真実の人 香坂先生へ
公正のために、正義のために、一日も早く真実が明かされ、一日も早く先生の名誉が回復されることを心から願っています。
わたしは香坂先生が勤務している南高校の女子生徒で、名前は有栖川理香といいます、二年生のセブンティーンです。おそらく、たぶん、先生はわたしのことご存じないと思います。なぜなら先生の授業、歴史の授業(世界史の授業は三年からですから)を受けたことがないからです。(確か先生の専門は西洋史でしたね。大学では近代西洋史を選考され、特に十九世紀の産業革命について研究されていましたよね。)でも、仮に先生の授業を受けているからといっても、すべての生徒のことをいちいち覚えていてくれるとは限りませんよね。担任でもないのですから。それなら先生がわたしのことを知らないのは当然といえば当然のことでしょうね。
ただ、わたしが、「おそらく、たぶん、」とあやふやに言ったのは、もしかして、先生があの日の朝のことを覚えていてくださればというひそかな期待感があったからです。覚えてないですよね。覚えているわけないですよね。しょせんわたしは、千何百人もいる生徒の中の一人に過ぎませんからね。
ああ、でも、わたしは世界中で一番(先生の家族を除いて)先生のことを知っているのでないかと思っています。あっ、こんな緊急のときに訳のわからないことを言ってどうもすみません。本当にすみません。今は一秒たりとも無駄にできない大切なときなのです。今は一刻の猶予もならない貴重なときなのです。
今マスコミは言いたい放題です。特にテレビのワイドショーはひどすぎます。その攻撃的な言葉や表情を見たり聞いたりするたびに、わたしは気が滅入って悲しい気持ちになります。わたしはどうしてもマスコミの報道を信じることはできません。あれは嘘です。でたらめです。視聴率を上げるために、面白おかしく大げさに取り上げているだけだと思います。でも、このままだと、世間の人々はマスコミの言うことを信じて、先生が本当に罪を犯したということになってしまいます。ですから、そのためには一日も早く真実を明らかにしなければならないと思っています。
わたしは先生のことを信じています。先生はそんなことをする人ではありません。先生は正しい人です。いわゆる今回の事件は、あれは何かの間違いだと思います。あれはわたしから見れば事件というよりは、出会い頭の交通事故のようなものだと思います。絶対に事故です。ただ、わたしは本当のことを、真実を知りたいのです。そして、そのことを、わたし自身の力で(なにせマスコミは本当に当てになりませんから)世間の人々に知らせたいのです。そして、先生にかかっている疑惑を晴らしたいのです。ですから、そのためには一刻も早く先生に真実を語っていただきたいのです。本当にお願いします。 今回のこと、わたしはまず新聞で知りました。(わたしは、朝、学校に行く前よく新聞を読みます)心臓が止まるくらいびっくりしました。夢を見てるのかなと思いました。とにかく信じられませんでした。
有名な高校教師 歓楽街 女子高校生を切りつける 生徒に人気 人望が厚い 優秀論文発表 ボランティア指導員 生徒の良き相談相手 教育委員会では、、、、確かこんな見出しと内容だったと思います、というのも、新聞は朝一度読んだきりで、再び手にしていませんから。
わたしはこの記事を読んだあとで、どうしても納得ができなかったので、心臓をどきどきさせながら、「これは本当のことなの?これはどういうことなの?」と質問しながら、父と母に新聞を見せました。 父、四十五歳は、新聞を読み終わっても、ほとんど表情を変えませんでした。そして、それほど関心を引かなかったのか、これといって何も話そうとしませんでした。母、三十二歳は、「しょうがないわねえ。」といったきりで、その後、その記事のことにはいっさい触れようとはしませんでした。
なにか変でした。おかしいのです。というのも、わたしの父と母は本当はそういう人ではないのです。わたしの両親は、社会の出来事や政治のことや子供の教育にとても関心のある人たちなのです。それでよく家族同士で政治について話し合ったり、なにか事件があったときには、そのことについてよく話し合ったりします。そのとき両親はわたしのことを尊重して、わたしの言うことを一人前の意見としてきちんと聞いてくれます。ただし、弟は別です。なにせまだ十二歳ですから。でも、それなのに、知ったかぶりして、わたしたちの話に割り込んできます。まだ何にも知らない癖にと思うと、ときどきむかつきます。ですから、わたしはそんな両親をとても尊敬しています。大好きです。それなのに、今回のことについてまったく触れようとしないのはとても不思議なことなのです。
