やがて夕暮れが(7部) はだい悠
十月も終わりに。 その土曜日の朝、マサオは郵便配達のオートバイの音を耳にしながら目覚めた。だが、なぜか胸苦しさを覚え、鼓動が早まるのを感じた。マサオは、今日は土曜日なんだと自分に言い聞かせながらふたたび眼を閉じた。 昼前にふたたび眼が覚めた。窓の外は相変わらず薄暗い。もう朝のように胸苦しさはなかったが、なんとなく体がだるかった。マサオは布団に入ったまま、そのありかを確認するかのように思いっきり手足を伸ばした。全身から軽い運動の後のような充足感が伝わってきた。起きて歩いたが、疲労が残っているせいか、ふらついた。顔を洗ってさっぱりしても、頭はもやがかかったようにぼんやりとしている。マサオは窓も開けずにふたたび布団に横たわった。 休日といっても外に出るのがなんとなく億劫に感じた。 そして午後。マサオは頭に入らない新聞を何度も読み返したり、窓からラスにぼんやりと眼をやりながら、ただ日が暮れるのを待った。 やがて夕暮れが。タバコが切れていることに気づいたマサオは、部屋を出た。ひんやりとした外気には匂いがあった。マサオは夕刻の気配に浸るように大きく吸い込んだ。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 大家の源三は風呂から上がったところであった。マサオが来たのも気づかないようすで、全身が濡れたまま、台所の奥の薄暗い風呂場の入り口で、うめくようになにやら呟きながら、痴呆のようにうなだれ、力なく立ったいた。タカがバスタオルを持って奥の部屋から出てきた。 「高橋さんが来たよ。いま拭いてやるからね」 と、まるで子供をあやすように言いながら、源三の体を拭き始めた。タカは物を扱うように無造作だった。拭き終わると、奥の寝床まで、タカの肩にもたれかかるようにおぼつかない足取りで歩き始めた。やせこけた体、異様に膨れ上がった腹がはげ頭のような光沢があった。マサオの前を通るとき源三はマサオに笑いかけたが、笑顔はぎこちなく眼だけが笑った。その眼もマサオであることを認めていないようであった。鈍く光る瞳、灰色がかった顔の皮膚、弛緩した唇、その表情にはかつてタカを怒鳴っていたときのような荒々しさはなくなっていた。意志も生命のみずみずしさも伝わってこない蝋人形のような表情であった。 甘える子供のように寝床に横たわり、バスタオルの端を握り締めて離さない源三にタカは、 「なんだねえ」と子供をしかりつけるように言いながら強引に源三の手からバスタオルを剥ぎ取った。そして「もうこれなんだら」とマサオを意識したように声を上げながら、冗談ぽくバスタオルで源三を軽くたたいた。母親のように振舞うタカの前では、源三は赤子のように無邪気であった。 タバコを譲り受けたマサオは階段を昇りながら源三に表情を思い浮かべた。生気のない唇、灰色がかった皮膚の色、あれが死の影なのだろうかと思った。 翌日の日曜日、朝から晴れ渡っていた。 マサオが目覚めると、窓の外は快晴を思わせるかのような陽射しに眩しい。ときおり鳥や犬の鳴き声が遠く響き渡り、穏やかな外の気配が伝わってくる。いつものような胸苦しさも神経の苛立ちもなく、マサオはいつになく安穏とした気分であった。 十時ごろ、マサオは穏かな陽気に誘われるように外に出た。日差しはやわらかく、ときおり乾いた風が砂埃を舞い上げては、マサオの体にまとわりつきながら、路地から路地へと通り過ぎるように吹き抜けていった。車の排気音がいつもより穏かに感じた。そして歩いている人々も通り過ぎる車も町の風景の一部のように淡々として調和の取れたものに思えた。そんな風景に浸るような気持ちで歩いていたが、ふと、郷愁にも似た静かな感動とともに、こうしては居れないという何かにせきたてられるような思いに捕われた。そして、どこか遠くに自分が目指すほんとうの目的があるような気がした。 マサオはいまの充実した気分を乱されないように人ごみを避けながら、そしてただ風に身を任せるように、当てもなく歩いた。 町外れの小さな公園に通りかかった。日曜日にもかかわらず他に人影はない。