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青い枯葉(2部) 狩宇無梨 でも、ここまで来るまでには少し紆余曲折があったようです。 というのも、今とはまったく逆の考え方が盛んにもてはやされ、実践されていた時期があったからです。 それは、その原因がよく判らないような心の病があらゆる世代で出始めた頃、なぜそうなるかを考えた学者や専門家たちは、その原因は、子供の頃の喧嘩やイジメ、そして、そのほかの数限りない悲しいことや辛いことが原因だと考えるようになり、子供たちを、そういうことを経験しないような環境で育てれば、きっと将来にわたって心の病にかかることはないだろうという考えです。 でも、その実践の結果、どういうわけか、皮肉としか言いようがないのでが、まるでアリ地獄に陥ったように、その病気発症の数が減少するどころかますます増えて行ったそうです。 まあ、これもそのうちのひとつなんでしょうけどね、よくしようとして返って悪くなったという話しが、歴史上たくさんありますからね。 たとえば、この世から悪をなくそうとして良いことだけををしようという運動しているあいだは、決して犯罪はなくならなかったとか、世界が平和になることを目指して平和運動をしているあいだは、決して戦争がなくならなかったとかね。 それからこれは似たようなことなんですが、 その当時は教育費にお金をかけれはかけるほど良い教育が出来ると考えていたようです。 それで、子供たちには勉強に必要なあらやる参考資料が与えられるだけでなく、設備の整った校舎で、良い食べ物や、良い衣服も与えられて勉強していたようです。 ところが結果はまったく逆のようでした。 それはあるところまでは真理なのですが、ある限度を越えると効果は下がり続けるばかりだったのです。 これも、良くしようとして返って悪くなったという、代表的な例でしょうね。ちなみに、参考までにいっておきますが、隣町のセイハンでは学校の校舎はないそうですよ。 だいたい二週間交替に生徒のうちに集まって勉強しているそうです。 いや、それどころか、大陸の西の方のエーユでは公的な教育システムがないらしく、先生といわれる人もいないそうです。 ええと、では話は元に戻りましょう、でも結局は、現在行われている教育方法に落ち着いたわけなんですがね。 そのおかげで人間は精神的に衰弱することもなく、より健康的に、そしてより創造的に生きられるようになったというわけです。」 「はい、素朴な質問なんですが、どうして昔は、そんな子供たちを苦しめるような、それに後になって何の役にも立たないような詰め込み教育を良いと思っていたんですか。」 「たぶん、それは人間の知恵は頭から生まれると思っていたからなんでしょうね。 だからその知恵の元となる知識を頭に詰め込めば、知恵のある人間になると考えたのでしょうね。 ほんとうの大昔はそうでもなかったみたいですが。 それで、そういう教育が相当長い期間なされていたみたいです。 でも、先程も話したように、それが原因で精神的な障害と思われるようなことが頻繁に起こってきたわけですから、とにかく昔は人間の知恵に対する根本的な誤解があったみたいですね。 誤解といえば、豊かな発想力という言葉に対しても誤解があったようです。 当時は豊かな発想力を考える力と思っていたようです。 そして、その考える力は、読書と作文によって身につくと考えられていたようです。 今から考えればとんでもない間違いです。 考える力はそんな既成概念的な知識や、形式論理的な方法からは決して身につくことないのです。 人間の本当の考える力とは、後で詳しく話しますが、私たちを取り囲むこの複雑で不可解な混沌とした世界と、私たちの生きる力が衝突するときに生まれてくるものなのです。 まずは私たちの健全な生きる力が在ってこそ、私たちの健全な考える力が養成されてくるのです。 ましてや私たちの豊かな発想力というものは、生きる力だけではなく、より個性的であったり、より好奇心が旺盛で在ったりするところから生まれてくるものなのですから。 それで、考える力ということに対するこのような間違った認識は、豊かな発想力を持った人間を養成する、という現在のような教育方針に転換しようとしたときには、少なからず障碍となったようです。 