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    風の詩(第一部)



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          千田 優




       風の詩(第一部)


   *  *  *  *  *  *  * 


          序章


 地球はその歴史を西暦紀元に始まり、
その紀元ごとに繁栄と衰亡を繰り返しな
がら、現在第七紀元の繁栄前期に至って
いる。
 どの紀元においても、繁栄は人間の輝
かしい英知と底知れぬ欲望によるもので
あったが、発展の要因はさらなる発展へ
の阻害要因になるといわれているように、
衰亡の要因も主にそのような人間の英知
と欲望によるものであった。
 簡単に言うと文明の発達による人口の
増加によるものであった。
 どの紀元においても、人間社会の発展
は例外なく人口の増加をもたらし人間社
会に様々な問題を引き起こした。
 もちろんそれを解決するは人間の英知
なのではあり、初めの頃は、それで十分
対処できたのではあるが問題が複雑で大
きくなると、もはや人間の知恵や技術だ
けでは不可能になっていた。
 やがて社会には不満が渦巻くようにな
り、個人間でも集団間でも互いに憎悪し
敵対するようになった。
 敵対する者とは目障りな者であり、で
きればこの世界から排除したい存在であ
る。それはお互いに思うことでもある。
 そうなると必然的に力ずくの排除とな
るであろう。それはいわば戦争である。
 そしていつの時代でも戦争とは正義の
戦争であり、いい人同士の殺し合いであ
る。そんな戦争に対処するには、人間に
は三つの方法がある。
 ひとつ目は相手の言い分を認めて服従
すること。
 ふたつ目は文字通りどっちかが勝つま
で殺しあうこと。
 そしてみっつ目はどこかに新たな生存
地を求めて逃げること。
 だが人間が地球上のいたるところに住
みついていて、新たな生存地がなければ、
正義と神の名のもとに意地と名誉をかけ
て殺しあうしかないであろう。

 人間社会の繁栄に伴って必然的に起こ
ってくる問題、貧富の格差の問題、環境
の問題。
 これらは、どの紀元においても、当初
は、人間の英知の産物である科学の力に
よって解決できると思われていた。
 たしかに科学の力は、それらの問題解
決には有効であった。だが時が経てばそ
れらもやがては力を失っていき、問題解
決には、さらなる新しい科学の力を必要
になるというしだいだった。
 それは科学の力だけでは人間社会の問
題を根本から解決するということは決し
てできないということ意味していた。

 どの紀元においても、その終わりとさ
れた世界の衰亡は壮絶なものだった。
 核戦争によるものだったからだ。人命
は億単位で失われ、人口は十分の一以下
になった。
 だが人間はわずかながらではあったが
地球上のいたるところで生き残っていた。
 でもその結果としては、人間同士の争
いごともなくなっていた。それはもう排
除する必要がなくなったということか、
そして同時に逃げる場所がどこにでもあ
るのであるので、もう無意味な殺し合い
をする必要がなくなったということなの
か。
 そして驚くことに、その生き残った者
たちは決して人間性を失うことはなかっ
た。
 そしてどの紀元の始りおいても人間た
ちは生きるために新たな歩みを始めた。
 結局、人間社会のあらゆる問題は人間
の数が増えることによって起こり、その
解決は決して人間の英知などではなく、
人間の数を減らすことによって可能であ
るといことなのだろうか。
 人間社会はその英知と欲望によって発
展するがその同じ英知と欲望にによって
衰退するということなのか。


 第七起源とは、西暦に始まる七番目
 の紀元。それぞれの長さは各紀元に
 よってまちまちである。その終わり
 は、すべての紀元において核兵器に
 よる世界大戦が原因である。

   西暦  (混乱)
   第二紀元(虚妄)
   第三紀元(混迷)
   第四紀元(破局)
   第五紀元(創造)
   第六紀元(平和)
   第七紀元(希望)

   現在は第七紀元七百八十六年である。


   *   *   *   *   *



       第一章


 イサムは旅を続けながらずっとこんな
ことを考えていた。

 人類は歴史が始まって以来、ずっと正
義を尊び、平和を希求してきた。そして
その平和のためには、平和にとって最大
の敵である人間同士の対立というものを
諸悪の根源とみなして忌み嫌ってきた。

 だがこれまでの歴史を振り返ると、地
球を存亡の危機に陥らせたのは、決して
そのような対立などではなく、むしろそ
れとはまったく正反対の、平和を希求す
るあまりに、対立というものを必要以上
によくないことみなして、いたずらに仲
良くしようとか、友好的にふるまおうと
することに、多少は原因があったのでは
ないだろうかとする疑問が残らないわけ
ではない。

 対立とは、陽と陰、プラスとマイナス、
男と女、高と低があるように、世界の存
在には、絶対的に必要な概念であり、我
々の存在の根源をなし必要不可欠なもの
なのだが。

 対立の究極の形は戦争である。戦争は、
その当事者であるどちらにとっても、そ
れはいつでも正義の戦いである。それゆ
えそれはお互いに避けられないものであ
り、当然"正義と反正義"の戦いとなる。
だからそれはある意味いい人同士の殺
し合いでもある。

 この戦争という現象は、本来は対立し
あうものなのに、その対立しあっている
ということが何かの間違いであり、価値
がないことのように思い込み、本来は和
合しあうべきものであるかのように錯覚
していることから生じているようだ。対
立があるから戦争になるので対立がなく
なれば平和になると。

 だが真実はどうだろう、正義には、
"正義と反正義"があるのはたしかなのだ
から、その対立は決して相容れることの
ない永遠に対立するものなのである。そ
の対立を消滅させるにはたった一つだけ
方法がある。それは実際に衝突すること
である。
 そして"物質と反物質"の衝突のように、
"正義と反正義"として膨大なエネルギー
を発して消滅するしかないのである。