通り過ぎる人も少ない。 マサオはベンチに腰をかけた。町の騒音を通して、風に揺れる木々のざわめきがかすかに聞こえる。マサオは日向ぼっこをする老人のようにゆっくりともたれかかった。そしていつもと違う町の気配に身をゆだねた。 マサオの斜め前に、公園の樹木を通してバス停が見えた。いつのまにか一人、二人と増え、人々が集まっている。ベンチに座る者、ぼんやりとたたずむ者。そして気づかぬように消えていく。しばらくするとまた人々が集まり、また気づかぬように消えていく。 そして今少女が二人ベンチに腰をかけている。やわらかい陽射しを浴びながら楽しげに話している。 そのときまでマサオは《次から次へと人々はいったいどこへ行くのだろう? いまさらどこへ行っても同じではないか!》と思っていた。だが、楽しげに話す少女たちを見ていると、どこから出かけることは、やはり楽しいことであり、夢のあることのような気がしてきた。 淡い陽射しを受けてバスが音もなく通り過ぎていった。起こった風で髪を乱しながら、少女たちか驚いたような表情でそのバスを見送ったあと、無邪気な仕草で笑い始めた。話しに夢中になっていて乗り過ごしたのだろう。 風が何かを舞い上げた。枯葉だ。公園の木々の所々が黄色やだいだい色に変り始めていた。そのはるか遠く、青い空のもとを白い雲が穏かに流れているのが見えた。よく見ると雲は徐々に形を変えているのが判った。広大な空間のもと、自由自在に形を変えながら自由気ままに漂う雲を見ているとマサオは、雲にも人間以上の生き生きとした表情があることに、いまさらのように気づいた。そしてぼんやりと眺めていると、自然と気分が晴れ晴れとしていくのを感じた。マサオはふと、いままで自分は空を忘れていたことに気がついた。紅葉し始めた木々のあいだから小鳥のさえずりが聞こえてきた。マサオは自分に酔いしれるようにゆっくりと眼を閉じた。そして、これから金色に染まるであろう秋の景色を思い浮かべた。 帰り道を歩きながらマサオは、街路樹のイチョウの葉がまだ青々としているのに気がついた。ほんとうに色が変るんだろうかと思うとなんとなん不安になった。 夕方になると、太陽に傾きとともに外気が急速に冷え込み、まだ埃っぽいぬくもりをのこは部屋に流れ込む。窓を閉めても、夕暮れ時のあわただしい様子が伝わってい来る。やがて穏かに秋の日が暮れていく。 そして夜。マサオはいつもより早めに寝床に入った。最初手足にひんやりとする布団も、そのうちに程よい暖かさになる。いつもと違い手足が自分のもののように感じ充実した気持ちであった。夜の静かな気配のなかで、遠くを走る電車の音や、風のざわめきが聞こえ、外の様子が自分と深くかかわりのあるもののように、生き生きと伝わってきた。それはまるで心に触手のようなものがあって、それが徐々に外へと延びながら、より外のもの、より遠く離れたものを捕らえて、撫でまわしているようであった。マサオは心の広がりを感じながら満ち足りた気持ちになっていた。こんな気持ちは久しぶりのような気がして懐かしい感情に捕われた。そしてマサオは今まで忘れていたのだということに気がついた。こうして何にも誰にも煩わされることがなく、夜の静かな気配に耳を傾けていることが、なににも変えがたいひと時のように思われた。そしてこのことは本来の自分の姿、自分がほんとうに望んでいる幸福の形なのではないかという気がした。これから毎日が今日のように平穏であれば良いなと思った。だが明日からのことを思うとまたイライラとした自分に戻りそうな気がして不安になった。 十一月になった。最初の金曜日、朝から冷たい雨が降り続いていた。 昼休み食事を終えたマサオは、椅子に腰をかけ、まだ残っている緊張感を覚えながら、ぼんやりと窓の外に眼を向けた。はるか彼方まで雨雲が低く垂れ込め、雨は止む気配もなく激しく降り注いでいた。その鉛色の空の下、町は雨に煙、くすんだ風景が広がっていた。街路樹の枝が風にあわただしく揺れていた。窓ガラスに吹き付ける雨がパシッパシッと音を立てた。そして雨は窓枠に溢れ、飛沫を上げながら流れ落ちていた。 