに出来上がっております。ですから何の心配も無いと思います」

   最高神
「でも、この凍りつくような絶望感は何なのだ」

   夢の国の女王
「それは、ですね、、、とにかくあの娘は自分の心に嘘がつけないんです。これまでいろんな辛いことがありました。誤解や根拠の無い理由で批判されたり、なかにはあの娘の成功をねたんでわざと冷たく当たったりするものもいました。そのたびにあの娘は深く傷つき、自分は何か悪いことでもしているのだろうかと悩み苦しみました」

   最高神
「そうだとは知らなかった。才能がある娘だから成功するのも当たり前、賞賛されるのも当たり前、それで幸せだとばかり思っていた」

   夢の国の女王
「人間の世界は意外と複雑ですから。」

    最高神
「そんなつらい思いをしていたなんて、知っていたら連れ戻したのに」

   夢の国の女王
「でもあの娘は絶対に弱音を吐きませんでした。想像以上に芯のしっかりした娘です。逆境をも自分の生きる力に変えていくような意志の強い娘なのです。『安定に腰を落ち着かせるのは好きでない』などと強気なことを言っているくらいですから。実を言うと私も本当は心配でした。あの大成功のあと自分の才能を生かして、そのまま音楽界に残っていればどんなに楽かと思いました。でもあの娘はそんな過去の栄光を投げ捨て零から再出発する道を選びました。そして今再びその栄光をつかみつつあるのです」

   最高神
「それにしてもあういう曲を聴くと心が締め付けられるようになるよ、救いのない絶望感だけしかない」

   夢の国の女王
「大丈夫です。心配は要りません。先ほども申しましたように、あの娘は自分の心に嘘がつけないだけなのです。あの娘は良いことも悪いことは楽しいことも辛いことも全部自分の心に留め置くのです。そして良いことや楽しいことは対話をするように何度も思い返したり、そして悪いことや辛いこととは何とか折り合いをつけようと何度も何度も思い返しては対話を試みているのです。普通人間は辛いことや苦しいことは二度と思い返さないように心の片隅に追いやるようにして閉じめてしまうものですが、最高神の天性である開放的な心を受け継いでいるあの娘にはそれが出来ないのです。開放的な心を持ったあの娘は幼いときから自分の心と真正面から向かい合い、見つめ、そして対話を続けてきました。そのため自分の心の陰りや曇りをそのままにしておくことが出来なかったのです。その陰りや曇りに光を当ててやることが自分がその暗い思い出から解放され、うそ偽りの無い本当に開放的な心の持った真実の自分になれるに違いないと感じたからでした。ですからあのような曲はあれが最初で最後になるでしょう。これであの娘は神性のまばゆい光を放つような 楽曲をどんどん生み続けることが出来るでしょう」


     *  *  *  *

     *  *  *  *


[誠実であるために起こる愛の不安]

  この頃になると次第に姫女の秘められた天性が
  発揮されるようになる。

  その秘められた天性とは 楽しさや喜びだけでなく
  哀しみや寂しさを同時に感じる感性。

  そして若者の誰もが体験する人生や未来に対する
  不安や苦悩をまるで自分のことのように感じる
  ことのできる並外れた他者への共感性

    〈Today〉
  姫女にとってかつて憧れの対象だった男性たちが
  現実の世界で敗れ去っていくことはとても
  悲しいことだった。
  どのような男たちが敗れ、どのような男たちが
  勝ち残っていくか、
  姫女には痛いほど判っていた。そして姫女は
  そういう男たちを
  周囲の女性たちが必死に支えてあげる
  ことをただひたすら願う。

    〈微風〉
  そういう男性たちを救うことのできない無力さ
  そして悲しみのきわみ

    神性の光に照らされて生み出された歌詞

     悲しいほどひたむきに

  現代社会において果してどれほどの人間が
  この歌詞の深すぎる意味に共感できるだろうか?

    〈迷路〉
  自分自身の絶望ではなく、理由も知ることなく
  敗れ去る男たちを救うことが出来ない
  恋愛の迷走と無力感に姫女は絶望する。
  そして自分に出来ることは周囲の女性たちがそんな
  男たちを最後の最後まで支えて
  あげることを祈るだけ。

  ここに登場している躓き苦しんでいる男性像は、
  バブルの波を華麗に泳ぎ渡っている
  成功者のそれではなく、
  ひたむきに人間として生きようとしている
  半ば姫女自身が投影され、
  それまでに理想化されていた
  姫女自身の男性像でもある。


[姫女自身の生き方への願い]

     〈五月の晴れた日〉
  どんなに自分に正直に生きていても悲しみが
  消えてなくなることは無い。なぜならこの
  宇宙の重みは悲哀によって支えられているから。
  このことを心の奥底で受け止められたとき
  "夢をあきらめないで"につながっていく。

     〈輝き〉
  まさに神性の光が輝いているもとで作られた楽曲。
  数々の絶望を乗り越えた今、
  これからどんな苦難が訪れように、
  必ず乗り越えることが出来るという
  自信と決意に満ちている。
  これはその神性さが最も強くあらわれている
  "Beleive"へとつながる。

