青い精霊の森から(2部) はだい悠
* * * 二人はほとんどの通りをぶらついた。そしてまだ歩いていない通りに差し掛かったとき、ショウは先に行こうとしたトキュウに言った。 「この通りは止めよう、なんか好きじゃない、あれ、ヤーボーがいるんだよ」 「ヤーボーって?」 「おい、そんな大きい声で言うなよ、聞こえるじゃないか、お前マジで知んねえのかよ。ちょっと頭のおかしい大人のことだよ」 トキュウは良く判らなかったが、ただならぬショウの気配を察して従うことにした。 それから二人はゲームセンターに行き子供のように遊んだ。二人は今日知り合ったと思えないくらい意気投合した。 やがて金がなくなると、二人は外に出た。しばらく歩いたあと、周囲に繁華街の全貌が眺められる舗道に腰をおろした。もはや二人の若者にとってお気に入りの場所はたとえそれがどんな所でも、たちどころに居心地の良い場所となった。二人が眼を奪われるのはまったく示し合わせたかのように同じ年頃の若者たちだった。 このときの二人にとって、眼の前を通り過ぎるさまざまな人々も、町の賑やかや風景と同じように単なる背景に過ぎなかった。 トキュウは反対側の舗道に眼を向けながら言った。 「奴らか?」 「いや、違う」 しばらくしてショウが鋭く言った。 「いた、奴らで、ほらあそこの電話ボックスの隣に、アッ、こっちを見た、気がついたかな? 今日こそは決着つけないとな! 目障りでしょうがない!」 トキュウはショウに促されるようにその方向に眼をやった。そしてすぐにそれらしき若者たちの姿を捉えた。トキュウの眼はくぎ付けとなり一瞬にして気持ちが高ぶった。トキュウは激しく反発しながらも激しく惹かれていた。つまりトキュウは武者震いの予兆を感じていた。そして不安そうに言った。 「奴らは何人だ?」 「三人は居るな、なあにたいしたことないさ」 そう言うショウには自信と落ち着きが感じられた。トキュウを勇気を得た。 二人は立ち上がると、その三人の若者たちから遠ざかるように歩いた。そして急いで道路を横断して気づかれないように彼らの背後にまわると、ゴミ箱の陰に身を潜めた。 「奴らは気づいてないな、みてろ、ひびるぞ」 そう言うとショウは、ゴミ箱から空き缶をひとつ取り出し、彼らに向かって投げた。空き缶を音を立てて彼らの足元に転がって言った。そのとき黄色いティーシャツを着た一人が、その音に気づき、缶が転がってきた方向に何気なく眼をやった。そして突然のように出現したショウとトキュウを眼にした。しかしその若者は何事もなかったかのような顔をして、他の二人になにやら話しかけ始めた。 トキュウとショウは苛立った。そこでトキュウはゴミ箱からビニールのゴミ袋を取り出し、三人に向かって思いっきり投げつけた。ゴミ袋は三人の前に転がって息、今度ははっきりと三人の目に留まった。対峙の瞬間を思うと、トキュウの緊張は急激に高まっていった。しかし三人は、トキュウたちに目をくれようともせず、ゆっくりと立ち上がり、トキュウたちから離れるように歩き始めた。その姿を見てトキュウは感情を爆発させた。 「オラ、逃げるのかよ、オラ、オラ」 そのとき三人は突然逃げるように走り出した。トキュウは小走りで追いかけながらさらに吼えるようよ叫んだ。ショウも叫んだ。通り過ぎる人々は、その様子にありふれた出来事のようにほとんど関心を示さなかった。二人は傍若無人に叫んだ。トキュウは叫ぶたびにだんだん声が大きくなっていった。なぜなら自分の叫び声に身をゆだねていると自分の力強さを感じるとともに、自分が自分でなくなっていくような心地よさを感じていたからである。 二人の眼を逃げる三人の姿を追い続けた。やがてその三人は人ごみに消えていった。二人は自分たちの目の届く範囲のものはすべて自分たちのもののように感じていた。 ショウが勝ち誇ったように言った。 「なんで逃げるんだよ、つまんないな」 「あぁ」 トキュウは快感にしがみついていたのでそれ以上答えられなかった。 二人は歩き出した。