マサオは不快な寒気を覚えながら、ただ無感動に眺めた。突然同僚たち爆笑が室内に響いた。マサオは休み時間といっても、いまだに気軽に同僚たちと話をする気にはなれなかった。打ち解けない気持ちや、多少の緊張感や、それに思考力が鈍くなっているせいもあったが、なんとなく億劫であった。 同僚たちの話しは猥談だった。こういう日には効果的な話題のような気がした。 マサオはふと眠気を覚えた。窓から眼を離して椅子にゆっくりともたれかかると、後頭部に心地よいしびれ感を覚えながら眼を閉じた。だが完全に眠るほどではなかった。相変わらず同僚たちの笑い声が聞こえていた。 そんな室内の気配を感じながらうとうとしていたが、深く暗い穴に落ち込むような感覚とともに、自分の意志からでは泣くほかからの働きかけのように、マサオの頭の中に数年前の自分の姿やあ思い出や風景が浮かんできた。 ・・・将来に夢を抱きながら、世界を感動的に見ている自分・・・ ・・・眼にするもの耳にするものすべてをいきいきと、そしてみずみずしく感じて過ごしている自分・・・ ・・・周囲にいつも女性たちを意識しあこがれている自分・・・ ・・・青い空のもと華やかにさいた桜の花々、そしてそれを見上げる自分・・・ ・・・春の風に戯れる女たち、流れる白い雲、暖かい風、かぐわしい風の香り・・・ それらはあたかも今目の前で繰り広げられている現実のように、頭のなかを次から次へとかすめていった。マサオは囚われたようにそれらのイメージに身を任せた。音楽のように美しく、夢のように甘美で涙ぐみそうになった。 マサオはシーンとなっている気配を感じながら我にかえった。昼休みは終わっていた。窓の外は相変わらす晩秋の冷たい雨が降り続いている。マサオは仕事に取り掛かった。もうマサオは眼の前の現実を覚めた目で見る自分に戻っていた。 夕方になって雨は止んだ。 駅の構内の人ごみを無視するかのようマサオは早足で歩きながら外に出た。駅前の華やかな風景に眼を奪われないように、マサオはうつむきかげんに歩いた。人通りが少なくなるとマサオはほっとするのを覚えた。黒ぐろとして雲のキレ博士星の瞬きが見えた。ひんやりとする風が吹いた。身が引き締まる思いであった。濡れた歩道が街頭の光を反射してどこまでもきらきら光っていた。人気ない雨上がりの沈んで風景にマサオは親しみを覚えた。なんとなく鼻歌でも出そうな気分であった。路地はさらに静まりかえっていた。マサオの足音だけが響いた。 アパートが見えてきた。大家の家の玄関の前に黒い人影が目立った。マサオは胸騒ぎを覚えた。灯りが漏れる玄関の前でひそひそ話しをするもの、忙しげに、そして物々しく出入りする者。玄関の奥は人影の割には静かであった。だが中からは重々しい雰囲気が伝わってきた。源三が亡くなったのであった。 ・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・ マサオがこの町に住み始めてからたびたび葬儀の風景に出会った。それは定期的といっても良いくらいであった。ある路地か通りで物々しく葬儀が行われ、そして半年ぐらいたって今度は別のところでという風に。葬儀はいつも突然で、しかも町の賑やかな雰囲気とは孤立するようにひっそりと行われた。そして人々は厳粛な祭りに参加しているかのように緊張気味に振舞っていた。そのたびごとにマサオは、喪服を身につけ物々しく動きまわる人々を傍観者のように見ながら何の感傷もなく通り過ぎるだけであった。だがそれから二三日もするとその場所は何事もなかったかのように生者だけが通り過ぎる風景に戻っていた。そして死はいつも二三日でマサオの頭から消えていった。 町では死はいつも他人事のように現われ、そして日々の生活からは忘れられていた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・ マサオは源三の死に驚きはしたが正直悲しみは起こらなかった。 翌日の土曜日、葬儀のあわただしい気配を感じながら、マサオは部屋で過ごした。