 だがこれまで理性のある私たち人間は
そこまでの大破局を決して望まななかっ
しこれからも望まないであろう。
 でもその代わりに小さな破局をもたら
す戦争はやむを得ないとみなして繰り返
し続けるに違いない。人類の究極の平和
と和合の実現をを夢見ながらではあるが。
 このように人類社会は世界が対立によ
って成り立っていることに気づきながら
も、その対立を利用したり、一方に肩入
れをすることによって、どうにか折り合
いをつけながら文明を築き人間社会を発
展させていた。その対立とは物理学的に
は光と影、陰極と陽極、数学的には正と
負、そして精神的には、善と悪、愛と憎
しみなどであるが。
 だがどうしても折り合いをつけれない
ものがあった。それは戦争である。戦争
するものは、お互いに自分たちは正義で
相手は不正義だと思いながら殺しあう。
お互いに相手を冷酷な悪人であり、鬼で
あり、悪魔の手先とみなして、残忍に殺
しあう。
 でもほとんどの戦争は愛にあふれたい
い人同士の殺し合いであった。そのこと
に気付かなかっただけで、いや気付いて
はいたが、どうしてもそれを認めること
はできなかったというのが正解なのかも
しれない。

 なぜこのようなことが起こりうるのだ
ろうか。
 戦争とは、生き物も物質も思想も文化
も含めた絶対的物理的破壊である。戦争
とは勝ったほうが正義であり、そこには
軍人だけではなく、哲学者も、詩人も、
庶民も、人道主義者も、罪人も、分け隔
てなく参加する。そして文明そのものも
破壊する。事実地球はそのことを何度も
繰り返してきた。

 おそらくこの過誤は、戦争というもの
を、人間社会の対立は貧富の差や、善と
悪、そして愛と憎しみの感情よって起こ
る単純な対立とみなしていたことによっ
ておこったのではないだろうか。
 だがそれは真実だろうか。我々は気づ
いている。世界はもっと複雑であること
に。従来の判りやすい対立だけではなく、
良くも悪しくも我々の世界を作り支えて
いる新たな対立かあることに。

 これまで我々の世界を根本で支えてい
対立にはいろんなものがあった。
 物理的には、反陽子とか反物質とか、
数学的には実数と虚数の概念とか、精神
的には空と色、そして美や無の概念と現
実との乖離とか。

 それなら、正義にも反正義というもの
があってもいいのではないだろうか。
 ここでいう正義にも反正義にも、善と
悪とか愛と憎しみのような価値判断はは
たらかない。
 だからなのだろう、どんなに無意味で
悲惨な殺し合いだと思おうが、文明その
ものを無化させるような破壊であろうが、
誰でもがそれに逆らうことができずに参
加する。
 もし人間が、"正義と反正義"の対立を
受け入れ、戦争とは、愛情にあふれたい
い人同士の殺し合いであることに気づい
たら、絶対に戦争は起こらないはずなの
だが。

 "正義と反正義"の対立は、絶対的対立
であるため、決してお互いに受け入れる
ことができない究極の対立である。
 もしこの両者が真正面から衝突したら、
物質と反物質が衝突によって膨大なエネ
ルギーを発生して消滅するように、人間
社会も、いや地球そのものが膨大なエネ
ルギーを放ちながら消滅するだろう。

 だが人間には理性がある。これまで幾
度かの大破局によって地球の危機を免れ
てきたように、究極の破局は回避するに
違いない。これは人間の究極の英知によ
るものなのか、それとも本源的な無知の
働きによるものなのか。

 人類はこれまで、利用できる対立は別
として、その他の対立はできるだけ解消
するように努めてきた。正と邪、善と悪、
愛と憎しみなど、個人間だけではなく集
団間においても、それらの対立は、争い
ごとが起こる原因として避けるように努
力してきた。そしてそのような対立がな
くなれば、人間社会の和合が進み戦争の
ない平和な社会が実現すると信じてきた。
 だがことごとくうまくいかなかった。
そのために地球は何度も存亡の危機に遭
遇した。それは対立というもに、正と邪、
善と悪、愛と憎しみなどの相対的価値判
断を持ち込んだためである。
 それならば、もはや人類は、"正義の反
正義"の対立を認め、それを世界の秩序に
組み入れるしかないのだろうか。そして
最終的には、この人類の存亡を究極の理
性に賭けるしかないのだろうか。

 それぞれの紀元において人類を存亡の
危機に陥らせたのは、いずれもその紀元
末に起こった核戦争によるためだった。
大古に起こった覇権や領土をめぐる戦争
、そして、権力の魔性に取りつかれ残虐
な独裁者によって引き起こされた戦争は
別としても。

 それらの大戦争、西暦紀元に何度とな
く繰り返されていたところの戦争、いわ
ゆる対立する相手側の存在価値を認めず
に、お互いに自分たちは神の軍勢であり、
敵対する軍勢を悪魔の手先として、決し
て相容れることができないもの。否定さ
れなければならないもの、この世に存在
する存続するに値しないものと見なして
行われた戦争と同様に、本来なら、この
頃の対立勢力というのは、過去の愚かな
核戦争の経験からもたらされた知識や教
訓をもっているはずだから、お互いに相
手の正義は受け入れることはできないが、
認めることはできるということや、また
その状況下にある"価値と反価値"において
も同じように、相手の様ざまな価値は受け
入れることはできないが認めることはでき
るということを知恵として身に付けている
はずだから、決して戦争などには発展しな
いはずのものなのであるのだが。
 その当時の人間は相変わらず西暦紀元の
戦争時のように、対立する相手をお互いに
悪魔の手先あり、決して受け入れることが
できないもの、この世から抹殺しなければ
ならないものとして考えから抜け出せてい
なかったので、壮絶な核戦争へと発展した
のだった。
 もし当時の人間が"正義と反正義"、また
その下位の概念となる"価値と反価値"の真
の意味を知っていたなら、決してあのよう
な大戦争は起こらなかったであろう。