トキュウが訊ねるように言った。 「やつらはいったい何をしたんだい?」 「うっ、何でむかつくかってこと? それはだな、いつだったかゲームセンターで遊んでいたんだよ、そしてたら、、、こっちはいっしょうけんめいやっていたのに、、、奴らときたら、こっちを見てさ、ニヤニヤしてるんだよ、、、なんかバカにされてるみたいでよ、腹がたって、腹がたって、『てめえ、何がおかしいんだ』って言ってやりたかったけど、なにせ、こっちは一人、奴らは三人出しさあ、まあな一回だけならまだしも、これがまたよく会うんだよな、そのたびにニヤニヤされたんじゃ、ほんとにむかつく、俺のいったいどこかおかしいって言うんだよ、、なあ、、それよりさ、お前のことトキュウって呼んで良いかな?」 「いいけど、なんで?」 「なんでって、そのほうが良いだろう。トキュウ、トキュウだよ、なんか速そうじゃないか。なあ、それより腹減らないか?」 「ああ、腹減った」 「いいか、まってろ、今度は俺が持ってくるから」 そういうとショウは一人でどこかへ走って行った。 トキュウは舗道をはずれビルの壁にもたれかかるようにして腰を下ろした。 三十分後、ショウが走って戻ってきた。そして手に持っていた弁当をトキュウに渡しながら行った。 「どうだ、すごいだろう、うまそうだろう」 「うん、うまそうだ」 二人は並んで弁当を食べ初めた。 「ついてたな今日は」 「金持ってたの?」 「ある訳ないじゃん」 「やったのか?、よくこんな大物を。お前もなかなかやるなあ」 「なあ、トキュウ、その玉子焼きどうだ?」 「どうって、なにが?」 「味だよ、ちょっと甘くないか」 「普通じゃないか、うん、ちょっと甘いか」 「俺、、、、前さ、、、、料理人目指して、、、、働いていたころ、、、よく、、、先輩たちに言われたんだよ。お、お前には向いてないってさ、、、、お前の舌はどうかしてるってさ、、、、あ、あれだよ、味音痴ってやつだよ、、、、、それで止めたんだけどな、、、、まあ、それだけじゃないけど、、、お、俺はあんまり細かいこと得意じゃないみたいなんだ。どうだいこれからカラオケにでも行かないか?」 「カラオケ? いいよ、つまんないよ」 「どうして?」 「好きじゃないんだよ」 「歌ってれば、楽しくなってくるって!」 「いきたくないよ」 「お前、もしかして、、、そうか、お前ほんとうは音痴なんだろう。そうか、トキュウは音痴なのか。俺は味音痴で、お前はほんとうの音痴、あっはっはっはっ、、、、」 「笑うなよ、だいいち金がないじゃないか」 「そうだなあ、そうだ、そうだ」 トキュウとショウが別々に孤独であったときには決して思い浮かびもしなかったような言葉が、このときなぜかあまりにも自然に次から次へと口を付いて出るようになっていたことに、二人はまったく気づいていなかった。 弁当を食べ終わると二人はふたたびさ迷い始めた。 二人の足取りも軽やかで表情も生き生きとしていた。それは飢えから癒されたというよりも、きっと二人を結び付けたに違いないお互いの孤独がどこかへ跡形もなく吹き飛んでしまったからである。 二人は繁華街をはすれて人通りの少ない通りに入ろうとしていた。曲がり角に差し掛かったとき、トキュウがいきなり窓ガラスに貼られていたポスターを指差しながら言った。 「俺、これを見るとなんかイライラしてくる。暴れたくなるっていうか、、、なあ、ショウ、お前はどうだ。なにが『犯罪のない明るい町』だよ」 それは見るものすべてが、自分に向かって微笑みかけているのではないか錯覚してしまいかねないほどの明るく清潔感に溢れた美しい笑顔の少女の防犯ポスターだった。 ショウが怪訝そうな顔をして答えた。 「俺はよく判らないな? 可愛いと思うけどな」 「うん、可愛いさ、でも、なんていうのかな、うわぁ、たまらない、ショウいいか、逃げる用意をしろ、この窓ガラス叩き割ってやるから!」 