     〈私の空〉
  町の風景に押し寄せる憂愁。
  どんな些細にことにも心が揺れる小さな自分。
  悲しいのは自分だけではないと判っていても、
  崩れ落ちそうな自分、そしていつか
  大きな翼で羽ばたく日を夢見て、
  必死に自分を持ちこたえようとする。

     〈リベルテ〉
  いまだに些細なことに躓いたり転んだりしている
  私だが、でも自分の心そして他の人たちの心も
  信じて勇気を持って生きていけば
  きっと未来は開けるはずだと
  姫女は揺れる心に不安を感じながら
  必死に決意する。

     〈未知標〉
  思い出にいざなう不安な夜に思う。
  今は幼い日の無邪気さも青春が
  始まった頃の快活さも無い。
  こんなはずじゃなかったと。青い空を翼広げ
  羽ばたいていた自分の姿は幻だったのかと。
  こんな作品も前に進むためには必要だった。

  これは<あみん>時代の作品であるが、
  このような芽生え始めた不安は、
  復帰後の楽曲に具体化され様々な形で現れている。
  もちろん姫女はこの後もずっと自分が
  最高神の愛娘であることを知ることは無い。
  大きな翼など望めばすぐ手に入るというのに。


     *  *  *  *


 時代はバブル、売れる曲を作れば
 天下を取れるというのに、
 それでも姫女は自分の感じる心を
 大切に曲を作りつづけている。

[愛の喜び]

    〈ソレイユ〉
  理想化されすぎた男性像の理想化された
  女性像として生きる事が愛の最高の喜び
  に違いないと夢想する。
  これはのちの〈夢の途中〉へとつながる。

[やさしすぎる愛]

      〈秋の日の夕暮れ〉
   白昼夢のごとく永遠の愛を夢見る。
   もし永遠の愛があるとしたら
   きっとこんな風だろうと。
   それにしてもやさし過ぎてひたむき過ぎる。
   それは従来のような献身でも自己犠牲でもなく
   新たな愛の形地平の出現を予感させる。

      このあまりにも穏やか過ぎる歌い出しに
   このとき瞬時にして聴く者の心を魅了する。
   姫女の曲には このようなものが多い。
   それは何の加工も加えることもなく
   会話をするときのようなおだやかな
   声で歌っているからである。
   このような優しく語りかけるような
   歌声に私たちは無限の癒しを覚える。




     *  *  *  *

     *  *  *  *


 生き物の究極の目的と価値は生殖と
 時を超えてのその命のつながりである。
 でも思考能力を獲得した人間は
 その先へと進化してしまった。
 理想的な異性像とその理想像との関係性
 をイメージすることである。
 その新しい目的と価値は私たち人間を
 永遠の青春へと導いてくれるはずのものなのだが。


     *  *  *  *

     *  *  *  *


[神性の波動に揺られながら]

       〈電車〉
  何気ない風景に心が動かされるとき、
  姫女にとってそれは情感となり、
  その情感は言葉となって
  あふれ出し、やがて言葉はメロディーにつながり、
  そしてひとつの楽曲となる。

 新生活を始めた頃、きっとこんな
 風景を電車内で見たに違いない。
 そしてその境遇が今の自分と
 そっくりに違いないと知る。
 このとき人並みはずれた姫女の他者
 への共感性が胸からあふれ出す。
 きっと私と同じようにうまく行かない。
 きっと私と同じように将来が不安。
 きっと私と同じように過去と決別できていない。
 そしてきっと私と同じように孤独で
 後悔にさいなまれているにちがいない。
 でも結局は未来を開くことが出来るのは
 自分しかいないということに気がつく。
 自分の心が気になると人は誰でも孤独になる。
 そしてその孤独の道を歩みえざるをなくなる。

   姫女の心に芽生え始めたひたむきな
 勇気とひそやかな決意によって、
 暗そうに感じるこの曲想に
 かすかに希望の光がさしているのがわかる。
 飾り気の無い心がそこに現れているとき、
 それがどんなに絶望的に見えようとも
 希望に支えられている。

     歌詞

  ---あなたを失くしてまでも決めた道を---

   ここに来ると男の私でさえいつも涙ぐむ。
   そして姫女の真の正体を知る。

   もし私が天の父なる最高神だったら
   「そんなにつらい思いをしているんだったら」
   と言ってきっと姫女を連れ戻すだろう。


      〈今日も眠れない〉
   気負うことなく書かれた歌詞を追ってみよう。

   ---見えるものを見えるといえない
    ことが多すぎて---

   自分が感じることがほかの人とどこか違うことに
   ずっと気づいていた。
   でもそれをそのまま表現しても
   いいものかどうか、いまだに迷っている。
   ほかの人はみんな自分の意見をもっていて、
   そのことを自信を持って生きているのに。

   これは歌謡詞というより詩に近い書き出しである。

   ---誰も彼も利巧に見えて
       今日も眠れない---

     私はとっさに生涯青春(夢を見ていた)だった
     石川啄木の短歌を思い出した。

        石川啄木(歌集一握の砂から)