外に出ることがいつもほど億劫には感じなかったが、なんとなく独りで静かにしていたい気持ちであった。開けた窓からよく晴れ渡った空がのぞいていた。ときおり白い雲が穏かに流れていくのが見えた。ぼんやり眺めていると自然と死者の面影が蘇ってきた。思い出の場面とともに、人の良さそうな笑顔やしわがれ声が鮮明に浮かんできた。マサオはタカから聞いた思い出林から、二人がどのように出会い結婚し、そして、どうしてこの町に住み着いたかを思い返しながら、若かったときの二人の姿やこの町に住み始めたときの生活を思い浮かべた。 夕方の冷たい風に窓ガラスが音を立てた。やがて気づかぬように日が暮れた。そして夜、重々しい雰囲気を感じながらマサオは気を使うように静かに階段を下りていった。源三がよく手入れしていたことがある薄暗い庭に眼をやったあと、ゆっくりと歩き始めた。路地はいつものように静まりかえっていた。マサオの気持ちは不思議と落ち着いていた。 薄暗い路地を抜けると、耳慣れた喧騒とともに、眼の前に夜の街の華やかな風景が広がった。空にはまだ薄明るさか残っていたが、澄み渡った空気のもと、夜の色様ざまな光が冴え渡った。身のひきしまるような冷気のなか、通り過ぎる人々の服装には晩秋に気配が現れていた。 マサオはこれといった目的もなく歩いていたが、いつのまにか駅前に来てしまっていた。土曜日とあってか人通りも激しい。そして夕暮れ時のあわただしさと重なって駅前はいちだんと賑わっていた。マサオは賑やかな雰囲気に魅せられたようにベンチに腰をかけた。そしてぼんやりと夜の街の風景に眼をやった。 おびただしい数のネオンサイン、広告塔、ビルの光る窓、車のヘッドライト、水銀灯、そしてそれらの光が交じり合い、町をまばゆく華やかに、そして幻惑的に彩る。 どこからともなく流れる音楽、車の走音、電車の音、人々の足音や話し声が溶け合い、生き生きとした町の騒音を作っている。 おびただしい人々が、どこからともなく現われ、駅に向かい、あるいは駅からでて、どこへともなく消えていく。 タクシー乗り場の行列。 そして、待ち合わせをするもの、ぼんやり佇む者、足早に歩くもの、秋の気配を体に表し多少気取り気味に歩くものたちが次々とマサオの目の前を通り過ぎていく。 マサオの眼は明るく引き締まった表情の若者たちの姿か入ってきた。とくに女性たちの姿が夜の光に映えて美しく華やいで見えた。みんなはつらつとしていて満足げである。華やかな風景に調和している。 《町は昔から何にも変っていないようだ。いつも人々で溢れ賑わい活気に満ちている。町は生命そのもののように躍動的で、いつも明るく華やかで充足している》とマサオは思った。そしてこのまま永久に変らないような気がした。 マサオは気持ちの高まりを覚えながら席を立った。以前どこへ行こうという目的はなかったが、群集にもまれて歩くことか楽しいような気がした。いつものように人ごみに気後れは感じなかった。マサオは賑やかな雰囲気に浸りながら歩いた。通りから通りへと闇雲に歩いた。花々で溢れた花屋が会った。こうばしい香りのするパン屋が在った。若者で賑わうレコード店があった。外から中の様子が見えるレストランがあった。アベックが数多く通り過ぎる。輝くような笑顔の若い女性たちの群れが通り過ぎる。マサオは恍惚とした気分になった。快楽的な飲み屋街を通りかかった。ドアの隙間から誘惑的な雰囲気が覗いた。マサオは懐かしい欲望を覚えたが、そこへ足を向けるほどではなかった。ただ自分のそんな気持ちや周囲の雰囲気を楽しんだ。マサオはただひたすら町の華やかさに酔いしれながら歩いた。パチンコ屋のまえを通りかかった。久しぶりだなあと思いながらドアを開けた。 けたたましい金属音が耳に飛び込んできた。がなりたてるような音楽が流れ、店内は騒然としていた。タバコの煙が立ち込め、空いてる席がないくらいに混雑していた。マサオは歩き菜が席を探したがなかなか見つからない。ふと、キツネのような顔がマサオの眼に入ってきた。