「おい、トキュウ、待てよ、ここは交番だぞ、ヤバイよ」 「判ってるよそれくらい、おっ、人はいない、今だな、ショウ、お前は先に行ってろ」 そう言いながらトキュウは、舗道に刺さっている車よけの金属の棒を引き抜くと、今度はそれを窓ガラスめがけて投げつけた。投げると同時に二人は走った。背後にガラスの激しく割れる音を聞きながら全力で走った。 最初の角を曲がる前にトキュウは後ろ振り向いた。そしてゆっくりと走りながらその角を曲がると前を走っているショウに叫ぶように話しかけた。 「大丈夫だよ、もう大丈夫。ああ、すっきりした。なんで気持ちがいいんだろう。ハァ、ハァ」 ショウは立ち止まって、ゆっくり歩いて来るトキュウに言った。 「やっぱりお前はトキュウだよ、いきなり、なんかやりだすんだから、ハァ、ハァ」 トキュウは笑いをこらえながら答えた。 「ああ、不思議だ、なんてこんなに気持ちがいいんだろう」 二人はふたたびゆっくりと歩き出した。 ときおり後ろを振り返っていたショウが心配そうに言った。 「やばくないかな?」 「なんで?」 「途中ですれ違った奴、俺たちの顔覚えてないかな?」 「大丈夫だよ。だれも、俺たちには関心ないよ」 「うん、そうだな。大人が俺たちに関心ある訳ないよな。アッ! マジ、ヤバイヨ! あの交番に監視カメラ付いてなかったか?」 「ついてても、そんなに判らないって!」 「アッ、そうだ! いい考えがある。トキュウ、お前も、俺みたいに髪を染めろ。髪を染めて、ピアスをしろよ! なんか今のままだと、見てると頭が痛くなるよ、なんか窮屈そうでさ、なあ、そうしようよ、そうすればマジで判らなくなるって!」 「うん、それていい、決めたぞ」 そう言うとトキュウは、夜空に青空を見たような気分になった。 いつしか二人はふたたび人ごみに分け入っていた。 何気なく後ろを見ていたショウが独り言のように言った。 「やつら似てるな。俺たちをつけてるのかな?」 その声に振り返ったトキュウは、二時間前に追い払ったはずかの三人組を人ごみに発見して激しく動揺した。そして三人の姿を見据えながら言った。 「奴ら仕返しする気かな?」 「判らない。よし、こっちへ行こう。もしついて来たら、奴らはやる気だ」 二人は賑やかな通りを離れた。そしてしばらく決して振り返ることなく歩いた。 トキュウにとって初めて歩く場所だった。大きな川があり、アーチ型の鉄橋があった。人通りは少なかったが、たくさんの車が鈍い夜の光を受けてひっきりなしに疾走していた。二人は橋を渡った。そして渡りきって川沿いに歩こうとしたとき、示し合わせたかのように初めて後ろを振り返った。先ほどの三人の姿が見えた。橋を渡り始めたところだった。ショウが確信したように言った。 「奴らやる気だな。この先に音楽ホールがあるんだ。あそこは広いところだ、あそこで待ち伏せよう。奴らマジでやる気なら、こっちだってな、なあ、トキュウ。あっ、そうだ、お前これ持ってろ、おれは、いい、もう一本持ってるから。他にもいっぱいあるんだ」 そう言ってショウはトキュウに一本のナイフを渡した。そしてもう一本を自分のポケットから取り出すと、慣れた手つきで扱いながら言った。 「よく見てろよ。こうやるんだ!」 トキュウはショウの真似をした。初めて手にしたので最初はぎこちなかったが、何度もくり返しているうちにどうにか様になるようになった。それと同時に徐々に緊張と興奮が高まって行った。 二人はゲートをくぐり、広場を通り、音楽ホールに通じる階段を昇りきり、三人が現れるのを立って待った。 ショウが言った。 「トキュウ、もしかしたらお前、俺たちみたいなのと付き合うの初めてじゃないか?」 「うん、そうだ。今までは何を考えているのか判んねえやつばっかりでさ」 「そうか、でもな、どうも初めてのようには見えないけどなあ」 しかしトキュウはショウの言う意味も判らないくらい不安でいっぱいだった。 やがて建物の影から三人が現われ、周囲のようすに目を配りながらゲートに通り掛かった。トキュウの眼には彼らはみなそれぞれに手に何かを持っているように見えたので、トキュウの緊張と興奮は頂点に達した。