いったいいつ頃からこんな勘違いがはびこったのか判りませんが、とにかく相当長い間続いたようです。 ところがです、そんな時代が長く続いているうちに、 「知恵は肉体に宿る。」 とか、 「生まれたときにすでに宿っている。」 なんていう者が現れてきて、初めは誰も、そんなタワゴトと思って相手にしなかったのですが、どうもそれは真実らしいということに皆が気づいてきて、だんだん社会に受け入れられるようになったのです。 私には、その 「知恵は肉体に宿る」 とか、 「生まれたときにすでに宿っている。」 ということの正確な意味は、あまり文学的すぎてよく判らないのですが、君たちが判るように科学的に言うなら、 「知恵は肉体を通して。」 つまり、 「経験を通して身につく。」 という意味のようです。 それから、 「生まれたときに既に宿っている。」 というのは、つまり、こういうことのようです。 私たちを取り囲む宇宙というのは、予測のつかないような複雑な変化をしながら進化発展してきました。 そして数え切れないほどの多様な植物や動物を生み出しながらも、未だに計り知れないような無限の可能性を満ちている混沌とした世界のようです。 だから、そこでですね、その進化の過程の最終段階に位置する人間も同じような構造を持っているに違いなく、つまり、複雑で多様な、その混沌とした世界に対応しながら、その色んな才能を発揮できる人間の無限の可能性のことを知恵と見て、人間はみな誰でも生まれたときにはすでにその無限の可能性を秘めているということを言っているようです。 問題なのは、その無限の可能性でもあり、そして人間が生まれたときにすでに持っている知恵を、環境や教育によってどのように具体的に表現させるかのようです。 それを昔の人は間違った考えに支配されていたために、無理やりに決まりきった枠に押し込めようとして、いじりすぎたために、かえって子供たちを抑圧して萎縮させる結果となり、本来なら当然のごとく進むべきものをこじらせ、その発達を妨げたために、その知恵の具現化にことごとく失敗したというわけのようです。 ということからすると人間は知恵的には、今も昔もあまり変っていないようなのですね。 このことを裏付けるかのように、こんなことを言った大昔の哲学者がいます。 『人類は、歴史が始まる前にすでに完成していた。』ということをね。 このように知恵というものは肉体そのものだということですが、それに比べて知識というのは、そのような混沌とした世界を私たちの頭で抽象し分析して得られたものに過ぎず、それは世界を都合の良いように単純化して認識する方法に過ぎないというのです。 なるほど、それなら、頭を通して知恵から生まれた知識を再び頭に返しても知恵は生まれないということだから、詰め込み教育が人間が生きていくためにはほとんで役立たないわけだ。 いわば、知識は人間が人間として生きていく上では基本的なものであり、また多少は必要ではあるようなんですが、決して絶対的なものでも、またすべてでもないようですね。 当初は、知識の詰め込みが大切だと考える学力主義派と、知恵、つまり、まずは子供たちを愛情の元で育てながら、生きる力を養成しようとする生きる力派との間で激しい論争が行われたそうですが、最終的には生きる力派勝利を収めたようです。 その勝利の最大のの要因は、学力というのは個人差がありますが、生きる力というものはそれほど個人差はなく、生まれたときから誰にもみな平等に備わっているために、ほとんどの人には生きる力派の主張が受け入れ安かったからのようです。 最初は、学力主義派が支持されていたんですが、次第に生きる力派が優位を閉めるようになり、最終的には、生きる力派が完全に勝利を収めたようです。 その決定的要因は追跡調査でした。 それまでは詰め込み教育で優秀な成績を収めていたものが、その後社会に出てどうなったか、つまり、実社会でどんな活躍をしたかが判らなかったのですが、その追跡調査によってはっきりと判ったのでした。 それによると、学力が高く優秀とされていたものと、その後社会で活躍したものとの間には何の相関関係もなかったということでした。 その結果は衝撃的なものだったようです。 でも、もっと衝撃的だったのは、学力が高かったものと、自殺者との間には正の相関関係があったことでした。 