そしてマサオは何気なく周囲を見ると、猫のような顔や、サルのような顔が、そしてすすけた顔や、皮膚のたるんだ顔や、吹き出物だらけの顔や、風船のようにふくらんだ顔が、さらには野卑な表情をした顔や、凶暴な表情をした顔や、傲慢な表情をした顔や、大人ながら子供のように表情をした顔が、店内の青白い光に照らされ次から次へと不気味にマサオの眼に入ってきた。ゲームのとりこになっている人間はみな気持ちが悪くなるほど醜く、薄汚く、欲望を露骨に表した表情であった。マサオは見てはならないものを見てしまったと思った。息が詰まりそうになった。マサオは泥で汚れた吸殻が散らばっている床を眼にしながら外に出た。歩きながらマサオは《これはいったいどういうことなのだろう?、今までなぜ気がつかなかったのだろうか?》と思った。 マサオはふたたび人ごみで賑わうとおりに出た。だが先ほどのような素直な気持ちで賑やかな雰囲気に浸れそうにはなかった。マサオは思った。 《彼らは特別な人間ではない、様ざまな職業の、様ざまな年代の、ごく普通の、どこにでも見られる、自分と同じような人間なのである。だが彼らのあの表情は明らかに醜い、薄汚い、気味が悪い、生き生きとしていない》 まちは相変わらず人通りが激しく、華やかに賑わい、活気に満ちている。だがマサオは、彼らの表情を思い浮かべると、どうしても雰囲気に浸れなかった。マサオの気持ちは妙にさめ、観察者のように冷静になっていた。マサオはもう一度彼らの表情を思いかべた。すると彼らのあの表情は生活に疲れ、生活に飽き飽きしている表情であり、そしてあくことなき欲望を追い求める表情であり、満たされない欲望を表している表情のような気がしてきた。そしてさらには人生を諦め、人生に退屈している表情だとマサオは思った。 マサオはさらに人ごみを歩き続けた。町は依然として華やかに賑わっていた。 マサオはふと思った。 《もしかして彼らのあの異様な表情は、この町に住む人間の本来の姿であり、本来の表情ではないのか? そして、町の華やかさは見せかけであり、まやかしではないのか? 人間は賑やかさや華やかさにつられて、集まり、通り過ぎていくだけではないのか?》するとマサオは暗鬱な気持ちになった。 マサオはやや歩きづらさを感じながら人々とすれ違った。そのうちにマサオは、あれほど健康的ではつらつとしていた若者の表情が内容も深みもない、衝動的で、自分の感情にほんろうされても尚も飽くことのない欲望を追い求める子供っぽい表情に見えてきた。そして大人たちもいつものようによそよそしい、不機嫌な、あるいは無表情に近い表情をしているように見えてきた。 マサオは急に人ごみが煩わしくなってきた。マサオは歩きながら恐る恐るショーウィンドーにうつる自分の顔を覗いて見た。みんなと同じ顔だ。いつか見たあの顔と同じだと思った。マサオは混乱した。不安になり、いっこくも早くこの雑踏から抜け出したい気持ちになった。 そしてマサオは思った。 《きっと自分も、このまま薄汚く、醜い表情をして、欲望に翻弄され、生きることに疲れ、秋、退屈し、年老いて、この世界からぼろきれのように捨てられ、死んで行き、二三日して忘れ去られてしまうのだ》自分の一生はそれだけなのかと思うと、割り切れない気持ちになった。 マサオは人ごみから逃れるように裏通りに入った。人影もなく静かになった。マサオは冷静さを取り戻して行った。マサオは今まで源三の死を忘れていたことに気がついた。そして自分が町の華やかさに浮かれていたことに気がつき情けなくなった。自分に腹立たしさを覚えた。 繁華街を遠く離れた通りを歩きながらマサオは弱まってきた思考力で考えた。 《町は確かに変っていない。いつも人間が集まり、賑やかで、華やかで、躍動的だ。だがそこに住む人々、通り過ぎる人々は確実に変っている。老いている、疲れている。そして確実に死が迫ってきている。だが人々はそれを忘れたように、欲望にほんろうされ、風景に幻惑され、行き、集まり楽しんでいる。自分が源三の死を忘れていたように、町は死を考えさせない、町を死を隠しているのだ、町は風景だけが変わらないのだ》 人影の少ない帰り道を歩きながらマサオは急に疲労を感じた。