そしてトキュウは身震いするほどに全身の力を振り絞り威嚇するように叫んだ。 「おら、なにやってんだ。こそこそするんじゃねえぞ」 その声に周囲の建物に反射し、薄暗い広場に響き渡った。ショウもつられるように叫んだ。三人は驚いたように立ち止まると、お互いに顔を見合わせた。そしてゆっくりと歩いて最も近い街路樹の陰に固まった。何か相談しているみたいに。 トキュウがつぶやくように言った。 「なんだ、どうしたんだよ」 「よし、様子を見てくる」 そう言うとショウはゲートに向かって歩いた。そしてゲートに着くと立ち止まった。しばらくすると三人のうちの一人がショウの方に向かって歩き出した。そしてショウとその若者がなにやら話し始めた。やがて二人は分かれた。トキュウのところに戻ってきたショウは言った。 「奴ら、いっしょにやりたいんだって、俺たちと、どうだい、賛成かい?、反対かい?」 「ショウがかまわないなら、俺はいいよ、賛成さ」 それを聞いてショウは三人に向かって手を振りながらオーイと叫んだ。トキュウそれまでに高まっていた緊張と興奮がどこかへ吹き飛んでしまったかのように感じた。 三人がやってきた。先頭を歩いてきたものが手に持っていた紙袋を 「これを取ってくれ」 といってトキュウに差し出した。トキュウは受け取るとショウといっしょに中を覗いた。そこには缶コーヒーとハンバーガーが二つずつ、それに銀色のネックレスとナイフとストップウォッチが入っていた。ショウは 「この型の奴はまだ持ってない」 と言ってナイフを取った。トキュウはネックレスを取った。そして残りは三人に返した。 五人はお互いに名乗りあった。 三人とも髪を染めピアスをしていたが、それぞれ特徴があった。 ゲンキはだれよりも背が低く、顔も幼く、いちばん年下のように見えた。 タイヨウは体は大きかったがまだ大人の顔には成っていなかった。 サンドは痩せていてだれよりも機敏そうだった。 五人は誰一人として、それそれの名前を不思議がるものはいなかった。みんな素直に受け入れた。トキュウにはもはや微塵の敵意もなかった。 それよりも、まだ知り合ったばかりだというのに、何年も付き合ってきた友達のような親近感を彼らに覚えた。それはトキュウの体の中に爆発的に起こってきたので、とにかく何でもいいから彼らと話し合って親しくなりたいと言う気持ちにさせるものだった。トキュウは世界が急に膨らんだような気がして、かつて体験したことがないくらい陽気になった。それは何が起きても怖くない、自分には何でもできるように高揚した気分だった。 五人を近づけたのは、同じようなことを感じ、同じようなことを考え、同じようなことに興味を示すという同種の匂いをお互いに嗅ぎ取ったからであった。しかし、ではそれはいったいなんであるかは、まだだれも具体的には気づいていなかった。 トキュウがタイヨウに話しかけた。 「あそこの公園の広場で会ったよな」 タイヨウはニヤニヤ笑いながら首をかしげた。 トキュウはさらに続けた。 「電波等の隣の公園だよ」 「フンスイ広場、フンスイ広場」 とゲンキが独り言のように言うと、トキュウが同調するように答えた。 「そうそう、フンスイ広場だよ」 するとサンドがトキュウに答えるように言った。 「フンスイ広場なら、よく行ってたから、会ったかもな」 ゲンキがふたたび独り言のように言った。 「ある、ある」 トキュウがさらに続けた。 「ダンスやってたろう」 サンドが答えた。 「俺達はダンスなんてやならいからさあ、なあ、タイヨウ、お前がダンスだってよ」 それを聞きながらタイヨウはニヤニヤしながら首を振った。ショウがたずねた。 「みんなは何が得意なんだ?」 するとサンドが人差し指を折り曲げて笑いながら答えた。 「何って? これかな。金がなくで生きていけるから」 「どっ、ど、こででも寝れるからなあ」 とタイヨウがニヤニヤしながら初めてしゃべった。 するとゲンキが勢いよく言った。 「やっちゃうよ、なんでもやっちゃうよ」 それを聞いてみんながニヤついた。 