     友がみな
       えらく見ゆる日よ
          花を買い来て
             妻としたしむ

   ---ああ遠く離れて人ごみの中誰かさがしている
     しばらく電話なんかしないでよせつなくなる
      思い甘えられるあの人に帰りたい ---

  ここであの人とは男性の理想像になるのだろうが、
  実際誰でもよい、
  信頼できる友達でも良いし、
  ふるさとの家族でも良い。
  大事なのは誰もが孤独に苦しむときに、
  誰かに頼りたいという
  切実な思いが表現されていることである。
  そしてこれが普遍的な情感として
  人々に共有されるのである。

   そして文学の詩のように展開する。

   ---崩れそうな私を支えるものは
     悲しみといつになればかなうか
      わからない夢の数々---

   崩れそうな自分を支えるものは"悲しみ"、
   何故"悲しみ"が自分を支える
   ことが出来るのだろうか。
   おそらく姫女はこのときまでに、
   宇宙の重みを支えているのは
   悲哀であることがわかっていたのかもしれない。

   ---ああ出来ることならいつも
     誰かのそばにいたかった---

    といっしゅん女性らしい弱気を見せるが、
    すぐに反転する。

   ---しばらく電話なんかしないでよ帰らないわ
   いつの日かあの空を駆けめぐる鳥になる
    ああ闇が私を包むそのときにもきっと迷わない
     輝く瞳だけは失くさないでいきたいから
      いつの日かあの空を駆けめぐる鳥になる---

  そして最後は高村光太郎の詩"道程"のような
  気迫と決意を見せながら
  孤独や苦悩から解放された自分を夢見るる。
  だがこの最後のリフレインは、
  姫女自身だけではなく、
  この歌を聴く誰もがその天空の高みへと導かれ
  開放された自分を夢見させられているのである。

  姫女は圧倒的に若い女性たちに
  支持されていたという。
  でも私は女性でもなければ若くもない、
  初老の男だ。
  それなのにいつ聞いても感極まり泣いてしまう。


     〈夢をあきらめないで〉

  もしあの日テレビを見ていなかったら、
  そしてエンディングでこの曲が
  流されていなかったら。
  当時姫女はほとんどマスメディアに取り上げられる
  ことは無かったので、
  私は生涯姫女を知ることは無かったであろう。

 その頃の私にとって音楽というものは時代の背景として、さらに影薄く後退していた。つまり歌が私のこの社会に対しての帰属意識を維持するために、集団性や共同性の意識を呼び起こす役割を既に失っていたということである。その最大の原因は業界の売れれば良いという商業主義とその歌の背後にある狙いや作為や思惑に飽き飽きして何の興味もわかなくなったからであろう。
それはまた同時に私自身が社会に対する帰属意識を何か他のもので見出していたからに違いない。それはそれまで苦しめていた生きることへのぼんやりとして不安に変わって、これからの人生に対して確固とした目標や自信を獲得し始めていたということでもある。言い換えればそれは四十前にしてようやく社会とも折り合いが付き、そして自己の内奥から芽生えば始めた"俺でも生きられる、俺でも生きていいのだ"という生の肯定感なのだ。

 この歌の歌詞だけ見ると何となくまとわりのなさを感じる。でもこれは前述のようにその情感のもとで混然と沸き起こる歌詞と曲想をお互いに協力補完させあいながら発展させていった結果が必然的にこの曲となったとみるべきであろう。

  そしてこの曲は聴くものを
  魔法にかけるように始まる。
  後に聞くところによるとこの曲は
  失恋の歌であったそうだが、
  別れる者が好きな人でも、友達でも、
  家族でも誰でもかまわない、
  そのくらいこの曲は普遍性を持っているのだ。
  というのもこの曲がほんとに失恋の歌なら
  喪失感や悲壮感が漂っていてもいいはずなのだが
  少しもそんな気配はない、むしろ逆であるからだ。
  そして魔法にかかったものはすべて
  夢見るように自分の心がまるで
  希望の光を見るように
  とどまることなく広がり続けるのを感じる。
  やがて心情の豊かな世界に紛れ込んでいて何か
  超自然的な愛に支えられているように感じながら、
  自己肯定感に満たされている自分に
  幸せを感じている。
  だれもが未来を人間を無条件で肯定する
  心情の豊かさに包まれたいと願うからだ。


      〈Believe〉

  この曲についてはあまり多く語らないほうが良い。
  私はこの曲をしばらく聴いていない。
  封印しているといっても良い。
  というのもこの曲にはどんな逆境や
  絶望に陥っているものでも、
  そこから救い出してくるという力が
  神々(バッハのような)しさがあるからである。
  つまり私は最近そんな逆境や絶望にも
  陥っていないから、
  聴く必要が無いということなのか。
    