では、そのことは何を意味するかというと、 そのような詰め込み教育が、良くも悪くも人間の精神の発達や形成にどのくらい影響を及ぼすかは、人によって違うだけでなく、その典型的な悪影響とされている心の病、つまり精神病として発症する時期も人によってまちまちなのです。 肉体の病気で言えば潜伏期間ですが、それが違うということです。 若い内に発症する人もいれば、壮年になって精神的ストレスかなんかのちょっとしたきっかけで発症する人もいるのです。 若い人は原因も単純でなんとか治療できるのですが、壮年の人の原因は色んなことが複雑に絡み合っていて治りづらいそうです。 その場合は自殺につながる割合がかなり高かったようです。 いずれにせよ、詰め込み教育というのは競争の結果をテストで計ろうとするものですから、いつ発病するかもわからないように精神の病に感染させたり、そのうえ不必要な劣等感だけではなく、ゆがんだ優越感も植え付けたことは確かなようです。 そのようなわけで、もう誰も学力主義派の言うことは信じなくなったのでした。 そしてその結果、その後は、まずは子供たちを愛情の元で育て、そして生きる力を養成しようとすることを基本にすえた教育が積極的に取り入られるようになっていったのです。 もう君たちたちはすでに経験していると思います。 君たちは色んな教育プログラムや、遊びや、スポーツや活動を通して、そこで次から次へと起こるさまざまなトラブルや障害を解決しながら、先に進んで行くためには、何をすればいいかを体験的に学習しているはずです。 その過程で、君たちは悲しい思いや、辛い思いや、悔しい思いをしてきたと思いますが、それが、君たちを精神的に鍛えるとともに、大人になって人間として生きていくために必要な知恵や勇気をもまた育んで来たのです。 それには昔のような知識が必要でないこともないんですが、それほど絶対的なものではなく、必要に応じてそのつど覚えればいいものなのです。 しかもそれは、生涯にわたって覚えればいいものなのですから、子供のある期間にだけ限って覚えるという詰め込み教育は廃れるわけです。 知識の不足は後で補えるが、愛情の不足は決して後で補うことは出来ないということのようです。 というわけで、結局、今日のような教育制度に落ち着いたわけですが、では、この制度はどういうものかというと、つまり原始のころ人間が文字や数式などを用いないで子供を育ていたころの教育環境に戻ったということなのです。 このことを昔の教育学者は、 私たちの肉体に生まれつき備わっている知恵を利用する、 と言っています。 さっきもいってように、知識を詰め込む能力は個人によって大きく差があります。 でも、生きようとする能力は個人差はほとんどありません。 では、なぜ幾たびも、人間はその教育方法を間違えたかというと、教育というものは徹頭徹尾個人の問題であるにもかかわらず、 まず、先生というものがいて、その先生が複数の子供たちに何かを教える、というシステムが最もベストと考えられたからなのです。 では、なぜそういう結論になったかというと、それは子供を教育するには、どういう方法がが最善かということが徹底して考えられた結果ではなく、経済的なな制約、つまり、教育的には、できるだけ先生の数を多くして子供の数に近づけるということは、もっとも望ましいことなんですが、でも、それではあまりにもお金が掛かりすぎて経済的には不合理と考えられたからなんですね。 現在お金がある人は先生を個人的に雇っていますが、ほとんどの子供たちは決してベストではないがベストに近い現在の教育制度もことで育てられています。 私だけではなく今日の多くの人は、人間教育はマンツウマンが最善だと考えています。 でも、今後、現在の教育制度がどうなるかは、それを支える経済的問題の解決しだいだと思います。」 そういい終わるとセイダは大きく息を吐いた。 このとき校内を涼しい風が通り過ぎていった。 セイダは、それまでの真剣そうな表情を満足そうな笑顔に変えて、再び話し始めた。 「ふう、どうやらやっと、私のささやかな夢が叶ったようです。 今までは教育とはどういうものかについて、君たちに話したことはなかったのですが、今日、ようやくそれが出来ました。 私も少しは先生らしく、君たちの為になることを言おうと思ってですね、何ヶ月前から勉強したんですよ。 昔の本や資料を読んだりして。 どうでしたか、少しは参考になったでしょうか。 