わたしは学校に行きました。学校中が絶対に先生の噂で持ちきりだと思っていました。ところがそうではないのです、普段と何にも変わらない雰囲気なのです。わたしは、みんなは朝から新聞など読む人たちではないから、まだ知らないのだろうと思いました。しかし、そのうちに情報が飛び込んだ来て、蜂の巣をつついたような騒ぎになるだろうと思いました。ところが休み時間になっても、昼休みになっても、いっこうに先生のことは話題に上りませんでした。もちろんどの先生方も今回のことについて一言も触れませんでした。ですから普段どおりに淡々と授業は進められ、そして普段どおりに終了しました。静かでした。わたしにとっては、学校はいつもと少しも変わらないのに、気味が悪いくらいに静かに感じました。そしてあまりにも普段どおりなので、今朝新聞で読んだことは、夢だったのかと思ったくらいでした。
放課後。わたしはさっそく、先生が顧問をしている未来女性研究会の部室に行って見ることにしました。やはり静かでした。不気味なほど静かでした。そして、以前は掲げられてあった部室のドアの横の表札がなくなっていました。カギもかかっているようで中からは物音ひとつ聞こえてきませんでした。暗い予感がわたしの心の中にだんだん広がっていくのが判りました。それでもわたしは、まだ半信半疑でした。かすかに希望を抱いていました。そこでわたしは研究会の部長をしている三年の星川深雪さんを急いで探しました。直接に、本当になにがあったのかを聞こうと思ったのです。見つかりました。帰るところでした。わたしは思わず星川さんの前に立ちふさがり、いきなり話しかけていました。「新聞に出ていたこと、あれは本当のことなのですか?嘘ですよね。これからどうするんですか?星川さん香坂先生のことを信じていますよね。」って。でも星川さんはわたしに目を向けることもなく、まったく取り合ってくれませんでした。(星川さんに無視されるのはこれで二度目なのですが)というより、先生の事に触れられることがとても迷惑そうでした。わたしは、わたしの心の中で膨らみ始めていたくらい予感がどんどん大きくなっていくのが判りました。
わたしは急いで家に帰りました。そして、午後のワイドショーの時間だったので、恐る恐るテレビをつけました。すると、「とんだ指導員、 なにを血迷ったか、 羊の皮をかぶった、 教育界に与える影響、 信頼の失墜、 ハレンチ極まる、 」などと、テレビのレポーターが警察署の前から報告していました。そのときわたしは、まだ先生の名前を確認していませんでしたが、きっと、先生のことを言っているのに違いないと思い、どきどきしながら思わずスイッチを切ってしまいました。でも心臓のどきどきは止まりませんでした。二三分ほどして、いや、もしかして先生のことではないかもしれないと思うようになり、確かめなければと、ふたたびテレビをつけした。そしたら今度は、前よりも一段と、いやらしい言葉を使い、まるで自分が見てきたかのように、しかも、まるで先生が極悪人であるかのように、恥ずかしくなるような身振りを交えながら、今回のことを事細かに描写しては、先生のことを口汚くののしり、非難していました。そして、「この香坂容疑者は、、、、」という話になったとき、わたしはふたたびテレビを消してしまいました。そのときの反応は早かったです。一瞬のことでした。その後、もう一生テレビなんか見るもんかと思ったくらいです。暗く絶望的な気持ちの中で、わたしは今度こそ、これは夢ではない、本当のことなんだと認めざるを得なくなりました。でも、ところがです。しばらくすると、ふと、これは何かの間違いよ、こんなことはあるはずがないと思うようになりました。そして、いつのまにか、家を飛びだし、全力で走っていました。いや走っていたようです。いや本当は走っていません。なぜなら、わたしは他の人のように思うように走れないからです。たぶん全力で歩いたのだろうと思います。というのも、そのあいだのこと、家から警察署までのことはあまりよく覚えてないからです。気がついたら警察署の中にいたという感じでしたから。要するにわたしは、夢中で全力で先生のいる警察に向かったのでした。