サンドが言った。 「けど、トキュウほどじゃないよ。すごいんだってなトキュウは、ショウが言ってたよ」 ショウがさえぎるように言った。 「そうだ、凄いんだよトキュウは、半端じゃないんだから。怖い者なしって感じだ。すぐにパアッとやっちゃうんだ、なあ、なあ!」 「まあな」 とトキュウは反射的に答えた。 サンドが突然、車が疾走する通りを見ながら言った。 「おい、ハナだぞ、ハナ! 短い花びらだな」 それを聞いて他の者もみないっせいにその方向に眼を向けた。 水銀灯に照らされた人気ない通りを二人の若い女が歩いていた。サンドとゲンキは勢いよく立ち上がった。そのとき顔だけはどんな姿勢になっても終始女たちに向けられていた。それはまるでエモノを付けねらう肉食動物のようだった。ショウも立ち上がると弾むように言った。 「さあ、おもしろいことになりそうだぞ」 「よし、行くぞ、後をつけるぞ」 トキュウはみんなと会わせることに沸き起こる快感を覚えていた。 五人は二人の若い女の後をつけた。これから何かが起こりそうな予感にだれもが興奮を隠さなかった。 ショウが言った。 「いったいどこへ行くんだろう? 公園のほうに行かないかな」 するとトキュウがすぐ同調するように答えた。 「そうだな、そうしないかな」」 トキュウは頭に浮かぶことをすべて言葉にすることはとにかく心地よいことであった。 二人は相変わらず人気ない通りを歩いていた。五人は距離を徐々に縮めていった。そして数メートルほどになったとき、二人の女は不穏な気配を感じ取ったのか、後ろを振り返った。 ショウが大きく両手を揺らしながら言った。 「アッ、気づきやがった。チクショウ、残念だな」 だが、そう言うショウの表情は少しも残念そうではなかった。むしろ楽しそうだった。他の者も何かゲームに夢中になっているかのようににこやか立った。 距離がさらに縮まったころ、若い女たちは繁華街を臨める通りに入っていた。 五人は幾分早足になった女たちをさらに追跡したが、やがて繁華街で人ごみに巻き込まれるようになると、追跡を止めた。それはだれかが言い出したわけではなく、自然とそうなったのであった。というのも人気ない場所であれほど五人の目をひきつけていた女たちの姿も、見慣れた華やかな風景の元では、何の興味も引かない、ありふれた存在になったからであった。 繁華街では五人はまるでひとつの生き物のように行動した。かたまって歩くときもあれば離れて歩くときもあり、意味もなく走ることもあれば立ち止まって話しこんでみたり、ときには舗道いっぱいに広がって歩いてみたりと、自由自在にその形を変えた。そして道路を横切るときも、決して失踪する車にひるむことなく堂々と歩いた。彼らにとって最早足を踏み出す場所はどこでも道であり、自分たちの行動が、通り過ぎる車や人間によって妨げられないことはとてつもない快感だった。彼らの奔放な行動は夜が更けても衰えることはなかった。 だか、それでもいくらかは疲れを感じたのか、それともひとまず飽きたのか、五人は休息するかのように、人ごみを離れて、裏通りを臨める歩道にいっせいに腰を下ろした。 しばらくするとゲンキとタイヨウが小さな声だ話し始めた。そして立ち上がると二人は別々になって、色んな店先に並んでいる自動販売機の下を覗いたり手を差し入れたりし始めた。それは手分けして何かを探しているようにも見えた。彼らの行動は、見渡す限りのすべての自動販売機にじっくりと時間をかけて及んだ。 やがて二人は帰ってきた。そしてメインストリートから少し外れたところにある自販機の前に立った。そこは飲み屋の店先だった。 サンドがショウとトキュウに行った。 「俺たちも行こう、飲もうぜ」 トキュウはこのとき二人が探していたのはお金だとわかった。 ゲンキとタイヨウに近づきながらサンドが声をかけた。 「どうだ、あったか?」 ゲンキが答えた。 「三人分しかないんだ」 「良いよ、わけて飲もうよ」 五人は自販機の前に立って時間をかけて飲み物を選んだ。