 もちろん"正義と反正義"が対立する世界
においては、軍事力も究極まで対立する。
だからもし戦争が起これば人類存亡の危機
などではなく、地球そのものをこの宇宙か
ら消滅せしめるほどの大戦争となるだろう。

 だが人間には理性がある。戦争というも
のは決して神と悪魔の戦いでもなく、善人
と悪人の戦いでもなく、人類の平和を願い
家族を思う愛情にあふれた良い人たちの殺
し合いであることに気づいていたら、決し
て決して地球そのものを破壊するように愚
行に走ることはないだろう。

 現在は第七紀元の初期、人間は地球上い
たる所に散らばって住んでいるため、まだ
集団間の対立は表面化していないが、人間
である限り過去の過ちを繰り返さないとは
限らない。
 現代この第七紀元においては果たして人
類はその存亡の危機を回避することができ
るだろうか。

 人間の歴史は、科学の発展や産業の発展
によって、その社会生活が複雑になっため
か、新しく起こった現象をそれまでの知識
や概念で解釈できなくなると、新しい知識
や概念に助けを求めることで様々な難問を
乗り越えることができていた。
 例えば、地動説と天動説、アインシュタ
インの相対性理論など。だから、このあま
りにも現実的な難問、対立から起こる人類
存亡の危機ということも、"正義と反正義"、
それに付随する"価値と反価値"という新た
な視点を持つことにによって、問題解決の
ための新たな地平が開けるのではないかと
いう期待を持つことができるのではないだ
ろうか。
 もちろんそれは対処を間違えれば地球そ
のものを破壊しかねないという危険を伴う
ものでもあるのだが。果たしてこれからの
人類はこの究極の選択に対して冷静に向か
い合うことはできるだろうか。

   これまで人類は、何か対立が生じると、
理性でもってそれを解消しようとしてきた。
でもすべてがそれでうまくいくとは限らな
かった。
 例えば独裁者が出たとき、ほとんどの場
合、理性でもって、そのものを批判したり
その地位から退けようとしたが、あまりう
まくいかなかった。それどころかたいてい
の独裁者は、かたくなになりますますその
独裁性を強め、批判者やその勢力を弾圧し
て、その延命に力を注ぎ、結局はその独裁
性は長引くだけであった。

 でも稀にはこんなこともあった。その独
裁者をほめちぎり、独裁を積極的に容認す
る人たちが存在したのである。どう見ても
彼らは理性を働かせたとは思えない。とこ
ろが、確かにそのことによって独裁は急速
に強まり被害を受けるものも多く出たが、
やがてはその内部の腐敗や恐怖支配によっ
て。独裁も急速に弱体化して崩壊していっ
たのである。そしてそれらは統計的に見て
批判勢力が存在していた時よりも短命とさ
れている。

 それからこんな例が西暦紀元の時に起こ
った。そのA国というくには軍事力を持っ
ていたが、他国には絶対に軍隊を送らない
という最高法規があった。
 ところが隣のB国が、その隣のC国に攻
撃されれ、その上回る武力によって、国そ
のものが滅ぼされかけようとしていた時、
そのB国は、他国には絶対武力を行使しな
いというA国に助けを求めた。するとA国
の大統領はその最高法規を無視してB国に
軍隊を送った。そしてCこくの軍隊を追い
払い見事B国の滅亡を救った。
 これによってA国の大統領は、
国家の最高法規を無視したにもかかわらず、
国の内外から称賛され助けをた。

 さらにこんな例もある。ある集団と、あ
る集団が、とても大切な伝統的な文化遺産
である建物の所有をめぐって争っていた。
そのすさまじさは武力衝突に発展しかねな
いものだった。ところがある日、ある男が
その建物に火を放つ焼き払ってしまった。
するとその後その二つの集団では争いごと
がなくなった。

独裁者を賛美する者の行為も、国家の最高
法規を無視した大統領の行為も、建物を焼
き払った男の行為も、とても理性的とは思
えない。でも対立は解決し争いごとは終息
した。

 彼らの行為はどう見ても理性に反する行
為である。それで反理性と名辞してもいい
のだろうが、むしろここでは"超理性"という
お言葉がふさわしいような気がする。

 人類の長い歴史を見てみると、"正義と反
正義"の対立という範疇には当てはまらない
対立、いわゆる冷酷非情で、外国を敵とみ
なし国内では恐怖政治をしく悪魔のような
独裁者に支配された独裁国が存在したこと
が幾度となくあった。
 この時もその対立によって軍事対立も極
限まで進行するが、正義と反正義の対立と
いうにはおこがましく、"擬正義と擬反正義"
の対立といったほうがいいのかもしれない。
 というのもこの場合も軍事的対立は極限
まで進むからである。そしてこの場合にそ
の対立の終息に大いに役立ったのが、決し
て理性などと呼ばれるものではなくその狂
気を上まわるような狂気いわば"超狂気"と
いうものにちがいなかった。

 "正義と反正義"の対立といっても、また
"擬正義と擬反正義"といっても、その背後
にあるのは人類存亡の危機であり地球その
ものの物理的破壊であり、人間の存在かそ
の無についてである。

 なぜなら"正義と反正義"の対立とは、お
互いに自分たちは正しいと思っていて、決
して相手の考えを受け入れることはないが、
決して自分たちの考えを相手に押し付ける
つもりはなく、そのためには両者の間に壁
を設けて、お互いに交流も交易しないとい
うことであり、やがてはその対立は絶対的
な対立へと変化していくのである。そのた
め軍事的には、実際には目に見える壁を設
けることへと発展していくのである。それ
ゆえその対立が軍事的衝突へと発展したら、
人類存亡どころが、地球そのものの物理的
破壊という結末をむかえることになるので
ある。