わずか数十分ほど町をぶらぶらしていただけなのに、会社帰りのように頭はボォッとし体はこわばり手足が自分のものでないような感じであった。そして何かに怯えるようにおどおどとした気持ちであった。だがマサオはいつもと違い、なぜかそんな弱々しい自分に苛立ち、腹立たしさを覚えた。 薄暗い通りから、遠くに町の風景が見えた。繁栄と豊かさを象徴するかのように町は美しく華やかに、そして悠然と夜空に輝いていた。マサオは理由も判らない憤りを覚えながらアパートに急いだ。 大家の家にはまだ物々しい雰囲気が漂っていた。 部屋に入ったマサオは、苛立つ気持ちを鎮めるかのようにだらしなく横たわった。まもなく町で見たことや考えたことが脅迫的に頭に浮かんできた。 マサオは感情の高まりを覚えながら思った。 《やはり自分はこのままに醜い表情をして、欲望に翻弄され、生に飽き退屈し、そして疲れ、薄汚く年老いて死んでいくだけなのだろうか? この世界からぼろきれのように捨てられ、二三日で忘れ去られてしまうだけなのだろうか? 今まで変り映えのしない毎日に、生活とはこんなものなのかもしれないとうすうす感じてはいたか、それでもいつかは何か素晴らしいことがあるに違いない、何か変ったことがあるに違いない、そのうちにきっとよくなるに違いないと心の片隅で思っていた。だが何もなかった。その兆しさえ見えない。毎日が会社とアパートの往復で、帰ってみれば不快な疲労がいつも残っており、何もできないほど思考力も想像力も衰弱しており、そして神経症患者のように苛立ち、新聞を読んでも頭には何も残らなく、痴呆のようにブラウン管を眺め、ただ食べるか飲むかで時間をすごしては、だらしなく口をあけて眠るだけだった。そうしているうちに、いつのまにか、若いときに持っていた美しい思いも、みずみずしい感覚も、豊かな感情も忘れていき、空の果てしない広がりを忘れていたように、眼の前のことだけに捕われ、心の広がりもなく、心の余裕もなく、硬直した頭を抱え、無感動に振舞い、無表情に歩き、よそよそしい人間たちとすれ違い、何かに怯えるようにおどおどとして、他人を恐れ、疑い、閉じこもって毎日を送っているだけではないのか? このままではやはり、醜い表情をして、欲望に翻弄され、生に退屈し、疲れ、年老いて死んでいくだけではないのか? それにしても他の人は、なぜ満足そうにしているのだろう? 何の疑問も持たないのだろうか? みんな自分とはそれほど変らないはずなのに、同じように感じ、同じように考えて生きているはずなのに。 いや、もしかすると彼らだって、ほんとうは満足していなのかもしれない。ただ彼らは自分のおかれている状況に気づいていないだけなのかもしれない。自分がどんな醜悪な表情をしているのか、自分がどれほど小さく弱く惨めな損沿いであるのか、そして、どのように年老いて死んで、この世界から忘れ去られいしまうのかに気づいていないだけなのではないか? 彼らだってきっと、不満や、苛立ちや焦りを感じることがあるに違いない。だが、彼らはおびただしい娯楽や遊びに、楽しみを見つけ、気晴らしをして自分をごまかし、曖昧にし、次々と新しい欲望発見し、つねに満たされることを願いながら追い求め、翻弄されでも、町の華やかさや賑やかさに自分もその構成メンバーのように感じながら、永久に変らない町の風景に、自分も永久に変らないと思い込み、毎日、洪水のように押し寄せる豊かさと繁栄のイメージで頭をいっぱいにして、自分では何をやっているのか判らないが、周囲も人間もやっているからというばくぜんとした理由で、豊かさと繁栄を自分ごとのように思い込みながら安心して生きていられるのだろう。そしてありふれた出世とか、社会的名声とか、女とか子供とか、よりよい生活とかに夢や希望を持って生きているのだろう。彼らにとって死はいつも他人事なのだ。いやこの町で現代を生きている者にとって、操作せられているのだ。そうせざるを得ないのだ。だから、自分がどのように生きているのか、そして最期はどのように死んで、この世界に別れを告げなければならないのかに気がつかないのだ。