  この曲を聴いて最初は、
  人生において誰もが体験する
  であろう失敗、挫折、絶望、決別、
  離反、失意、後悔の念
  などが歌われているように感じるが、
  曲が進行するにしたがって、
  実際に歌われているのは、それに負けまいと
  する強い意志、決して諦めない努力、
  ひたむきな勇気、ひそかな決意、
  そしていつも目の前に広がっている壮大な
  宇宙に支えられた未来への希望が
  歌われていることに気づく。
  そしてその希望の光は、
  これらの数々の苦難を乗り越えたあとには
  喜びに満ちた充実した生活が
  待ち受けていることを暗示しているだけではなく、
  死は決して私たちの終わりではないと
  思わせるほどの輝きを放っている。
  だから私は最期の時には
  この曲を流してもらうだろう。
  なぜなら私はそのとき自分の人生を
  振り返っていっぱい後悔しているだろう。
  でもこの歌で慰められ穏やかな
  気持ちになって死を新たな旅立ち
  として迎えているに違いないから。

  この曲は姫女の二十代後半の作品であるが、
  どれほど人生経験が豊かだったのだろうか?
  でもこれもまさに姫女の神性のなせる業であろう。


     *  *  *  *

  宇宙本質は静寂である。
  たとえ太陽のフレアーに地球が
  焼き尽くされようとも。
  そしてその重みは悲哀に支えられている。


     *  *  *  *

    芸術において傑作が生まれるのは、
    芸術家が今度は
    傑作を作ろうと思って作るから傑作
    となるのではない。
    真性の芸術家なら、
    それはこともなげに無意識ともいえる
    くらいにあっさりと作られる。
    そこには狙いや作為や思惑が
    忍び込む余地はない。

    姫女も真性のシンガーソングライターである。

    そして姫女姫女これらの曲によって再び脚光を
    浴びるようになる。
    メディアの最前線に出てくることは無かったが
    誰もがこのことを喜び祝福した。

    自分の作りたいものを作って社会に
    認められるということは
    アーチストにとって至上の喜びであり
    最高の栄誉である。


     *  *  *  *


[アルバムオー・ド・シェルから]

    これらの作品から、この頃には、
    かつて自分の性格が
    絶滅危惧種のように扱われ、ネグラと揶揄され、
    少しはコンプレックスになっていたが、
    もう本来の自分のままで良いんだと思うように
    なってきていることがわかる。
    それは再起を期して書き上げれれた楽曲が
    多くのファンに支持されるようになり、
    それによって今の自分に自信が持てるように
    なったためである。
    それには自分自身を勇気付けるような
    歌詞にもはっきりと現れている。
    それらの言葉は新しい希望の光を
    受けながらときには穏やかに
    またときには凛々しく歌われる。

       〈長い時間〉
     "だめな生き方でも良いから私らしくいたい"
     "ありのままの自分を見つめているから"

       〈虹を追いかけて〉
     "素直なときめきで
        ほんとの自分を取り戻したい"

     "素直なやさしさで
        ほんとの自分を取り戻したい"

   これらの言葉に解説は要らない、
   ただひたすら耳を傾けるだけだ。
   ここで大切なのはこれらの言葉を
   姫女は自分自身にだけ
   向けて発せられたのではないということだ。


     *  *  *  *

  豊かな心情の緑の沃野に 
  楽しさや喜びだけではなく悲しみや寂しさを
  同時に感じる心の窓を開け放っては 
  自分だけではなく周りの者の未来や人生に対する
  不安や孤独に苛まれながらも 
  どうにかその苦痛から開放されんがために
  吹き抜ける風になろうとたたずむとき
  言葉がメロディーを伴って汲めども尽きない
  泉のように彼女の肉体に
  湧き出てきたのだが、、、、


     *  *  *  *

  そしてまだまだ姫女の夢想する悲恋物語は続く。


     〈オー・ド・シェル〉
     〈それぞれの明日〉
     〈ジュ・テーム〉
     〈愛がほしい〉

  何故このような曲が姫女には多いのだろうか。
  もしかしたら恋の成就は、夢の終わりそして
  青春の終わりであることを無意識のうちに
  感じ取っているからかもしれない。
  そして幸せからは何も創造されないということも。

  満たされぬ気持ちや幸せでないと思う気持ちが
  創造の原動力となっていた

      〈青い風〉
 そんななかで自分が青春に距離を持ち
 始めていることに気づく。

      〈リフレイン〉
 それでもときには幸せに満ちた愛を
 夢想するときもあるようだ。
 そして穏やか過ぎる風景のもとで、青春の悲哀が
 情感となってあふれるように胸からほとばしる。

      〈愛を守りきれなくて〉
    "平凡すぎる幸せよりも
      何かを求めていたかった"

    "ごめんね愛を守れなくて
       私はもうもどれない"

  情況は違うがきっと誰もがこんな思いをした
  ことがあるに違いない。
  そして知っている、この世では最も愛する
  もの同士はいっしょに
  暮らすことは出来ないということを。
  この曲を聴いていると私は涙がにじむ。
  なんてとだ、こんな初老の男が、
  こんな小娘に慰められるとは。