今になって冷静に考えれば、すこし無謀ではなかったかとちょっと反省をするのですが、それまでの、大人しいわたしには考えもつかなかったような大胆なことを思いついたようです。どこにあんな行動力がわたしに隠されていたのか驚くほどです。わたしは警察にいる先生にお会いして真実を聞こうと思ったのです。先生はこんな人ではない、何かの間違いである。という信念から、先生に直接お会いして、先生の口から真実を聞いて、世間の人々に知らせようと思ったのです。先生の疑いを晴らすのはわたししかいない。先生をマスコミや世間から守るのはわたししかいないと、本気で思ったのです。とにかくわたしは無我夢中でした。真剣に自分にはできると信じていました。
警察の受付の人に、わたしは単刀直入に言いました。「南高校の有栖川理香です。真実を知りたいのです。香坂先生に合わせてください。先生は無実です。先生はそんな人ではありません。立派な人です。人格者です。」と。すると受付の人は、きょとんとしてよく意味がわからなかったようです。たぶんわたしが興奮していて少し早口でしゃべったからでしょう。でもすぐに「ああ」と言いながらうなづき、笑顔でやさしく、「そこの椅子に腰をかけて待っててください。」と言いました。
椅子に腰をかけて待つあいだ、わたしは色々なことに気づきました。表の騒々しさに比べて中は意外と平静であったこと。そして、警察というところは、いつも緊張感にあふれていて怖いところかと思っていたのですが、署内の人たちは表情がやわらかく、なかには笑顔で話している人たちもいて、なんか気が抜けたような、がっかりしたような変な感じでした。ただ、だんだんわたしの緊張が解けていくのがわかりました。しばらくして、係りの人がやってきて、ついたてで周りがよく見えないところに案内されました。そこで詳しく話を聞かされました。なぜか係りの人はわたしの言い分をニコニコしながら聞いてくれました。それは、今回のことは、マスコミがセンセイショナルに取り上げるほどの大した事件ではないかのようでした。最後に、係りの人はこう言いながら親切に教えてくれました。「会うことはできませんよ。でも、手紙ぐらいは渡してあげますよ。」って。
先生がこんなに困っているときに、わたしのような何の力もない、見ず知らずの一女子高生が、手紙を差し上げることは、励ましになるどころか、かえって心の負担となって煩わせるだけのことになるのではないかと不安でしたが、でも、わたしは真実を知りたいのです。そして、世間の人々にそのことを知らせて、一刻も早く先生の名誉を回復してあげていのです。ぜひ、ご返事をお願いします。真実を教えてください。わたしは先生のためならどんなことでもします、わたしにはできるのです。
先ほど、わたしは、先生のこと世界中で一番知っているのではないかと書きましたが、それにはちゃんと訳があるのです。
わたしが先生を知ったのは、去年の春、南高校に入学してすぐのことです。確か四月十二日の朝のことだったと思います。わたしがいつものように校門をくぐって歩いているときに、後ろのほうから「おはよう。」という男の人の声が聞こえてきました。わたしはいつも重いカバンを手に持って歩いているので、どうしても前かがみになり、下を向いて歩かなければならないのです。それで、その声の人は誰なのか、いったいその人は誰に声をかけたのかが判りませんでした。それに、それまでは、歩いているときに声をかけられるようなことはまったくなかったので、わたしなのだろうかと思う反面、いやわたしではない、きっと他の人に違いないと思いました。でも、なんとなく気になり、前を見、横を見ましたが、誰もいません。そこで、からだのバランスを崩さないようにして後ろを見ると、やはり誰もいません。ただ、校門のわきに香坂先生が一人立っていました。そして笑顔で、わたしのほうを見てこう言いました。「元気を出して。」と。元気って、わたしはいつも元気よ、って。そのときは少し反発を覚えながら再びそれまでのように歩いていました。でも、わたしが下を向いて歩いていたので、元気がないように見えたのも仕方がないかなと思いました。そして、そのうちに、だんだんとてもうれしくなってきたのです。なぜか不思議なほどうきうきした気分になりました。こんな些細なことで、こんなに楽しい気分になるなんて、自分でも信じられないくらいでした。