 だからもし人間の理性を超えた"超理性"
というものが私たちにあれば、前述の"超狂
気"とは全く違う形で、この難問を解決する
ことにはならないだろうか。


   *  *  *  *  *  *  * 


         第二章


 旅人イサムは古き友人ラクルと別れた後
その大陸を南下した。
 大山脈を越え、大河を渡り、そして大草
原を横切り、地の果てへと向かっているか
のような厳しい旅を続けた。
 十日をかけて砂漠を横切り、モアの常緑
樹林に続き、カルの広葉樹林を抜けると、
広い平地に出た。
 そこを進むと集落のような家々が見えて
きた。人が住んでいることは確かなようで、
決して地の果てのような厳しさは感じられ
なかったが、それほど肥沃な場所ではない
ように思えた。

 集落の西側は砂地で所々に岩が露出して
いた。南側は草地で青々としていて農地の
ように見えた。東側は少し小高い丘で様々
な樹木が生い茂り鬱蒼とした森になってい
た。そしてその背後には、遥か後方に雪山
が光り輝ていた。
 その森を貫くように、清んだ水を絶える
ことなく流し続ける川があることにイサム
は後で知ることになる。
 北側には人の丈より少し高い樹木がが規
則正しく沢山植えられていた。どうやら何
かの果樹園のようだった。
 よく見ると数十個以上にもなる建物は、
隣接したり少し離れたりと散在はしていた
が、そのほとんどは周囲にある木や石を利
用した簡素で素朴なものだった。
 イサムが集落に近づくとまず人懐こそう
な笑顔の子供たちが近寄ってきた。そして
大人の男たちが。
 イサムは名を名乗り自分は旅人であるこ
とを告げた。そしてエンケと名乗る大人の
男に、できるなら少しここにとどまりたい
と告げた。エンケはイサムよりだいぶ年下
のように見えたが集落の長のようでイサム
の申し出を笑顔で受け入れてくれた。

 イサムは村人たちの素朴な日常の営みや、
子供たちの笑顔に触れていると得も言われ
ぬ満ち足りた気持ちになり、少し長く滞在
気持ちになった。

 森を流れる川からは十分なくらいの大小
の魚やニカが取れるということだった。
 果樹からはホウと呼ばれる果実が取れる
ようである。その大きさは大人の手のひら
に三個乗るくらいで、その味は甘く酸っぱ
いということだった。ホウとは彼らの言葉
で"喜び"という意味で遠くから商人が大量
に買い付けに来るということだった。それ
はこの村の者たちは飲まなかったが、業者
たちがホウを発酵させて酒にするためのよ
うだった。
 色んなところを旅してきたイサムには、
ここの人たちの生活はそれほど豊かには見
えなかった。生きるための必要最低限のも
のを周りの自然から十分に調達することは
できているようだった。だが、そうはいっ
ても村人たちの数に比べて、その農地の広
さは十分とは思えず、しかもそれほど肥沃
そうにも見えなかったからである。もっと
広くもっと豊かな大地で、しかも気候も温
暖なところで生きている人たちや、世界の
いたる所で多くの手つかずりのしかもここ
よりははるかに肥沃な大地を見てきたイサ
ムにとっては、なぜそういうところに住ま
ないんだろうと、とても不思議な気がした。
 滞在二日目、イサムは村人たちがとある
家の周りに集まりその家を丸ごと燃やして
いる光景に出会った。それはそこに住んで
いた者が死んだので遺体ごと燃やしている
ということだった。
 周囲の者たちはことさら悲しんでいるよ
うには見えなかった。遺骨はあの雪山に埋
葬されるということだった。焼かれた家の
跡には、希望する者が新しい家を建てられ
るということだった。
 焼かれた家の後かたずけが終わるとほと
んどの人たちにいつもの笑顔が戻っていた。
 あるとき、イサムはずっと疑問に思って
いたことをエンカに訊ねた。

「エンカよ、なぜあなたたちは、気候も温
暖で、もうすこし肥沃な土地に住まないの
ですか? ここではきっと不便なこともあ
るでしょうに」
 するとエンカは満面に笑みをたたえて言
った。

「不便というものは感じたことはない、と
いうか不便というものはどんなものか私た
ちには判らないからです」
「それでは何か足りないとか、何か不足し
ているとか?」
「それも、わからない。というのもここで
は生きていくために必要なものは何でも与
えられるからです」
「それでは楽しむもの遊ぶものはどうです
か? 今まで私が見てきた所では、大人も
子供も楽しんだり遊んだりしています。で
もここではそういう機会も場所もないよう
です。他の所では、とくに子供たちの周り
にはいつでも遊ぶ道具や施設が用意されて
いて、子供たちは毎日楽しんでいます」
「その道具や施設というものがどんなもの
かオレには判りませんが、でもここでも子
供たちは楽しんでいるようですよ。だって
子供たちの笑顔を見ればわかるでしょう。
毎日のように森に出かけては木の実を取っ
たり川に出かけて水浴びをしたり、野山を
駆けまわったりしながら楽しんでいますよ。
みんな自分たちで遊びを見つけて楽しんで
いますよ。でもそんな子供たちを見て大人
たちは何も言いません。やりたいようにや
らせていますよ。でも不思議なんですね。
そんな子供たちでも、ある程度大きくなる
と、自然と大人たちの仕事を手伝うように
なるんですよ。また何か新しい楽しみを見
つけたようにね。ここではみんなそうして
大人になるみたいですよ。そうなんですよ、
こんな農作業、何が楽しいんだろうかと、
辛いだけのように見えるかもしれませんが、
辛いなんてほとんど感じないのですよ、ほ
とんどが楽しいことだらけなんですよ。野
菜や穀物の種がまかれて、やがてが芽を出
し成長するのを見るのも、うまくいかなく
てその対策を考えるのも、ときどき川に大
きな魚を捕りに行くのも、仲間を集めて年
に何度か森深くケモノの狩りにいくのも、
みんな楽しいことばかりなのですよ」
 これらの言葉にイサムは納得できること
ばかりだったのでずって笑みを浮かべなが
ら耳を傾けていた。
 そして程よいところでイサムはエンカに
たずねた。
「ここの気候はきびしくないですか?」
 エンカは軽くうなづきながらふたたび話
し始めた。
「たしかに冬は厳しいです、あの雪山から
吹き付ける風は特に厳しいです。でも、、、
その風は私たちに勇気を目覚めさせ、勇気
の力を信じさせ、夢を見ることを教え、夢
を信じることを教えてくれます。これは私
たちに代々受け継がれてきた、言い伝えや
教えにある『風の詩』という詩に出てくる
内容を引用したものです。ですからあの雪
山からの冷たい風はそれほど苦にはなりま
せん」