  この曲のなにげない歌いだしは、
  私たちを進化した
  新たな宇宙の本質へといざなう。

    銀河の生成や消滅を見ていると
    その荒々しさや壮大さから、
    宇宙の本質はその激しさや力強さに
    あると思いがちだあるが、
    それは見せ掛けに過ぎない。
    なぜなら宇宙はよりささやかなもの、
    より繊細なのへと進化していることは
    紛れもない事実なのだから。

    冒頭に述べたとおり宇宙の本質は
    静寂であり穏やかさである。
    それを具現化しているのは私たち
    生き物としての人間である。
    私たち生き物はより微弱な電気信号でも
    生きられるように進化してきた。
    そして心はさらによりかすかな電気信号でも
    その世界を形作ることが出来るように
    進化してきた。
    その結果心をさらに穏やかに繊細に
    やさしく柔和に進化してきた。
    宇宙の本質を体現する最高神の愛娘として、
    そのことが具現化された
    姫女はまさにその進化した
    本質を自らの身を持って体現しながら、
    その新たに創造された豊かな
    心情の世界を楽曲として表現し続ける。


     *  *  *  *


  言葉から感動を生み出すことは出来るが、
  感動を言葉で言い表すことは難しい。

 私は今困難に直面している。
 姫女の歌から受ける感動を言葉にすることに
 限界を感じているからだ。
 美辞に頼ればいいのだろうが、それだと
 真正の感動からますます遠ざかる。

 音楽の感動には、音が本源的に持っている
 その共同性や
 共感性が重要な役割を果たしているのは
 間違いないが、 それだけではない。
 歌詞も重要な役割を果たしている
 ことは間違いない。
 かといってそれを文学の詩のように分析しても
 答えは得られそうもない。
 歌における歌詞はあくまでも曲想に
 従属するものであるからだ。
 するとやはり芸術の成り立ちまでさかのぼって
 論及するべきかもしれない。
 それは冒頭にある、"芸術は人間の精神活動に
 よって生まれるが、
 その根源は不合理性や反自然性や
 非現実性にある"ということである。

 私たち男女は恋愛において最終目標とするのは
 その成就である。
 目にも見え手でも触れることが出来る
 全き現実性である。
 これまで姫女には何曲かの愛の喜びを
 歌った作品がある、
 だがどれも成就はしていない。
 成就するまでのまた成就した後のことを
 喜びを持って思い描いているに過ぎない。
 それは夢想であり現実ではない。
 それは非現実性がどれほど私たちの
 想像力を掻き立てて、
 喜びに満ちた夢を見させるかということを
 示している。
 そしてそのことを本能的に捉えている姫女
 いかに人間離れをしているかということだ。
 そして私たち凡人は姫女の情感に心から共感する。

     *  *  *  *


[アルバムKissから]

 姫女を照らし始めた神性の光はさらに
 その輝き増し始めている。
 これまで姫女を苦しめるように立ちはだかってきた
 さまざまな困難のためにあたかも
 地獄の季節を通り抜けるように
 走り続けてきた姫女の前に障害となるものは
 もう何もなくなったからだ。

     〈心の草原〉
 追い求めてきた理想像に自分は決して遠ざかって
 いないということを確信しながらそのことに
 幸せを感じている。
 心がはずむように歌詞はこれまでに用いられた幸せを
 呼び込むような語彙がちりばめられている。
 おそらく最後まで笑みを浮かべながら
 完成させたに違いない。

    〈終わらない夏〉
 愛の成就を願う喜びにあふれているが、
 でもその先のことは誰にもわからない。
 これで充分なのだ。
 恋愛の歌は。
 これだけで多くのものに夢を見させ人生に
 希望を持たせ幸せにする。

     〈Kiss〉
 誰もが理想の生きかた理想の自分を
 見つけるのは難しい、
 ささやかな誠実とひたむきな心というだけなのに、
 それさえも、、、でも穏やかな風景が
 私を支えてくれるのだから、
 迷いながらも前に進む自分を祝福できる、と歌う。

     〈満潮〉
 これも前々述と同じように、
 愛の成就を願う喜びにあふれているが、
 でも実際のことは誰も関心がない。
 関心があるのは成就へと向かう
 その夢のような瞬間に多くのものが
 美しさや喜びを感じながら
 これらかの人生に希望を持たせ幸せにする。

     〈空のかなたまで〉
 ハッピーエンドになるドラマのクライマックスに
 流れているような音楽。
 姫女の多彩振りを示す曲。
 これ以上言葉は要らない。

     〈青い日々〉
 朗々としたこの歌声の気高さは
 いったいどこから来るのだろう、
 いつ聴いても涙がにじんでくる。
 静かなる青春の肯定、
 そしてひたむきな人生の肯定。
 これも最期のときにぜひ流してもらいたい曲。

     〈あの海に帰りたい〉
 雨の日の沈んだ情景に失った恋物語を重ね合わせる。
 姫女自身の体験というよりも、そんな寂しげな
 女の心象風景を推し量ったのだろう。
 いずれにせよ姫女の想像力の豊かさ物語る。