しかしおのれ自身がどのように生き、死んで行くのも知らないで、どうして出世とか女とか生活とかに希望をたくせるのだろうか? 出世、社会的名声、それほど価値があることなのだろうか? たかが人間同士の褒めあいごっこではないか! それほどすばらしいことなのだろうか? それならなぜ、こういう価値観を信じている同僚たちが、何気ない会話のなかに、独り言のようなつぶやきのなかに、そして子供じみた不気味な笑いや不機嫌な表情のなかに、不満や焦りや迷いやを見せながら、お互いに不信に陥り苦しめ合っているのだろう? 出世とは、多少有能そうに振舞うことを心得ており、ずうずうしく、鈍感で、人より声が大きく、無恥で、目立ちたがり屋で、しかも、意外と臆病な人間がなれるものなのだ。そして周囲にいつも気を使い、屈辱に耐え、必要に異常に頭を下げることなのだ。なんと愚かしい。どうして魅力的であろう。そんな価値本気で信じられるのだろうか? オンナ、美しい女性を得たいという欲望。美しいからといってどうだというのだろう? 見せびらかしておしまいではないか! それに得るといっても、その女一人を得るのではない。社会の仕組みやからくりとともに、女の背後の煩わしい人間関係も、関わりたくない集団や思惑もいやおうなしにいっしょに付いてくるのだ。そして、気まぐれとか曖昧とか臆病とかで表現されるような女性的世界を、さらには男性とは基本的に違う女性的欲望や考え方を引き受けなければならないのだ。言葉をしゃべるだけの動物を、四つの感嘆語にしか生きがいを見つけられない動物を得てどうするというのだろう? 身が持たない。そして生活。この町でどのように生きろというのだろう? うっとうしい日々を、うだるような夏を、騒々しい雑踏を、退屈な午後を、狂気じみた夕暮れを、寝苦しい夜をいっしょに過ごさなければならないのだ。そして、憎みあい、ののしりあい、やがて老いて死んでいく。コドモ。大人が醜く生き、退屈し、疲れているこの町で、どのように育てようというのだろう? 大人が悩み苦しむ現代でどのように生きろといえるのだろう? みんな呪われて生まれ呪われて生きるだけではないのだろうか? みんなごまかされている、みんなバカされている。おのれ自身がどんなに醜い症状をして生きているか、そしてどのように死んでいくのかも判ってないことに気づいていない。町の華やかさも、繁栄や豊かさのイメージも、みんな幻想なのだ。大いなる死の前では無価値なのだ。おのれ自身がどのような死を迎えるのか知らないで、生の意味などないはずだ。いや、もう他人のことなどどうでもよい。大切なのは今のこの自分なのだ。他人がこの世界をどのように思い描き、そしてどのように生き、何をやろうと、また、未来に対してどんなイメージを持っていようと、それは彼らの勝手である。知ったことではないのだ。どうも他人の生き方や考え方が気になり、あれやこれやと干渉したがる癖があるようだ。とくに自分が行き詰まり迷っているときなどは、他人がうらやましく見えるらしく、妬みもからんでか批判したくなる。そして自信ありげな成功者とか、幸せそうな人とか、いつも満足そうな楽天家を見ると、自分だけが割に合わない人生を歩んだいるような気がして、この世界を暗く描いて不安にさせたがる。ひどいときには、それで名声まで得ているときなどには、抹殺したいほど憎悪するときがある。悪い癖だ。人それぞれ。出世も社会的名声もときにはその人の生きがいとなるものだ。女もときには楽しいものだ。子供も時には可愛いものだ。周囲に惑わされるなと言いながら、これでは自分が他人の生き方や考え方に惑わされているではないか! 社会がどうであれ、他人がどう生きようと何をやろうと関係ない。大事なのは今自分自身がどうなっているかなのだ。だから今のこの自分の状態を直視しなければならない。町はいつも人間で溢れ、陽気で華やかで、とどまることを知らない繁栄で賑わっているらしい。自分を取り囲む社会も成長しどんどん豊かになり、進歩しているらしい。だが自分はどうだろう? 豊かになっているだろうか? 成長しているだろうか? 進歩しているだろうか? 