その日からわたしは、先生のことについて調べることに夢中になりました。学校の勉強の次に夢中になりました。もちろん一人でひそかに調べました。なぜなら、他にも先生のことを素敵とか格好良いとか言う女生徒がいたからです。だが、彼女たちは、先生の外見的なものに惹かれて騒いでいるだけで、わたしから見れば、それは、不純で軽薄以外の何者でもありません。わたしはそういう彼女たちと一緒にされたくありませんでしたから。もちろん先生は格好よく素敵だと思います。それに、正直言って、先生が人気あるということは、なぜか嬉しいことでした。
そして次のようなことが判りました。名前は香坂正義。年齢二十七歳。担当教科世界史。それから、出身地、出身大学、家族構成。現在駅の近くのアパートの一階に一人で住んでいることなどがわかりました。そういえば一度だけ、わたしが家に帰る途中に、少し遠まわりをして、先生のアパートをこっそりと見に行ったことがあります。
駅に近い割には静かな雰囲気のところでした。真新しい二階建ての清潔感にあふれたこじんまりとしたアパートでした。小さな庭のプランターには、春の美しい花が咲いていて、先生にはふさわしいところだと思いました。でも、なぜか干してある洗濯物につい目が言ったのを覚えています。
その他ににも色々なことが判りました。身長や体重や好きな食べ物、好きな女性のタイプなども。それにもっとも大事なことも判りました。それは先生が、未来女性研究会の顧問をしているということです。最初先生が世界史を教えているということを知ったときは本当にがっかりしました。なぜなら世界史の授業は三年からなので、後二年待たなくてはならないと思ったからです。でも、未来女性研究会に入れば、すぐにでも先生に会えると思いました。
わたしは体育系は初めからだめだと思ってましたから、その研究会が具体的に何を研究しているのかも、ろくに調べもせずに、とにかくまず、入ることだけを考えました。そして部室の前まで行ったのですが、どうしても中に入ることができませんでした。先生と三年の(当時は二年)星川深雪さんが笑顔で話しているのを目にしたからです。他にも女子生徒がいたと思いますが、でも、なぜか、わたしの目には、二人の姿しか入ってきませんでした。それは他のものが(わたしを含めてですが)まったく入り込む余地のない美しい世界の光景のように見えました。二人は輝いていて、あまりにもお似合いのようにうつりました。わたしは気後れしてしまったのです。そして、なにも出来ずに、その場から引き返してしまいました。
星川さんは本当に美しい人だと思います。成績も優秀だそうです。
その後、先生については、先生が新聞に投稿された投書を読んでさらに詳しく知りました。だいたいの投書の内容は、現代のマスコミは、高校生のだめところや悪いところばかりを取り上げているので、ちゃんと社会に関心をもち前向きに生きている高校生もいるというところを、もう少し取り上げてほしいというものでした。その通りだと思いました。同感でした。
次に先生についてさらに詳しく知ったのは、先生が顧問していらっしゃるあの研究会が発表したものが、コンクールにおいて文部大臣賞の優秀賞のひとつに選ばれたときのことです。これは八十パーセント以上は、先生の指導によるおかげではないかと思います。
次に先生についてもっと詳しく知ったのは、ある有名な教育財団が公募した懸賞論文で、先生が最優秀賞に選ばれたときです。学校内ではそれほど話題にならなかったようですが、わたしは自分のことのようにうれしかったです。わたしはひそかにその論文を手に入れて読みました。わたしはその内容のすべてに共感しました。特にわたしたちが大人になっている二十一世紀の新しい女性の生き方や、新しい男女関係のあり方についての内容は夢のように感動的でした。
要約すると、確か次のような内容でしたね。
二十一世紀には、今日よりももって民主的だ公正な社会が実現しているだろう。それと共に女性を物や道具と見る社会風潮もいっそうされ、女性差別を禁止するあらゆる法律や社会環境が整備改善され、男性と女性が、政治の場でも職場でも、家庭の中でも、より対等な関係になっているだろう。そして長いあいだ理想とされてきた一夫一婦制が完全な形で大多数の人々のあいだで実現しているだろう。ただし、人々が何もしないでいて自然とそうなるのではなく、人々が今以上に社会や政治に関心をもって、健全で明るい社会の実現に向かって日々努力しなければならなく。そして、今の若者は、大人たちから、気力がないとか何を考えているのかわからないとか、色々と批判されてはいるが、ほとんどの若者はそのためには決して努力を惜しまないだろうというものでしたね。