さて、そろそろ最後になりました。 今日で君たちはこの学校を卒業して、ほとんどは今までさ育てられた親元を離れて、みんなそれぞれの道に歩むわけですが、これまではあくまでも、これから君たちが大人となって社会に出て行くための準備期間であり猶予期間なのです。 だからここで君たちが学んだり経験したことは、専門家によって前もって考え出されたプログラムに基づいていますから、ある意味擬似体験のようなものであり、けっして真実ではありません。 でも、これからは本当の意味で君たちの努力や忍耐が必要とされるようになるでしょう。 そして本当の意味で悔しいことや辛いことや悲しいことを経験していくでしょう。 でも心配入りません。 君たちはそのために、この学校で学んできたのです。 もう君たちには生きる力が備わっています。 自信を持ってください。 むやみに不安がってはいけません。 それでは最後に、皆さんがこれから何をやるか、将来何になりたいか訊きたいと思います。 では、ケルスから。」 「将来、僕は科学者になって、まだ誰も見たことがない"宇宙の果て"について研究したいと思います。 できれば、宇宙船でその場所に行って写真に撮ってみたいです。」 「宇宙物理学者だね。 それでは、カラムは?」 「将来、私は発明家になります。 そして反重力を利用して今よりも効率のよいエアカーを作ります。 それからもっと人間に近いロボットを作りたいです。 でも本当は、まだ誰も成功してないタイムマシンを作りたいと思います。」 「夢は出来るだけ大きいほうが良いからね。 セキルは?」 「私は医者になります。人間の心を守る医者になります。 でも、学校にも、尊敬できる人のところにも行きません。 そんな人いませんから。 昔の本をたくさん読んで独学で勉強します。」 「精神科学者だね。 肉体の病気は、今はほとんどコンピューターと機械で診断し処置してくれるから、それはもう解決されていると言っても良いくらいだからね。 それに比べて、人間の心の問題は複雑すぎて、未だに解決されてないことがあるからね。」 「あのう、ちょっと違うんですが。 科学者ではありません。 私は人間の精神は科学では計れないと思っています。 だから学校にも尊敬できる人のところにも行かないんです。 とにかく私は独学で勉強します。 そして、今までになかったような学説を打ち出したいと思います。」 「うむん、すばらしいことだ。 ではラクルは?」 「僕は植物について勉強します。 そして森を耕して土で野菜とか穀物を作る人になります。」 「いまは、食べ物はほとんど工場で作っているけど、昔流でやりたいんだね。 素晴らしい挑戦だ。 いつの時代でも若者は何かに挑戦しなくてはね。 私も若いときはそうだったから。 大変だと思うど、決して失敗を恐れずに、もし、だめかなと思ったら、とにかく世界生存機構(注1)を頼るように。 これだけは皆も絶対に忘れないでおくように。 私も若いとき挫折しかかって駆け込んだことがあるから。 それではジュンカ。」 「僕は建物を作る人になります。」 「建築家だね。」 「いや大工です。 木材で家を建てる大工です。 お父さんの知り合いに名人といわれている人が居ますから、その人について修行をします。」 「やりがいのある仕事を選んだんだね。 とにかく決して諦めないことだ。 次に、マシルは?」 「僕は、まだ、なりたいものがないです。 どうしても何かに決めないといけないんですか。」 「いけないことは無いんですが、判らない人は時間をかけて決めても良いんですよ。 それで今興味のあることは。」 「歴史、人間や地球の歴史。」 「良いんですよ。 それで。 なんににも興味ないことは問題ですが。 それで充分です。 それをどんどん発展させてください。歴史家になりたいということですね。 では、ヤホムは?」 「僕は特別になりたいものはありません。 でもあえて言うなら、旅をしたいです。 そして地球上の色んなものをこの眼で見たいです。 それから後は、たぶん新しい町(注2)づくりに参加すると思います。」 「そうか、実はね、私も若いときに、その新しい町作りに参加したことがあるんだよ。 北アフカの大昔砂漠だったところでね。 良い経験になったよ。 人間の真実に触れることが出来、精神的に鍛えられたからね。 それでは、次にイサム。」 