 イサムはこれまで気づいたことを訪ねた。
「ここでは何人くらい生活していますか?」
「ここは百人以上かな」
「ここというのは?」
「ええ、ここからだいぶ離れたところにも、
似たような生活をしている人たちがいます
から」
「親戚とか」
「親戚といえば親戚、むしろ昔からの同じ
ような教えや言い伝えを大事に守って暮ら
している人たちといったほうがいいかな」
「それから気になったことなんですが、い
ろんな人たちがいますよね。髪の毛が黒か
ったり赤かったり長かったり縮れていたり、
鼻が高かったり低かったり、肌も白かった
り黒かったりと」
「ほかにもいっぱい違いがありますよ。手
の指が生まれつき四本だったり、耳がとん
がっていたり、乳首が八個もあったり、尾
てい骨が伸びていたりとかね。なにせ、こ
こには出入りが自由だからね。入るものも
いれば出ていくものをいる。だれでもみん
な、ここに新しく入ってくるものは喜んで
受け入れるだけではなく、何らかの理由で
ここから出ていくものには祝福して喜んで
送り出しているからね。ちょっと見て、あ
の子供たちと話している男、彼は十年前こ
こをど出て行ったんだ、でも今年家族を連
れてここに戻ってきたんだ。でもみんなは
やっぱり彼が出て行った時よりも喜んで受
け入れたけどね」

 イサムは村人と触れ合っているうちに、
さらに色んなことを知ることができた。
 鳥を飼うものがいた。そこから卵と肉
を得るためだった。その者は他の仕事は
全くできなかったが、そのために必要で
ある才能を、いわゆる自由自在に鳥を操
る特別な能力を持っているということだ
った。
 家族で陶器を作る者たちがいた。
 また火をおこし鍛冶をして村人に必要
な道具を作る者もいた。
 これらの者がいつごろからこの集落に
住み着いているが誰もわからないようで
あった。
 織物や料理は主に女性たちの仕事であ
ったが稀には特異な能力を発揮する男性
もいた。
 いずれにせよこの村では生きていくた
めに必要なものは何でも作り出すことが
できているようだった。

 あるときエンカが数人の仲間とホウの
果樹園で何かをしていた。

 イサムは近づいて尋ねた。

「何をしているんですか?」
「これは剪定といって、毎年たくさんの
実をならせるために、不要な枝を切った
、余分な花芽を摘んだりしているんです
よ」
「大変ですか? いや、すこしも、もう、
待ち遠しかったから、毎年あの雪山から
の冷たい風が終わるころに始まるんだけ
ど、それが待ち遠しくって」

 おだやかに笑みを浮かべてそう話すエ
ンカはいかにも楽しそうであった。
 そのとき十数人ほど人の集団がエンカ
たちの方にやってくるのが見えた。

 やがて彼らはエンカのほうに近づいて
きた。エンカも彼らに近づいていき、そ
して軽く挨拶の言葉を交わして何かを話
し始めた。
 やがて話が終わったのかその集団は集
落のほうに向かい、エンカは作業の続き
に戻ってきた。
 イサムはエンカにたずねた。

「彼らは旅人ですか?」
「そう、旅人、ここに住むためにやって
きた人たちです。大変なこと、起っては
ならないことが起こって、そのために彼
らは元居た村を解散して、みんなバラバ
ラになったのですが、志や夢や希望を同
じくする者たちが再び集っては新しく住
む場所を求めて旅をしてきたのです。そ
して数か月かけてここにたどり着いたの
です。でも全く見知らぬ者たちではない
のです。遠く離れてはいましたけど、彼
らも私たちと同じように古くからの言い
伝えや教えを大切に守りながら生きてき
た人たちなのです。ですから私たちは大
歓迎で彼らを受け入れることができます。
それに今日まで大変な旅だったと思いま
すからね」
 そう話すエンカの顔からは笑みが消え
ていた。
 イサムは声を低めて話しかけた。
「なぜ彼らはバラバラになったのです
か?」
「それは、それは彼らの村で起きては
ならないことが起こったからですよ」
「ほかの集落から暴力的な攻撃を受け
たとか?」
「いやそうではなく、彼らの内部で、
それは起こったのですよ。私たちの古い
言い伝えや教えでは、絶対に起こしては
ならないことがあるんですよ。もしそれ
が私たちの仲間のうちで起こったら、そ
の時は私たちの集団はもうこれ以上存続
するに意味がない価値がないということ
になっているんですよ。だから彼らはバ
ラバラにならなければならなかったので
すよ。それはいつ私たちの村でも起こり
かねないということですよ」
「では、その起きてはならないこととい
うのはいったい何なのですか」
「人が人を殺めるということです。それ
は私たちの内側だけでなく、外部の人に
対してもです。そのことは個人がいいと
か悪いとかの問題ではなく、集団の村全
体の問題となるのです。その人を殺めた
人間を追放すれば、それでいいというこ
とではないのです。私たち集団に問題が
あったから、そういうことが起こったん
だと、それで私たち集団が、その責任を
負わなければならないのですよ。その責
任の取り方が村を解散して人々がバラバ
ラになるということなのですよ。でもよ
くあることです。これまで何度かそんな
例を聞いたことがあります。百年とか二
百年、いや数千年の間にかな」
「数千年の間に、そんなに昔から、みな
さんは、言い伝えを、教えを守って、こ
れまで、、、、」