そして店先でふざけあいながらまわし飲みした。トキュウも勧められたが、なぜか、 「そんなに乾いてない」 と言って断った。 五人の傍若無人ぶりは、飲み屋の店先を占有しそうな勢いだった。 ちょうどそのとき二人の大人が店から出てきた。そしてそのことに気づかないタイヨウとゲンキが彼らの歩行を妨げた。するとそのうちの一人が突然怒り出し二人に向かって激しくののしり始めた。 「バカやろう、邪魔すんじゃない、ガキの癖に、こんな夜遅くまでうろつきやがって、きたねえ格好して、お前らドブネズミとおんなじだよ。オラ、どけ、どけ、ガキは家帰ってクソして寝ろ」 そう言い終ると男は、タイヨウとゲンキを両手で乱暴に押しのけ、もう一人の男と舗道に歩き出した。あまりにも突然だったので、タイヨウとゲンキだけではなく、他の三人もこれと言った反応を示すことができなかった。しかしトキュウは、仲間が侮辱されたことを自分が侮辱されたかのように感じた。そしてそれまで満ち足りていたものが急に失ったかのような気がして、それをふたたび取り戻すためなら、どんな手段を使ってもかまわないような気がした。 舗道に出た二人の男は右と左に分かれ、おぼつかない足取りで歩き出した。一人も表通りのほうへ、もう一人は裏通りのほうへ、裏通りに向かった男はトキュウたちをののしった男だった。 サンドがその男にじっと眼を注ぎながら言った。 「このままで済むと思うのか」 「ああ、そうだ、そうだ」 とタイヨウが同調した。そしてトキュウが言った。 「やるしかないな」 トキュウはみんなが同じ気持ちでいることを感じていた。そしてささやくように言った。 「よし、つけるぞ」 その声で五人はいっせいに歩き出し裏通りへ向かう男をつけ始めた。その男の足取りは思った以上におぼつかなかった。 その男が裏通りに入ると五人はその距離をすぐ背後にまで縮めた。付けねらう五人の目はどれも不安げであるだけでなく、どことなく寂しげでもあった。そして周囲にまったく人気がないことを確認すると、傷ついた獲物を狩るリカオンのように、その男を取り囲み、打ち倒し、組み伏せ、あっけなく金を奪うことに成功した。 五人にとって初めてであるにもかかわらず、しかも何の打ち合わせもしないのに、それがいとも簡単に成功したのは、みんな自分の役割を本能的に心得ていて、それを見事に果たしたからに違いなかった。みんな失われたものを取り戻したかのように満足そうに笑みを浮かべていた。なかにも喜びのあまり奇声を発するものもいた。 五人はふたたび繁華街の人ごみにまぎれた。みんな奪った金で何でもできるような気がしていた。疾走する車よりも速く膨らんでいった欲望の風船は、ビルの高みよりも高く掲げられ、どんな夜の光よりも色鮮やかに輝いていた。 まず五人はゲームセンターに行き、子供のようにふざけあい、飛びまわり、手当たり次第に遊んだ。やがてみんな同じように疲れ、同じように飽きた。そしてまだ残っている金でカラオケに行こうということになった。しかしトキュウはどうしても行く気になれなかった。そこで、二時間後に再び公園の広場で会おうということにして仲間と別れた。 トキュウは公園に向かっていた。一人になったトキュウは、どこか体の一部を失ったかのような心細さを感じ、これからどうしてよいか判らない激しい不安に襲われていた。それは昨日まで孤独に町をさまよっていたときにはまったく感じたことのないものだった。 歩きながらトキュウは激しくのどの渇きを覚えた。 < 公園につくと水を思いっきり飲んだ。飲みながらトキュウはだいぶ前から何も飲んでいなかったことに気づいた。だが、それがいつからだったから思い出せなかった。そして正門の階段を昇りながら、今日起こったことはすべて夢のなかの出来事のような気がした。階段を昇りきって広場を眼にしたとき昨日までの一人ぼっちの自分を感じた。 水銀灯に照らされた広場はいつもと様子が違っていた。普段はみんなバラバラなのだが、広場に面した階段の中央にひと塊になっていた。