「僕は本当は海に出て魚を取る人になりたいのですが、でも両親が反対するので、まずは船に乗って海を研究する人になります。」 「海は私たち人類の源だからね。 雄大ですばらしい夢だ。 マホミは?」 「私は絵を描くのが好きですから、画家になりたい。 でも、それがだめだったら何かデザインする人になりたい。」 「大丈夫、好きであれば何にでもなれるよ。 現代は、仕事を選ぶに当たって最も大切なことは、とにかく、その仕事が好きであることだからね。 ヘレスは?」 「僕も新しい町づくりに参加したいです。 でもそのためにはまず政治や法律についてもっと勉強したいです。」 「人間や社会について役立ちたいんだね。 大変だと思うけど、とにかく挫折や失敗を恐れないことだ。 これは誰にも言えることだけれどね。 それではリセは?」 「私は話をするのが好きだから、人と話したり、相談に乗ったりする人になりたいです。」 「カウンセラーだね。 どんなに世界が豊かになっても、悩める人はいるからね。 これだけは永遠に不滅ですからね。 それでは最後にライヤだね。どうぞ。」 「私は、本当は先生になりたいです。 セイダ先生のように、でも、、、、」 「そうだね。 それ以上は自分からは言いづらいかな。 みんな聞いてくれ、実はライヤは、、、、これは大変喜ばしいことなんだけどね。 人類の究極の夢が叶うんだからね。 人間が他の星に移住するというのはね。 つまり、そういうことでライヤは家族と共に、人類最初の宇宙移住者として、三日後、第153銀河のM23惑星に移住するために、宇宙船でバイカ基地を飛び立つことになっている。 そうだよね。」 「、、、、」 「有史以来、私たち人類はこのときをどれほど待っていたんだろう。 ついにそのときがやってきたんだね。 ライヤおめでとう。 さあ、みんなも祝福してあげて。」 「おめでとう。」 「ライヤおめでとう。」 「ほんとうにおめでとう。 ライヤ、君は私たちのの希望、私たち人類の永遠の命の夢を実現してくれるヒロインだ。 そんな凄い人がこんな身近にいたなんて、本当に驚きだよ。 とにかくおめでとう。 君たちも見送りにいける人はぜひ行くように。 それでは最後に恒例となっていますから、卒業していく君たちにふさわしい言葉を送りたいと思います。 その言葉としては "ボーイズビアンビシャス" とか、 "青年は荒野を目指せ" とか、 "夢をあきらめないで" とかということをよく聞きますが、私はちょっと変ったことを言います。 それは最近、大昔の詩人の本を読んでいて偶然見つけたんですが、次のような言葉です、ちょっと謎めいていますが、 "できるだけ大きな夢を見よ、肉体の見る夢に比べたら遠く及ばないから" まあ、そうはいっても、君たちが最終的に進路を決定する来年の春までには、まだ時間があるから、ご両親に相談したりして、じっくり考えて決定するように。 もし春までに決められなかったら、それはそれでいいと思います。 とにかく時間をかけてほんとうに自分のやりたいことを見つけてください。 それでは健闘を祈る。 なお、これから伝統的な卒業の儀式を行いますが、参加できる人はするように。 マシルたち男の子七人は退屈な儀式を抜け出した。 そして校舎を出て、まだわずかに枯葉を残している樹木に挟まれた坂道を下った。 眼下にはいつもより煙った町の風景が見える。 町は中心部を除いては高い建物はなく、その為か、遥か地平線を越えて広がっているようにも見える。 そして、その上空を移動するエアカー(注7)が鳥のようにも見える。 都市から都市を高速で人や物を運搬するオレンジチューブ(注5)が太陽の光を受けて光沢を放ち町を流れる川のようにも見える。 マシルたちの住む町はウルカと呼ばれ、人口は約六十万、ほぼ千年前に新しい町から興った町だった。 学校から離れるにしたがって七人表情はだんだん悪戯っぽい少年の表情になっていった。 マシルなんとなく開放的な気分でで町に入った。 入ってすぐになぜ町が煙っているのか判った。 いたるところで落ち葉が燃やされていたからだ。 七人はいつものように多くの人々が集まる町の広場へと向かってむ歩きつづけた。 しばらくすると道路を走っているエアカーから声をかける者がいた。 「ラクル、卒業おめでとう。」 そのエアカーが通り過ぎると、ラクルが不満そうに言った。 「なんで大人たちはみんなあう言うんだろう。ちっともおめでたくはないんだけど。