先生の本当の姿、本当の素晴らしさがあらわれている論文だし思いました。非難ばかりするだけの他の大人たちと違って、今の若者たちを信頼し、その気持ちや悩みを心から理解し、決して見放さないという先生の暖かい思いやりが、論文のいたるところにあふれています。先生ははっきり言って他の先生方とは違うと思います。きっと人並み以上に本を読み勉強をし、人とは違った何か特別の努力をなされた方だと思います。先生はこんな学校でくすぶっているような方ではないと思います。
もうこれで十分ではないでしょうか。もうこれで先生は無実であることが十分に証明されていると思います。先生があのようなことをする人ではないということを何度でも言いたいのです。声を大にして言いたいのです。ですから今回のことは絶対に何かの間違いです。わたしはふと、先生の華々しい活躍をねたんだ誰かが、先生のことを落とし入れたのでないかと思うときもあります。もしそうだったら、先生負けないでください、戦ってください。
でも、これは、もちろんわたしが、テレビニュースの半分を信じての話ですが。先生が善意で注意したのに、それを逆恨みした不良女子高生が暴力的な態度に出たために、それを抑えようとしたはずが、何かにはずみで思わず傷つけてしまった。そうでしょう、香坂先生。絶対にそうだと思います。それなににマスコミは一方的で、間違った報道をしています。
なぜ、警察やマスコミは、夜の繁華街で、ミニスカートなどはいてチャラチャラした不良女子高生の言い分だけを聞いて、先生のように立派な仕事をなされ、名声もあり、ボランティアなどで社会に貢献している人の言い分を取り上げないのでしょう。なにか変です、とっても変です。変といえば、今日一日のわたしの周りの人々もみな変でした。こんなに大騒ぎをしているのに、校長先生を始め、他の先生方も今回のことに関して一言も触れようとしませんでした。生徒たちもまったく話題にしませんでした。朝のニュースを知らなかったせいもあるでしょう。それでも少しぐらいは話題になってもいいはずでした。もうあきれるほどの女子高生の無関心さなのでしょうか。ですから、何事もなかったかのように授業は進み、学校もいつもと変わらぬ雰囲気のまま終了したのも無理からぬことなのかもしれません。変といえば、香坂先生はまだ悪いと決まってないのに、未来女性研究会が存在していなかったかのように、廃部にしようとする雰囲気にあるのは明らかに変です。星川深雪さんの態度も変でした。あれは明らかに先生とはもう関係がないという態度でした。わたしにはどうしても、その豹変振りが納得できません。みんな面倒なことには関わりたくないという態度が見え見えです。
警察も変でした。表ではあんなに大騒ぎになっているのに、係りの人には緊張感がなく、真剣さはあまり感じられませんでした。変といえばわたしの父と母も同様です。前にも言いましたが、わたしの両親は社会の出来事や政治や教育にとっても関心があり、積極的に意見を言う人たちなのです。それなのに今朝の両親の態度にはわたしは納得ができません。他の大人たちとは違っていたはずなのですが。
わたしが今こうして生きていられるのは本当に両親のおかげだと思っています。わたしは生まれたときから体は小さく病気がちで、小学校に入るまでうまく歩けませんでした。小学校に入っても色々な病気のため、休みがちになり、体力もだんだん弱まっていき、勉強にもついていけなくなりました。でも、わたしの父は、それまで勤めていた会社をやめて、自由な時間をより多くもてる仕事につきました。それは自由にいつでも、わたしに勉強を教えたり、わたしの健康を維持し体力の回復をはかるために、わたしとて一緒に遊んだり運動するためでした。とにかくそのころはわたしを中心に生活が動いていたようです。そのおかげで人並みに歩けるようになり、勉強も遅れるようなことはなくなりました。そして十分に小学校に行けなかったにもかかわらず、無事中学校に入ることが出来ました。でも、その当時のことは、正直言って、実際、つらく苦しかったです。とにかく初めのころは、勉強も運動も嫌で嫌でたまらなく何度も泣き出したことがありました。でも両親の励ましや慰めの言葉によって、なんとか続けることが出来ました。そのうち徐々に両親はわたしのためを思ってやってくれているんだなあと強く思うようになりました。そして勉強も運動も楽しいものに変わっていきました。ですから中学校に入ってからの嫌なこともそれほど苦にはなりませんでした。たとえばいじめなどですが、わたしは集団でいじめにあったことはありませんでしたが、よく聞こえよがしに容姿のことを言われたりからかわれたりしました。でも、決してめげませんでした。つらいことや苦しいことに慣れていたせいもあるでしょうが、なんと言っても、父と母の言葉がわたしをがんばらせたのだし思います。あるとき父と母は口をそろえたようにわたしに言いました。