 新しくやってきた人たちはさっそく木
を切り倒し枝を集めて先住者と同じよう
な家を建てた。そして先住者と変わりな
く生活を始めた。
 そんなある晴れた日、イサムは仲間と
もに農作業をしているエンカを手伝って
いた。
 イサムは精を出すエンカにたずねた。
「あなたはみんなから頼られているよう
ですね。きっといろんなことを知ってい
るからでしょうね」
「いや、俺なんか、失敗したり、うまく
いったり、毎年同じ繰り返しですよ。ま
だまだですよ。いつになったら悩み事が
なくなるのか、うまくいかないときは、
鳥に聞けとか、雲に聞けとか、赤子に聞
けとか言われているけど、まだ何のこと
かよくわからない」
「それは教えですね」
「そうみたいだね。他にもいっぱい教
えがあるんだけど、でも正直言って、
よく判らないことばかりなんだ。みん
なだって同じみたいなんだ。もちろん、
もし人を殺めるようなものが出たら、
その集団は存続する価値がないという
ことで解散してバラバラにならなけれ
ばならないという教えはみんな知って
いるけどね。あっそうだ、『心はみん
なのもの』という教えがあるんだけど、
これなら俺にもなんとなくわかるよう
な気がする」
「言い伝えや教えはほかにもたくさん
あるんですか?」
「あるみたいだね、聞いたことはある
けど、あんまり覚えていなくて、知っ
ている人は知っているから、判らない
ときはその人に聞けばいいんだけどね。
そのときはそのとき、あっ、そうだ、
なんという偶然なんだろうね。ちょう
どよかった。この間ここに来た人たち
のところにサウリという者がいるんだ
けど、その男ならオレたちのことなら
何でも知っている。オレたちの始まり
から今までのことを、オレたちの数千
年の歴史をね、書物にまとめてね。オ
レは書物などを読まないけど、サウリ
ならどんな疑問も答えてくれるだろう。
なんでも今から数百年前に、オレたち
の生き方に興味を持って、オレたちの
仲間に入ったサウリの祖先がオレたち
の数千年の歴史を文字におこして書物
にしたみたいなんだ。後で尋ねてみる
といい」

 翌日、イサムは、東側の小高い森か
らひかれて水場で遊ぶ子供たちを目に
しながらサウリの家へと向かった。
 イサムは外にいたサウリに挨拶がて
ら訪問理由を告げると、まだ雑然とし
ている部屋に通された。
 イサムはさっそく話を切り出した。
「サウリさん、あなたはここに住む人
たちを研究しているということで、そ
れでぜひ聞きたいことがありまして、
簡単に言うと、ここに住む人たちに伝
えられている、言い伝えや教えという
ものを知りたいと思いまして、でもち
ょうど、あなたがそのことに詳しいと
いうことで、なんか本にそのことをま
とめられているということで」
「あっそうですか、わざわざ今日は、
でも研究者と言うのは少し大げさです
ね。いま私はその本を持っていますが、
研究らしきものは何もやっていません。
研究して本にしたのは私の数百年前の
先祖ということです。いまの私はただ
仲間と楽しく生きているというだけで
す」
「その本を見せてもらえますか?」
「もちろん、けっこうですよ」