     〈天使たちの時〉
 まさに今にも愛が成就しそうだが、それはその瞬間に
 限りなく近づいているだけで、
 決してそこに達することはない。
 でもこの曲を聴くものは、夢見るようにその瞬間を
 思い描き幸せな気分になる。つまり音楽によって
 姫女に魔法をかけられたのである。

     〈adieu〉
 こんなあっけらかんとした別れた方は
 現代はめづらしくない。
 ダンスが苦手な姫女も踊りながら歌える曲。
 姫女の余裕と遊び心から生まれた曲。
 日常の家事をしながらふと思いつき、
 それが終わる頃には
 きっと完成していたに違いない。
 "ピエロ"と"ラストシーン"に並ぶ。


     *  *  *  *


   才能は人によっては重荷となり、
   幸せの足かせとなることがある。


     *  *  *  *


  決して衰えることのない
  その心情の豊かさと情感の深さに満たされながら 

  姫女はいつも夢見ている
  遥か彼方の地平線を
  吹き抜ける風になることを

  なぜならそれは感じる心を錆びつかせる
  苦しみや孤独から開放させて
  くれるからである 

       *  *  *  *


   女性のシンガーソングライターのなかには魔女や
   妖精の末裔の者もいる。
   魔女の末裔は美声ではないが
   個性的で自己演出に長け、しかも時代の変化に
   敏感で計算高いので、
   大衆の求める楽曲を生み出すことが出来る。
   妖精の末裔は、声は子供のように幼く
   過剰な自己演出を好み、
   時代の変化や大衆の要請には無頓着で、
   自分の個人的な体験や
   欲求や感覚にもとづいた新奇性に
   あふれた楽曲を生み出している。

   だが姫女は夢の国の女王との間に生まれた
   天空の最高神の愛娘である。

     *  *  *  *


     *  *  *  *


[アルバム シューフルールから]

  前アルバムにおいて姫女は自分が理想とする自分の
  姿になかなかたどりつけないことを嘆いていたが、
  姫女が理想とする自分の姿とは
  どんなものなのだろうか?
  シンガーソングライターとして成功して有名に
  なって金持ちになるというは
  冗談にもありえないのだが、
  たとえば何かきついことを言われもすぐに
  落ち込まないような人間になることか、
  それとも何かを議論していて相手を論破する
  ほどの知識と話術を身に付けた人間になることか、
  それとも男性の前ではいつでも可愛らしく
  振舞えるような女性になることか?
  まあみんな違うことは確かなようだ。

     〈もっと自由に〉
 この曲には決して今の現状には
 満足してはいけないという
 姫女のひたむきな決意が現れている。
 何も成功しているのだからこれで良いのではないかと
 思うのだが。なんという健気な。それにこの曲には
 姫女が理想とする真実の自分の姿が
 表現されているような気がする。
     〈永遠の灯〉
  そしてこの曲には前作のように姫女が理想とする
  真実の自分の姿が表現されている。

  遥かなる愛 歌い続けて 私は風になる"

     〈愛を急がないで〉
   このあまりにも穏やか過ぎる歌い出しによって
   まるで魔法にかけるかのように瞬時にして
   その心を魅了する。
   姫女時折このような楽曲を生み出すのだが、
   それは何か特殊な発声方法でもなく
   普段何気なく会話をするときのような
   自然な声のままで歌っているからである。
   このような子守唄を歌う母親のような
   やさしい声に私たちは癒される。

  この曲を聴きながら私たちは心が洗われるような
  青春ドラマを見続ける。
  この愛に破局はない、
  たとえあったとしても遠い未来に
  そのことを懐かしく思い返せるようなものに
  なるだろう。

    ところがこの曲は次のような歌詞の挿入で
  ただならぬものになる。

  ・・・もしも遠い未来で今日を懐かしむとき
      二人 別の宇宙 すれ違っていても・・・

  別の星をすれ違うには長い長い時間を必要とする。
  でもそれが別の宇宙となると永遠に
  永遠をかけたくらい
  とてつもなく長い時間がかかるのである。
  別の宇宙とは宇宙が作り変えられることだ。
  前の宇宙と後の宇宙が出会うことは
  永遠に不可能なことなのだ。
  何故そのような永遠の不可能性が
  姫女の脳裏に浮かんだのか、
  奇跡なのか、それとも最高神の娘
  としてのなせる業なのか。

  この穏やかな恋愛は永劫のときをめぐり
  無限の空間を駆けめぐることになり、
  その不滅性が暗示されているのである。
  私たちの日常のどこにでもあるように青春の恋愛に
  普遍性と永遠性が付与され
  称ええられているのである。
  このわずかな言葉で。姫女はそんな大それたことは
  表現していないというかもしれないが、
  真正の芸術家というものは
  ときとして、それがあたかも他からの働きかけの
  ように無意識のうちに
  このような表現にたどりつくことがあるのだ。
  宇宙の本質は静寂である。
  こんな穏やかな楽曲が
  永劫と無限を飛び越えて宇宙そのものを
  包み込もうとしているのは少しも不思議ではない。