「学校が嫌ならいつでも止めても良いのよ。また小学校のときのようにわたしたちが教えてあげますから、一緒に勉強しましょう。」って。また次のようにも言ってくれました。
「これからの時代は、女性一人でも生きて行けるように、たくましさを身に付けなければならないの、そのためにはうんと勉強をしなければならないの、勉強さえしていればなんにでも成れるのよ。」と。また次のようにも言いました。
「なるなら社会に役に立つ職業が良いわね。理香ちゃんは頑張りやだから医者か弁護士がふさわしいんじゃないかしら。」と。 ですから、その後なにがあってもつらく感じることはありませんでした。いざとなったら、わたしには、誰よりもわたしのことを大切に思ってくれている両親が、いつも見守ってくれていると思うようになったからです。
いじめについてはもう少し言いたいことがあります。わたしは中学校に入るといじめに会いました。でも、わたしの場合、マスコミで報道されるように、集団で無視されたり暴行を受けたりするというひどいものではありませんでした。毎日のように笑われたりからかわれたりするといったようなものでした。それは、わたしのことを名前でいわずに、あだ名で言ったりわたしの容姿や動作を表現して言うものでした。たとえば、チビとかホームベースとか、がに股とか、鏡のない国のアリスなどと、ひそひそと言う者もあれば、すれ違いざまに聞こえよがしに言うものなど様々でした。またあるときには、わたしの歩き方の真似をして、笑っている人たちを見かけたこともありました。またあるときには、わたしがみんなの前で意見を言ったりすると、意地悪そうな目で必要以上にわたしのことをジロジロ見ている者もいました。それはまるで、わたしが意見を言うことが、意外だ、信じられない、許せないと言わんばかりに、不満そうな表情にあふれていました。それでもわたしは負けませんでした。学校に行けなかったころのつらさに比べたらたいした苦痛ではなかったからです。
それに笑いたいやつは笑えからかいたいやつはからかえと、半ば開き直っていましたから。そういうなかでも、いじめが執拗で悪質なときは、わたしは近づいて行って、文句があるのかと言わんばかりに睨み付けました。すると、そいつらは「怖い、怒られた。」とか言って、笑いながら逃げだすのです。本当に頭にくるというか、憎たらしいというか。でも、それだけなのです。それでおしまいです。わたしはなぜか他のいじめられっこのように自分を追い詰めませんでした。たぶんわたしには、そんなことにはかまっていられないという思いが心の片隅にあったのかもしれません。なぜならわたしの健康は完全に回復しているわけではなかったからです。いつまた悪くなるかもしれなかったのです。それでそんなことにエネルギーを使っている余裕はなかったのです。わたしには医者か弁護士になる夢があります。はっきりとした目的があります。その目的のために健康な今の時間の一分一秒を惜しんで一生懸命勉強しなければならないのです。わたしはあなたたちとは違うのですといつも思っていました。そして、一生懸命勉強するということには、同時に、わたしは肉体的には明らかにいじめっ子にはかなわないので、成績で上位に立って見返してやるんだという意味が含まれていました。そして、事実その通りになりました。そのときの優越感はなんとも言えないほど心地よいもの出した。その後、わたしに対するあからさまないじめは、だんだん少なくなっていきました。
ついでに少し付け加えたいことがあります、いじめから抜け出せない人たちについての感想です。わたしに対するいじめがそれほどひどくなかったというせいもあるでしょうが、どうしてもいじめから抜け出せない人たちは、自分から進んでそういう状態に陥っているように感じます。でも、なんと言っても、わたしがいじめを乗り越えることが出来たのは、どんなことがあっても、わたしの父と母がわたしの背後から、わたしのことをずっと見守っていてくれているという思いがあったからです。
ところで、これは今回のことやいじめとはまったく関係がありませんが、変な話のついでに、不思議といいますか、不可解といいますか、なんとも奇妙なさびしい体験について書かせていただきます。