毎日会社とアパートの往復、不快な疲労が残り何にもできなく、欲望に振りまわされ、思い出される思いでは子供のときの思い出だけ、そして何がなんだか訳が判らぬまま空しく過ごしているではないか! 社会や他人のことをどう批判しようが、これが今の自分の現実なのだ。紛れもない事実なのだ。自分は昔とちっとも変っていない。少しも進歩していないし豊かにもなっていない。いやかえって様ざまな物を失って衰退している。町がどんなに繁栄し社会がどのように進歩し豊かになろうが、本人が人間自身が変化し成長し豊かにならなければ、社会の進歩なんかありえないのだ。他の人たちは、進歩や反映のイメージを自分自身のことのように思い込み、この世界を華やかで豊かに、永久に変らぬもののように受け入れ酔いしれているが、自分は安易に夢を見ることはできない。そのことをはっきりと拒絶しなければならない。社会は進歩するが人間は衰弱するなんて愚かしいことだ。自分は華やかな風景に賑やかな雰囲気に満足することはできない。剃れば幻想なのだ。まやかしなのだ。自分事ではないのだ。それはおのれ自身にも化かされていることなのだ。そのうちに醜く置いて死んでいくのは眼に見えているではないか。自分は決して、他人の思惑や、振りまかれる繁栄のイメージを信じない。他人がそれで化かされるのはかまわないが、自分はイヤだ。そんな愚かしいことにはかかわりたくない。結局は、欲望に翻弄され、憎みあい、妬みあい、自己に閉じこもり、醜く年老いて、この世界からぼろきれのように捨てられてしまうだけではないか! だが、今まで、ある特定の考えが、生きる支えとして自分を助けてくれたことがあっただろうか? 自分を迷いや苦境から救い出し、生きる意義や自信を取り戻してくれたことがあっただろうか? 自分を取り囲むこの世界をどんなに批判し罵ろうとも、決して変ることはない。人間はいつものように、どこからともなく集まり、群れをなし、おのれの思うまま感じるままに行動している。そして町はいつものよう人間で溢れ、ざわめき、賑わい、永久に変らない相貌を見せながら、眩く華やかにあり続ける。そんな現実をどんなに呪い拒絶しようとも、びくともしない。とらえどころのない巨大な流れとなって、いつも悠然と眼の前に横たわっている。結局、どんな考えで一日に臨んでも、とらえどころのない大きな流れに巻き込まれながら、茫然と一日を過ごすのである。そしてその結果は、いつも不快な疲労、苛立ち、閉じ込められたような気分となるのである。やはり自分は、このまま神経をすり減らし、精神を消耗し、衰弱し、縮こまり、訳のわからないまま死んでいってしまうのだろうか? これでは町の浮浪者と変りはない。いや、彼らのほうが幸福であったりして、、、、自分は決して特別な生活を望んでいるわけではない。失われかけた感覚や感情をもう一度呼び起こし、つまらないことに煩わされることがなく静かに気持ちでものを思ったり考えたりしながら、よりよい心の平安の元に、充実した日々を過ごしたいという、誰もが望むようなごく当たり前のことを臨んでいるにすぎないのに、、、、決して贅沢な望みとは思えない。だが、このままではそんな望みもかなえられそうにもない。それよりもそんな望みを持っていては生きていけないようだ。やはり自分はこのままみんなのように、薄汚い顔をして、欲望に翻弄され、ぐちぐちと後悔し、何の目的もなく、惑わされ流されながら、生理体としての生命を維持するために、愚かしく煩わしいこの現実と関わり合って生きなければならないのだろうか? その結果は眼に見えているというのに、、、、しかしもうどんな思想も生きるための支えにはならないし、役にも立たない、やはりこのまま諦めなければならないのだろうか? どうしようもない、、、、》 ・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・ マサオはそう結論すると絶望的な気持ちになっていった。 いつのまにか夜は更けていた。マサオは考えることほど無意味なことはないと思いながら、ただ眠ることだけに心を傾けた。 ![]() ![]() |