     〈白い世界〉
  もうたどりつけない恋愛の歌だけでは
  済まされな苦なっていた。
  恋愛が成就したときのヴィジョンが
  描かれているが、
  いまさら"さすらう二人"とは、いったい姫女は何に
  不安を感じているのだろう。

     〈ポプラ〉
   都会の風景に染まっていると、なぜか
   破局の原因はわからない、
   でもそれでも二人は別れなければならない。
   過ぎ行く都会の風景になじむように。
   姫女はそんな恋人たちに共感はするが、
   かつてのような悲壮感はない、むしろ軽やかだ。
   そして少しだけ笑みが浮かんでいる。

         〈Good-Day〉
   姫女は自己の更新を目指している。
   それもただ更新ではない。すべてを受け入れ
   すべてを包み込むような本来の鷹揚で
   開放的な自分にもどることに。
   まだ気づいていない
   最高神の愛娘としてふさわしいような。

       〈恋の行方〉
   恋愛のゴールはもうそこに見えている。
   もうすべての条件は整っている。
   でも限りなくそこに
   近づいているだけで決して到達することはない。
   そして恋愛の情熱だけがもえたぎる。

      〈宇宙の片すみ〉
   姫女にときおり現れる自分の弱さ。
   宇宙から見たらあまりにも小さすぎる自分。
   頼りげない自分。そんな自分を投げ出して
   誰かに頼りたくなる。
   それでも心の奥底では自分を求めて
   旅を続けようとするのだ。

      〈新しいスタート〉
   こんなに成功したのに姫女はいったい何が
   不満なのだろうか。
   いや、これは、いつも自由で歩き続けるには、
   古い自分を捨て、
   新しい自分に生まれ変わらなければ
   ならないという、
   姫女の自分の理想の姿を追い求め
   続けるからなのだろう。
   だからもう"電車"のような焦燥感も
   悲壮感もない。
   その朝姫女は決意を新たに胸を張って
   颯爽と歩いていたに違いない。

     *  *  *  *

     *  *  *  *

[アルバム ミストラルから]

     〈移ろいゆく想い〉
  誰もが最初はこんな経緯をたどり
  恋を失っていくのだろう。
  でも永遠を垣間見ませる青春の恋は
  なにものにも変えがたいのだろう。
  姫女の自由な才気を感じさせる曲と
  なっている。

     〈昨日よりも、今日よりも〉
  流星のように未来まで駆け抜ける
  愛の喜びが歌われている。
  この軽やかな曲調のため、
  おそらく誰もがそれが夢だと
  感じることなくそんな夢を見るに違いない。

      〈Heartbreak〉
  青春が過ぎ去ってしまったと思うものは、
  この曲を聴いて、青春の光が強ければ
  強いほどその影が濃くなっている
  ことに気づくだろう。
  姫女の巧みな魔術。

     〈MARIAGE〉
  もう手が届くところにまで迫ってきている
  恋の成就。
  夢想する愛の喜びは極限に達している。

     〈ミストラル〉
この曲は私にとってはずっと謎だった。
イベリア半島を吹き抜ける冷たい季節風である
ミストラルというタイトルも不思議だったが
歌詞にも何を表現したいのか判らないほど
まとまりのなさのようなものを感じていた。
男女の恋愛模様が取り上げられているは確かだが
この時期に前後して作られたような判りやすい 愛の破局劇でも夢想する愛の成就でもなさそうだ。
全体的には恋愛の喜びから大きくかけ離れ、
現実的な障害の前で躓き苦しむ
恋愛の不安が前面に押し出されている。
でも曲調はそのようなものとは正反対である。
最初から最後までのびやかで軽やかである。
そしてその情感は私たちが希望をいだいたり、
また何か勇気をもって決意をしたときに感じるような
清々しさや凛々しさのようなものをたたえている。
題名がアルバムのタイトルになっているくらいだから、
何か重要な意味がこの曲には
込められているに違いないのだが。

ではその歌詞をもう少し詳しく追ってみよう

      ミストラルの歌詞

   灼けつく太陽が 歩道を焦がしている
   さまよう二人を さえぎるように
   出会いの海が今 静かにざわめいてる
   あの日の想いを くすぐるように
   もう一度夢を 輝いていた日々を
   このまま二人 引き返したくはない
   今はまだ眠ってる
   未来にめぐりあいたい
   涙があふれるときも
   この手をはなさずにいてね

 恋愛を成就させるためには、私たちの周りには
 どうしてこんなに多くの障害が
 立ちはだかってるのだろう。

   はしゃいだ毎日と 不安を繰り返して
   二人はさすらう 運命の海
   悲しい夜ならば 私をそばにおいて
   つないだ指先 願いをこめて
   すべてを受けて 駆けぬける風になる
   こぼれた愛を そっと運ぶように
   今はまだ眠ってる
   未来にめぐりあうたび
   心を閉ざさないでね
   この手のぬくもりのままに
   すべてを受けて 駆けぬける風になる
   こぼれた愛を そっと運ぶように
   今はまだ眠ってる
   未来にめぐりあうたび
   心を閉ざさないでね
   この手のぬくもりのままに