今年の六月。先生が指導された未来女性研究会の研究論文が、文部省が主催するコンクールで優秀賞を受けられましたね。そのときわたしは、なにがなんでも今度こそ絶対に入部するぞと決心しました。二日後に校内で、受賞報告をかねて、その研究論文の発表会があるということだったので、その日まで待つことにしました。
その日、わたしは、星川深雪さんの立派な発表態度や、研究論文の内容に感激したせいか、報告会が終わるとすぐわたしは、星川深雪さんの後を追いかけていました。一刻も早く入部したかったのです。星川さんはすでに女性とたちに囲まれ楽しそうに歩いていました。追いついたわたしは、興奮していたさと思います、思いつめていたと思います、周りの女性とたちを押しのけるようにして前に出ると、いきなり言いました。
「大変素晴らしい報告会でした。感動しました。わたし入部したいのです。お願いします。」と。しかし、星川さんがわたしに目を向けたのはほんの一瞬でした。そして、わたしが目の前に存在していないかのように、周りの女性徒たちと、中断された話を再び続けながら歩き始めました。だも、なぜかわたしは、それ以上何もすることが出来ませんでした。群れをなして移動していく星川さんたちを呆然と見送るだけで、もう追いかけることは出来ませんでした。
そのとき、わたしには、それが希望に満ちた華やいだものではなく、冷たく寂びしい悲しい光景のように映っていました。というのも、わたしはほんの一瞬でしたが、星川さんのわたしを見る目に、形容しがたいものを感じたからです。それは予想もしなかったことでした。信じられないことでした。星川さんの目は、わたしをいじめた人たちとはまったく違うものでした。いしめっこには、意地悪そうな生意気そうな憎たらしそうな、はっきりとした感情が表れていました。でも、星川さんの目は冷えた目というか、感情のない目でした。それはまるでテレビカメラを知らない人がテレビカメラを見つめるような目でした。あのときいったいなにが起こったのでしょうか。だれか悪かったんでしょうか。わたしにはよく判りません。ただ、星川さんは冷たい人でないことは確かですから、話の輪に突然入り込んだわたしが悪かったのかもしれませんね。結局わたしは再び入りそびれました。なんか今回のこととは直接関係のない余計な話だったかもしれませんね。こんな大変なときに本当にすみませんでした。
ああ、ようやく夜が明けてきました。長かったというか短かったというか、でも、先生への大切な手紙を何とか書き上げることが出来そうです。うまく書き上げることが出来るかどうか本当に不安でした。なぜなら、夜の恐怖とも戦わなければならなかったからです。本当に怖かったです。なにせ、徹夜するのは始めて手下から。今も弟の金属バットをひざの上においてあります。深夜の家の中がこんなに怖いとは思いませんでした。突然、誰もいないはずの居間のほうからパシャッと音がするのです。心臓がどきどきするのです。その音が気になって何にも手につかなくなるのです。そこでわたしは居間に行き、ありったけの電気をつけて、音の原因を調べるために、居間中を目を凝らして見まわすのです。そして、それでも判らないので、今度は部屋の隅から隅まで、かがんだり、はいつくばったりして、徹底的に調べるのです。そのかんは、ただひたすら、ゴキブリが出てこないことだけを願っていました。結局、その音の正体は分かりませんでした。でもふと気づきました。ああ、もしかしたら、金魚かもしれない、水槽の金魚がはねたのかもしれない、きっとそうに違いない、氏と思うと、なんとなく安心して再び手紙に取り掛かることが出来るようになりました。しかし、しばらくすると、今度は家の外のほうから、コツコツと誰かが歩くような音が聞こえてきました。またどきどきしました。ふたたび何も手につかなくなりました。そこで、窓のカーテンをそっと押し広げて外を見ました。しかし、その後いつまでたっても、誰の姿も、何かが現れるような気配もありませんでした。そこでわたしは、よく家の周りを近所の猫がうろついているのを見ていたので、あっ、そうか、きっとそうに違いないと思うようになりました。するとまたなかとなく安心して、再び手紙に集中することが出来るうになりました。そのうちに今度は、家のあっちこっちから、ビシッ、ビシッという音が聞こえてきました。でも、今度はそれほどびっくりしませんでした。まあ、何かの音だろう。音もする時はするんだ。