 そう言ってサウリはまだかたずかな
い荷物の間から一冊の本を出してイサ
ムに差し出した。イサムはそれをとっ
て最初のページを開いた。
 表題は"風の詩"とあり、副題は"風
の民の記録"となっていた。イサムは
表紙を閉じるとサウリに、後でじっく
り読みたいので借りることを申し出た。
サウリもそれを喜んで承諾してくれた。
 そしてイサムはサウリに質問した。
「"風の民"というのは?」
「もちろん私たちのことです。始まり
は今から数千年前、ちょうど第六紀元
の後期に当たりますか、私たちの祖先、
厳密にいうと祖先というほど血のつな
がりはないのですが、彼らがこの"風
の民"の記録の始まりになります。そ
のころ彼らはあるところに普通に住ん
でいました。でもある時彼らはある理
由でその住み馴れた場所を離れること
を決意したのです。そして再び新天地
を求めて旅に出たのです。
 そしてその後も彼らはやはり何らか
の理由のためにそれまでの住み馴れた
場所を捨てざるをえなくなり、新天地
を求める旅とその後の定住を何度も繰
り返しながら今日の私たちに至ってい
るのです」
「その理由はやはり人が人を殺めると
いうことですか?」
「そういうことがほとんどだけど、そ
うでない場合もある。そもそも最初の
ときはもっと色んなことがあったよう
だ。そのことはこの本に当時の人々の
言動としてもっと詳しく書かれている。
 それからもっとほかの理由でその住
み馴れた場所を離れなければならなく
なったことがあるというのは、例えば
生きていくためにはあまりにも自然環
境が厳しすぎるとか、また逆にあまり
にも生活が豊かになって、そのために
様ざまな問題が起こり、かえって住み
ずらくなったとか」
「豊かになると住みづらいということ
ですか」
「豊かになりすぎると、かえっていろ
んな問題が出てくるみたいだね。詳し
いことはこの本に書かれている。それ
を読んでいるとなんとなくわかるよう
な気がする、それが教えとなっている
のですね」
「するとこの本は聖書みたいなもので
すかね」
「いやそんな大それた、この本はあく
までも、世界の片隅で細々と生きてい
る人々の記録ですよ」
「でもその始まりが、住み慣れた場所
を捨て、新天地求めて旅立ったなんて
聞くと、太古の昔にあったモーゼの話
とそっくりですよね」
「それほど大仰なものではないですけ
どね。彼らは迫害から逃れ自由を求め
ての旅立ちですが、我々のは、たとえ
どんな理由があろうとも人間を殺すこ
とは"絶対の悪"とみなすことに、"真
の人間の自由"があり、その自由を求
めての旅立ちですから、それに私たち
の教えというのは、モーゼの教えのよ
うに世界に大きな影響を与えた大宗教
とは比べ物になりませんからね」
「この本の教えは宗教できないのです
か?」
「違います。宗教とは全く違います。
というか宗教とは真反対のもので
というのも宗教になるための要件を何
も備えていませんから。まず私たちの
集団には、これまで、ほかのすべての
宗教にみられるような、超人的な宗教
者は現れなかったということ、そして
その教えには神とか地獄とか天国とか
悪魔とかという言葉は決してみられな
いということ、そしてなんといっても
最大の違いは、ほかのすべての大宗教
家がやったような、精神と肉体を分離
して、精神の優位性を説き、肉体をそ
の支配下に置くというようなことは決
したやらなかったということです。そ
れに比べて、この本の教えというのは、
私たちが日々普通に暮らしていくため
にどうすればいいかということを、と
くに困ったり悩んだりするときにその
答えを示唆してくれるような教えに過
ぎないのです。それにあえて言います
が、ほかのすべての宗教は、個人間に
おいても、集団間の戦争においても、
人殺しを容認しますが、私たちは決し
て殺人は容認しないということです。
人間におけるすべての殺人は、それに
かかわる者たちが生きようとするたに
おこされるものです。でも私たちの教
えには、私たち人間というものは決し
て人を殺さなくで生きていけるという
ことが、そしてどう生きれば人を殺さ
なくて済むのかを示しているのです。
もし私たちが、すべての殺人を容認し
ながら、いいことをすれば死後天国に
行けるとか、悪いことをすれば死後地
獄に落ちるとかいえば、おそらく歴史
に残るような大きな宗教団体になって、
世界の秩序を変えるような政治力を発
揮していたかもしれませんが、実際は
世界の片隅で細々と生きる人たちの集
団にすぎませんよ。それからこれだけ
は言っておきたいのですが、私がひま
がてらに調べたことがあるんですが、
世界に残存するほとんどの大寺院や大
聖堂と呼ばれるものには、その地下や
その周辺には虐殺された人間の骸骨が
大量に埋められているとか、またそれ
らが建立される前には、近くで戦争な
どによる大虐殺があったということが
記録されているのですよ。私たちは本
当は宗教というものを知っています。
でも私たちには巨大像も大伽藍も必要
ないのです。
 私たちは誰でも知っています。人間
はどうのように生まれ、どのように死
んでいくかを。
 人間は死ぬときは生まれたままの姿
です、それも痩せこけ、皺だらけにな
り、瞳はその力を失い、みんな弱弱し
く死んでいきます。
 でも最後には誰でもその顔に笑みを
湛えながらですけどね。それを見て誰
でもが判っているのです。私たちはど
のように生きればいいのか、生きてい
るときに何をやればいいのかを、みん
な知っているのです。
 そんな具体的な教えは、この本には
ないのですが、私たちはなぜか、それ
がわかるのです」
「そういえば皆さんは、前の第六紀元
の末に起こった世界大戦争から生き残
ったのですよね」
「そのようですね。それは私たちが生
まれまれるかなり前の出来事のようで
すが、科学技術を究極までに発展させ、
人間が望む夢や欲望をすべてかなえ、
その繁栄や豊かさを極限まで体現した
人たちが、みんな滅びてしまったよう
です。その代わり私たちの仲間たち、
世界のあっちこっちで、あまり人間が
好んで住みたがらないようなところで、
細細と生きた来た人たちは、みんな生
き残ったようですね。
 その当時の私たちというのは、滅び
てしまった人たちのように、対立する
者たちの命を奪ってまで生きることに
執着したわけではないのですが、どう
いうわけか生き残ったようですね。ま
あ、それは彼ら滅びてしまった人たち
が人類そのものを道連れにして地球そ
のものを破壊しようとするほどに自暴
自棄にならなかったからでしょうが。
 この本では、何も特別なことは載っ
てないんです。他の成功した大宗教に
あるような、何か教訓じみたことも、
何か人に戒めをとくような、そういっ
た上から目線的なものは何もないんで
す。あるのは何物にも束縛されない自
由、鳥のような、雲のような、人間が
生まれたときにすでに備わっている絶
対的な自由が示唆されているだけなん
ですよ。鳥の鳴き声おを聞きながら、
流れる雲を見ながら、子供たちの笑顔
を見ながらそれだけで十分に幸せに生
きていけるということが示唆されてい
るんですよ」
「実は私これまで色んなところを旅し
てきました。人間がたくさん住むとこ
ろや、あまり人が住めそうでない秘境
や辺境など、とくにその秘境や辺境で
は、かつて人間が住んでいたのかと思
わせるような遺跡に、たびたび遭遇す
ることがありました。そういうところ
はかつて皆さんと同じような考えを持
っている人たちが生活していたという
ことになるんでしょうね」
「そうでしょうね。この本にはそこま
で詳しい記録は残っていないので、は
っきりとは判りませんが、たぶんそう
でしょうね。なにせひんぱんに移動と
定住を繰り返していたということを風
の噂ですが耳にしておりますから、ま
あ、もちろん頻繁といっても、百年か
ら数百年単位で、それは行われたよう
ですがね」

 仮住まいに帰るとイサムはさっそく
サウリから借りた本を読み始めた。


     *  *  *  *  *  *  *  *

  
        第三章


      風の民の記録


    伝承編


 茶色い巻き髪のカリキは手は四本指で、
足が少し不自由だった。そのためか土地
の所有者からモウムの管理を任されてい
た。
 モウムは体高が子供ほどの家畜だった。
その肉は食用となり、その毛は刈り取ら
れて織物の材料となっていた。
 数万を超えるモウムは木の柵で囲まれ
た牧場で飼育されていた。その修理や門
扉の開け閉めはカリキに任されていた。