 でもその障害を乗り越えることができるのは
 人間の本質だと知っている姫女は自分たちの
 愛を信じて未来に立ち向かうことを進める。

   今はまだ眠ってる
   未来にめぐりあいたい
   涙があふれるときも
   この手をはなさずにいてね


 このころまでに姫女は、恋愛そして
 その成就である結婚にいたるためには
 様々な障害があることに気づいていた。
 そしてその障害を乗り越えるためには、
 決して華やかさは必要でなく、
 信頼とひたむきでひそやかな思いがあれば、
 いいのだと思うようになっていた。
 なぜなら、その"恋愛そして結婚"というものを
 命あるものすべてが目指す究極の姿である
 というヴィジョンを姫女は自信と確信を
 もって獲得していたからである。
 もちろん姫女は天なる父の最高神の娘として、
 その体現者なのであるから、そもそもは
 姫女自身に備わっているものではあるが。
 そしてこの歌詞に強く表れている不安というのは
 姫女自身のものというよりは、自分の周りの
 恋愛で苦しみ悩む者たちへの姫女の
 強い共感のあらわれとみていいだろう。

宇宙はその無機的物質から意識を持つ
有機的生命へと進化しつづけ、
やがてその意識は最終形態である
男女の向かい合う性である恋愛へと、
つまり結婚へとたどりついた。
人間意識の最高形態でもある神々を
統率する最高神の愛娘である姫女が
恋愛と結婚へのヴィジョンに満ち溢れ、
あたかもそのヴィジョンそのものであるかのように
存在し続けることは至極当然なことである。 事実姫女は今まに恋愛や結婚をモチーフにした
楽曲をあふれるように創出してきた。

ここでいう"恋愛と結婚へのヴィジョン"というのは
生命の進化の本源的な意味や、その最終形態となる
意識の最高形態のことを言うのであって、決して、
"女性の結婚のあこがれというような"通俗的な
意味合いで言っているのではない。

そうするとこの曲の様々な疑問や不可思議さが
氷解する。姫女はこのころまでにはもう
"恋愛や結婚"の意味を単なる"単なる若い女性のあこがれ" としてではなく、その本源的な意味としてつまり、
生命の進化の最終形態としての意識の最高形態
であることを獲得していたのである。
もちろんこれは天なる最高神の娘である姫女に
もともと備わっていたものであるが。
いや姫女そのものが
その意識の最高形態の現われに他ならないが。

ここでこの曲のが生み出された時の姫女の
心情的背景をまとめるの次のようになるであろう。

このような意識状態に達していた姫女からして、
この曲が生み出された時の姫女自身の心情的背景
をまとめるとおそらく次のようになるだろう。

ありふれた日常風景のように、
思いがけない障害のために恋愛から結婚へとは
簡単にはつながっていかないことに苦しみ悩み、
未来に不安を抱いている者たちを実際に目の当たりに
しながら、なぜそうなるのかもう十分すぎるくらいに
その原因がわかっている姫女はそのような
不安に苦しむ者たちへ共感のいまなざしを投げかける。

そして意識の最高形態の体現者としての姫女は
"恋愛と結婚"に対するそのゆるぎない
信念に支えられながら、
それが本来人間の目指すべき究極の目標であり
希望であるのだから、たとえどんなに不安な気持ちに
押しつぶされそうになっても今の自分たちを信じて強い
気持ちで前に進むことを励まし続けている。
それがこの曲の情感の世界なのであろう。

PVでスペインの草原で両腕を広げ
風を全身に受けている姫女の姿そのものが
そのことを象徴的に示している
不安をものともしない
勇気や決意に支えられた
未来への限りない希望の広がりを

  ついに姫女は安易な愛の成就を飛び越え
  その先の真の愛のヴィジョンを獲得した。

    〈プロローグ〉
  こんな姫女も珍しい。破局をこんなにも
  軽やかに歌うとは。
  時代の若い女性たちの感性に
  対応したのだろうか。

     〈告白〉
  この曲を聴いてどれほどの女性たちが
  告白の勇気を得たことか。
      〈さかまく未来〉
  姫女の曲作りはきっとこんなふうにして
  はじまるのだろう。
  何気ないありふれた日常の風景を
  目にしているとふと情感があふれるように
  沸き起こり、それが曲想となって頭に浮かぶと、
  それを何日かかけて熟成させながらやがて
  歌として醸成させていくのだろう。
  この曲には今自分が恋愛をしていることを、
  誰かに知ってもらいたいような
  希望と喜びに満ち溢れている。

      〈ミッドナイト・ブルー〉
  ときおり理由もなく姫女は落ち込む。
  でも心を開放している限り、
  この世界この宇宙で起こるあらゆる
  ことが洪水のように姫女の心の内奥にまで
  押し寄せてきているのだから、
  それは仕方がないことだ。
  それにもかかわらず姫女は
  いつでも希望の光を見出そうとしている。
  何とひたむきで健気なことか。





    最終章に続く




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