そうだろう。」 「そうだ、全然おめでたくはないよ、卒業したからって。」 なげやりなラクルの言葉に同調するかのようにマシルが言う。 「大人って何を考えているのかよく判んないよな。」 ジュンカも同調して言う。 「そうだよな。ラクル、さっきの人誰?」 「親戚の人。ちょっとうるさいんだ。」 やがて七人は広場に着いた。 広場は小さな子供から年寄りまで多くの人たちで溢れていた。 広場にはエアカーの乗り入れはできないが、その周辺には生活に必要なあらゆる店からあらゆる公共機関があるからだ。 七人はもう完全にいたずらっぽい少年の表情になっていた。 「もうセイダ先生と会えないと思うと、寂しいというか、嬉しいというか、複雑だね。」 「先生は最後に理屈っぽくなったね。」 「大人はみんなそうさ。みんな理屈っぽくて、それに、、、、」 「嘘つきでね。」 ヘレスのその言葉で話が途切れたが、そのときケルスが広場にそびえたつ掲示塔を指差しながら叫ぶように言った。 「見ろよ。地球の人口が十億人を超えたんだ。 やっぱりほんとうだったんだ。 今朝から何度も耳にしていたから気になっていたんだ。 すごいな、これからどうなるんだろう。」 その言葉にヘレスがただちに反応した。 「どうってことないさ、だって昔は百億人以上もいたんだよ。」 「うそ。」 「ほんとうだよ。」 「いままでそんなこと聞いたことないよ。ヘレスはどうしてそんなこと知ってるんだよ?」 「調べたんだよ。特別世界資料館で。」 「あれ、そこは子供はアクセスしてはいけないんじゃなかった。」 「そんなこと関係ないよ。 大人の決めたことだよ。 その気になれば簡単にアクセスできるんだよ。 もう昔の色んなことが判ったよ。 今日マシルが質問した太平洋の緑のシミについて、あのこと、セイダ先生は嘘ついている。 先生はよく判らないといっているけど。 大昔はあそこには人が住んでいたんだよ。 でもあることが原因で人が住めなくなったんだよ。」 「あることって。」 「戦争だよ。チャナとメリカという国が戦争して、その二つの国のちょうど間にあったヤホという国が巻き添えを食って滅ぼされたんだよ。 核分裂爆弾を使用した戦争だから、最初はその二つの国が共倒れと思っていたようなんだが、どういう訳か何の関係もないそのヤホという国が犠牲になることで、しかもその二つの国はまったくの無傷のままで、その戦争は終わったということなんだよ。 そのヤホという国には二百発以上の核分裂爆弾が落とされたみたいだね。 それでそこに住んでいた人間は全員死んでしまって、それで、それ以後は二度とそこに誰も住まないようにと、永久に立ち入り禁止地域にしたみたいなんだよ。」 ケルスが苦笑いを浮かべながら少し声を荒げていった。 「僕はそんなこと信じない。確かに昔は核分裂エネルギーを利用していたっていう話は聞いているけど、でも、人間を殺すために使っていたなんてありえないよ。 フィクションか伝説だよ。」 ヘレスが頭を左右に振りながら答えた。 「本当の話だよ。」 「いや、僕は絶対に信じない。どうして人間同士が殺しあわなければならないのか、その理由がまったくは理解できないから。」 「戦争だからさ。」 「その戦争というのがよく判らない。」 「昔の地球は沢山の国に分かれていたって今日授業で習ったじゃない。 その国同士が戦争していたんだよ。 今と違って、その頃は、国ごとに肌の色も、話す言葉も、宗教も、全部違っていたんだよ。 それで何かのきっかけで仲が悪くなるとすぐ戦争を、簡単に言うと国同士の喧嘩だね、それをやったんだよ。」 「その戦争のきっかけってどんなこと。」 「うん、よく判らない。 まだ調べてないから。 でもその殺し合いってそうとう激しかったみたいだね。 何十万人も部屋に閉じ込めて毒ガスで殺したり、空から飛行機で爆弾を落として何十万人も住む町を焼き払ったり、大きな穴を掘ってそこに何十万人もの人を集めて銃で撃ち殺したり、それでも生きているものはそのまま生き埋めにしたりしたんだよ。」 そのときヤホムが割り込んできた。 「そんなことありえないよ。 でたらめだよ、作り話だよ 。昔いくら人間が野蛮だったとはいえ、そんな同じ人間に対して残酷なことをするわけないよ。」 イサムも割り込んできた。 「僕も信じられない。どんな理由があろうが人間同士がそんな殺し合いをするなんて理解できない。」 