それに幽霊に人が殺された話は聞いたことがないと思うと、それまでのように何も手につかなくなるというようなことにはなりませんでした。しかし、深夜二時を過ぎたころでした。どうにも耐えられない物音が聞こえてきました。それは家の中を誰かがミシッミシッという音を立てて歩いているような感じでした。それは聞こえるか聞こえないかのかすかなものでしたが、決して気のせいでありませんでした。家族のあしおとではないことはハッキリしています。家族のものならもっと大きいはずですから。わたしは寝てる弟の部屋からバットを持ち出し、家中の電気をつけ、恐る恐る、しかし、誰かがいたら戦う覚悟で、家の隅から隅まで調べまくりました。でも、結局、その音の正体をつかむことは出来ませんでした。その後も何度かその物音は聞こえてきました。そのたびに、わたしは、部屋にカギをかけ、布団をかぶって寝てしまえば、どんなに楽かもしれないと思いました。でも、どうにかして先生を助けてあげたいという思いと、ずっと左手で握っていた弟の金属バットで、どうにか恐怖を乗り越えることが出来ました。でも、もう何があっても安心です。外の景色がハッキリとわかるくらいに明るくなってきました。先生への大切な手紙を書き上げることができそうです。いまは満足感でいっぱいです。
ようやく手紙も終わりに近づいてきました。一分一秒を惜しんで、先生の励ましになることだけを、先生の手助けになることだけを書かなければならないという大事ときに、わたしの個人的なことや、家族のことや、その他関係無いことを、ダラダラと書いてしまったことを本当にお詫びします。この手紙が先生を困らせたり、とまどわせたり、また先生の心の負担にならないことを心から願っています。
わたしはすでにもう何度も言いましたが、でも、何度でも言います。わたしは先生の無実を信じています。あれは事件などではなく単なる事故です。なにかの間違いなのです。偶然の出来事です。もしかしたら、誰かが先生を陥れようとしたのかもしれません。わたしは、まじめそうで整った顔をしている先生がそんな人ではないことは誰よりも知っています。先生は正しい人です。理想を持っている誠実な人です。先生はボランティア活動などで社会に貢献している立派な人です。先生は未来への考えをしっかりもっている人です。先生は他の先生方よりも、はるかに生徒のことを思い、生徒に信頼されている人です。マスコミは先生の真の姿を知らないのです。きちんと調べもしないで、ただ視聴率を上げるために、真実を捻じ曲げて面白おかしく報道しているのです。このままでは先生はほんとうに悪者にされてしまいます。ほんとうに危ないです。一刻の猶予もならないのです。わたしはなんとしても世間の人々に先生の真実を、今回のことの真実を知らせたいのです。そして、先生にかけられている疑惑を晴らしてあげたいのです。そのためには、先生からの、真実について語られた言葉、お手紙がぜひとも必要なのです。お願いです。こ迷惑かもしれませんが、絶対にご返事ください。それさえあれば、わたしは絶対に世間の誤解を解き、先生の無実を証明することが出来るのです。わたしには自信があります。またそれが出来るのはわたししかいません。なぜなら、わたしは心から先生の無実を信じているからです。わたしは世界中の誰よりも先生の真の姿を知っているからです。
わたしの周りの大人たちは、みんな今回のことについてはあまり触れたがらないようです。面倒なことには関わりたくないという、事なかれ主義でしょうか。でも、わたしにとっては何でもありません。先生のためならわたしには何でも出来るのです。真実を求める気持ちがそうさせるのでしょうか。だって、現にいま、そのおかげで、夜の恐怖を乗り越えることが出来たのですから。もう、わたしは、先生をののしったり非難する、耳を覆いたくなるような言葉を聞いて、悲しい思いをしたくありません。
最後にもう一度お願いします。先生への疑いを晴らすために、世間の人々に真実を知らせるために、ぜひご返事をください。心からお願いします。
公正のため、正義のために、一日も早く真実が明かされ、一日も早く先生の名誉が回復されることを心から願っています。
わたしのような見ず知らずの者の手紙に貴重な時間をさいて下さいまして本当にありがとうございました。
世界でいちばん先生を尊敬している女子生徒 有栖川理香より
真実の人 香坂先生へ
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