 ある朝、カリキはいつものように牧場
に行くと、門扉はすでにあけられていて、
モウムのほとんどがいなくなっているの
気付いた。
 すると早速カリキは所有者の男に呼ば
れ、その前に膝まつかされた。所有者は、
なぜ扉を閉め忘れた。そのために大半の
モウムを失ったではないか、責任を取っ
てもらうからな、と責め立てた。
 普段からあまり物をしゃべらないカリ
キではあったが、心が固まったように何
も答えることができなかった。というの
も自分では閉めたつまりであったが、た
しかに閉めたというハッキリとした記憶
がなかったからである。かといって閉め
たと言えば、それは嘘になりどうしても
言うことができなかったのである。
 所有者は全く申し開きをしないカリキ
の罪を裁きかねていた。
そこで他の使用人に考えを求めた。
 半分はカリキを擁護したが、あとの半
分はカリキの罪を認め責めた。
 所有者は裁定を下した。そしてカリキ
に言った。今後十年間は無償で働くよう
にと。

 その日カリキはすぐに家に帰された。
 カリキはその牧場から少し離れた所に
たてられた粗末な家に妻と二人で暮らし
ていた。
 沈んだ気持ちで家に帰ったカリキは、
妻に今日あったことを話した。
 少し笑みを浮かべて何事もなかったか
のようにカリキの話を聞いていた妻であ
ったが、しばらくすると家にその姿が見
えなくなっていた。
 さらに沈み込んだカリキは裏の森に入
った。そして何か嫌なことから逃れるか
のようにさらに深く深くと森を進んだ。
 やがてカリキは、木もまばらになり、
少し陽の光が差し込む場所に来ると、そ
こに腰を下ろした。そして何も考えるこ
となくじっとしていた。やがてカリキは、
自分の体内からでもない、自分の外部か
らでもない、何か人間の声のようなもの
が響いてくるのに気付いた。カリキをそ
の声に心をかたむけた。

 『聞こえるか、カリキよ、カリキよ、
聞こえるか、何も恐れることはない、何
も悲嘆にくれることもない、私にはすべ
てのことが判っている、だからもう少し
胸を張り、顔を上げなさい、顔を陽の光
に向けなさい。そう、それでいいのです。
これでいいのです。
カリキよ、あなたは今のまままでいいの
です。
カリキよ、あなたは何も恐れることはな
い。なぜならあなたは何も隠していない
のだから。
カリキよ、あなたは何も疚しさを感じる
必要はない。なぜならあなたは少しも嘘
をついていないのだから。
カリキよ、もしかしてあなたは人を羨ん
で自分を見失うことを恐れてはいないか、
なにも恐れることはない、なぜならあな
たはどんなときでも生命あるものを敬い
大切にできるのだから。
カリキよ、もしかしてあなたは他人に憤
りを抱いて自分が嫌われることを恐れて
はいないか、なんにも恐れることはない、
なぜなら自然の奥深さに気付いているあ
なたは決して傲慢になることはないから
だ。
カリキよ、もしかしてあなたは皆があな
たのもとからはなれて行くことを恐れて
はいないか、なんにも恐れることはない、
なぜならあなたはもうすでに誰からも信
頼され誰からも必要とされているのだか
ら。
カリキよ、もしかしてあなたは人を妬ん
で自分を見失うことを恐れてはいないか、
なんにも恐れるることはない、なぜなら
あなたは人間が自然に働きかけたもの以
上のものは返って来ないということを知
っているのだから。
カリキよ、もしかしてあなたは自分が傷
つきこのままダメになってしまうのでは
ないかと、不安になっているのではない
か。
カリキよ、いますぐそんな不安な気持ち
を捨てよ。なんにも不安がることはない、
なぜなら人間はこの世に生を受けたとき
にすでに完成しているのだから。
赤子はこの世に生を受けたときに不安と
驚きで最初は泣くが、やがて自分が愛さ
れ祝福されていることに気付くと太陽の
ような笑顔を見せる、それがなによりの
完成の証拠である。
そんなにビックリするようなことではな
い、人間は今までそのことに気付かなか
っただけのことである。
というのも人間は成長するにしたがって
心と体は別なものと分けて考えるように
なり、ついには心を体よりもすぐれたも
の、心が体を支配するものとみなすよう
になったからである。
だがカリキよ、あなたは生まれたときと
何も変わっていない。この世に生を受け
たときの赤子のように完成したままだ。
だからあなたはこれまで何の隠しごとも
せず嘘もついて来なかった。そもそもそ
の必要がなかったから。
カリキよ、いずれにせよあなたからは取
り去るものも、新たに付け加えるものは
なにもない。あなたは今のままでいいの
です。
カリキよ、あなたは他の人にも、他の生
き物にも、そして自然にも、あなたの周
囲のすべてのものにとけこみ、そしてそ
れらを心から敬い大切にしている。それ
が完成ということだ。
カリキよ、あなたはこのままでいいのだ。
もうなにも恐れることはない、もう何も
不安がることはない、もうあなたは決し
て傷つくことはない。
カリキよ。あなたは今のままでいのです。
あなたは今までのように、あなたの心と
体を信じなさい。そうすれば自然と光が
差してくるはずです。何も迷うことも不
安がることはないのです。ただひたすら
あなたの心をあなたの肉体を信じなさい、
そしてあなたの心とあなたの肉体に頼り
なさい。なぜならそれは私だからです。
あなた方はすでに完成しているのです。
私と同じように。だからただひたすらあ
なたの心に、あなたの体に頼りなさい、
もしそれでも迷っていたら、あなたの周
りの人たちに頼りなさい、そして鳥に訊
ねなさい、獣に訊ねなさい、風に訊ねな
さいい、それらはみんな私と同じような
ものなのですから、でもそれでもどうし
ようもなくなったら、また私に頼りなさ
い』





  第二部に続く

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