「でも真実さ。 僕にもその理由がよく判らないけど、その頃はとにかく対立していたみたいだよ。 なにせ国によっては同じ人間を、肌の色が違っていう理由で、足を鎖で縛って奴隷にして使っていたぐらいだからね。 それでも最初の頃の戦争というのは、弓や刀を使っていたみたいだけど、そのうちに、銃や爆弾を使うようになって、そして最後のほうは大量に、しかも無差別に人を殺せる核分裂爆弾を使ったみたいだ。 そうじゃなければ、百億人もいた人間が現在の十億人になるわけないじゃないか。」 ヤホムも割り込んできた。 「いや、そんなこと考えられない。 人間の数が減ったのは、きっと他の理由だよ。 たとえば病気とか、天候異変とか、災害とか、絶対そうだよ。」 すると真っ先にヤホムが反応した。 「地球の人口が減ったのは、女の人が子供を生まなくなったからじゃない。 お父さんが言っていた、昔、男の人が子供を生んでいたときがあるって。 それくらい深刻な問題だったって、ことじゃないの、昔、女の人が子供を生まなかったってことが。」 ヘレスが冷静に答えた。 「それはちがうよ。 男の人が子供を生んでいたのは、女の人が子供を生まないからじゃないよ。 女の人が子供を生むか生まないかを自分で決めて、しかも、誰の子供を生むかも、自分ひとりの意志で決めるようになって、その結果、ほとんどの女の人が流行のように優秀な男の子供だけを生むようになったので、それなら、男たちも自分で子供を生もうということになったみたいだよ。」 「それは神話の世界の話しじゃないの、男が子供生むなんて信じられない。 どうやって。」 「科学の力でね。」 「まさか、、、、」 「本当みたいだよ。 とにかく昔は色んなことがあったみたい。 なにせ科学の力ですべてが解決できると思っていたみたいだから。」 「どこかで聞いたことがある、昔は同じ人間を何人も作っていたことがあるって。 とくに社会の役に立つ優秀な人間をね。」 「本当かな、信じられないよ。」 「嘘さ、作り話さ。」 「なんとなく気味が悪いな。」 「フィクションさ、昔話さ。」 「アッ、そうだ。 人口が少なくなったのは戦争だけとは限らないのじゃないかな。 先生が言っていたように、昔は変な人がいっぱい居たから、それで殺しあったり、それから自殺する人もいっぱい居たみたいだから、それが原因じゃないかな。」 そのときヘレスが話をまとめるように言った。 「よし、今日帰ったらさっそく調べるよ。」 そしてケルスが話題を変えた。 「もう、その話は止めよう。 なんか気持ちが暗くなる。 ところで、みんなはライヤの見送りには行くの?」 「もちろん行くさ。」 「行くよ。」 「もちろん。」 「会ってさよならを言うんだ。」 このように、ケルスの言葉にすばやく反応するものや、うなづく者がほとんどだったが、マシルだけは興味なさそうにしていたので、ケルスは直接訊ねた。 「マシルは?」 「僕は行かない。」 「えっ、どうして?ライヤとよく話してたじゃない。親しそうに。」 「そんなことはない、ケルスこそ仲良さそうに、よく話していたじゃない。 笑ったりふざけあったりしてさ。」 「それはそうだけど。クラスメイトだからさ。 でも、僕はいつも感じていた。 マシルと話すときのライヤと、僕と話すときのライヤは違うんじゃないかって。 ときおり、なんかちょっと恥ずかしそうな表情をしたりしてさ。 たぶんライヤはマシルのことが、、、、」 「なに言ってんだよ。 気のせいだよ。 みんなと変わりなく話していただけさ。」 「そうかな、寂しくは思わない?」 「突然だったから、よく判らない。」 「僕はとてもショックだった。 カラムは?」 「もちろん大ショックだよ。 いくら人類の永遠の命の夢を実現するためとは言ったってさ、もう会えなくなるんだよ、きっと永久に会えないんだよ。 僕は絶対に泣いちゃうだろうな。 だってライヤは特別だから。 そうだよね。」 「最後になんて言えばいいんだろう。 サヨナラかな、、、、でも変だな。 サヨナラはまた会う人に言う言葉のような気がするけど。」 その言葉を聞いて男の子たち全員黙ってしまった。 そして、その後も会話は弾むことはなかった。 やがて七人は、いつものように軽くサヨナラを言って別れた。 なぜなら、 誰もがそのうちに、 また会えるような気がしていたから。 3部に続く жжжжжжжжжжжжжжжжжж |