その数はおよそ十数名、男もいるが女もいる。でもほとんどはトキュウと同じ年頃の若者だった。 その群れにだんだん近づくにつれてトキュウは、その若者たちの前に立っている二人の大人の男の姿が眼に入ってきた。その二人は若者たちになにやら話しこんでいる様子だった。トキュウは若者たちの後ろに席を取るといっしんに聞き耳を立てた。若者たちの興奮ぶりからして、話し合いはかなり前から始まっていたようで、トキュウにとって最初何を話しているのかまったく見当がつかなかった。そのうち断片的ではあったが徐々に意味が取れるようになってきた。 二人の大人は、二十台半ばと四十前後の男だった。若者たちと話しているのは主にその年上の男で、若い男のほうは自分から進んではあまり喋ろうとしなかった。二人とも大都市の夜更けにはふさわしくないくらい身なりも話し方もきちんとしていて、その上表情や仕草もかなり理性的で、だれが見ても酔っ払いや怪しい人物でないことは判った。 若者たちにとって父親のような男が話し続けていた。 「いや、どんな親だって自分の子供のことを思わない親はいません。親だけじゃないです。学校の先生だって、魚屋のおじさんだって、バスの運転手さんだって、みんな君たちのことを心配していますよ。ほんとうよ、みんな疑りぶかいなあ、ところでみんなのご両親は何をやっているの?」 「しらねえよ、最近会ってないからな」 とその大人の眼の前に居た若者が仕方なさそうに答えた。 「親は親、子供は子供」 ともう一人の若者が言うと、他の若者たちがお互いに顔を見合わせたりして、少しざわついた。 大人の男がさらに話し続けた。 「また言うようだけど、このままで良いとは、私にはどうしても思えないんだよ。学生だったら、ちゃんと学校に行ったほうが良いだろうし、仕事をしているんだったら、真面目に勤めたほうが良いと思うんだよ。 「つまんねえんだよ」 とトキュウの眼の前で若者がつぶやくように言った。大人の男はその若い男に眼をやりながら言った。 「つまらないって、何がつまらないんだろう?」 その若者が答えた。 「何がって、学校に決まってるんじゃん。楽しくないからしょうがないじゃん」 すると大人の男がゆっくりと話し始めた。 「イヤそういうものじゃないと思うよ。たしかに今はつまらないかもしれない、辛いかもしれない、でも、それは将来絶対に役に立つことだからね。仕事だってそうだよ、今は大変かもしれない、苦しいかもしれない、でも今のうちに色んなことを身につけていれば、大人になったときに楽になるし有利だってことだからね」 そのとき突然別の若者がさえぎるように言った。 「楽しいことやって何が悪いんだよ、大人には関係ないだろう」 大人の男が冷静に答えた。 「悪いとは言ってないよ。その楽しいことをやりながら、勉強するものはもっと勉強して、働いているものはもっと真面目に働くって言うのはいちばん良いことじゃないかな。まあ、みんなにはそれそれ事情があると思うけど、でも今のままで社会に通用すると思う? それが心配なんだよ。親からもらった大事な体をそんなに傷つけてさ何が楽しいんだろう。ああ、それにどうみてもそんな化粧は変だと思うよ。服装だって決して美しくない、どっちかというと、、、、、」 そう言いかけながら首を傾げる大人の男に対して、写真のネガのような、体には熱帯地方の鳥のように着飾った若い女たちは、なにやら顔を見合わせながらお互いにぶつぶつ言い始めた。そしてそのうちの一人が激しく抗議するように言った。 「何にも判ってないね。それはあんたの考えでしょう。あたしたちには、あたしたちの考えがあるのよ。あたしたちは自分で美しいと思っていればそれで良いのよ」 「そうだよ、そうだよ」 と他の女たちもいっせいに抗議した。 大人の男は少し顔に笑みを浮かべながら言った。 「そうかな、とても美しいとは思えないけど、グロテスクって言うか、気持ち悪いって言うか」 若い女たちがバラバラに答え始めた。 「美しいよ」 「何、グロテスクって?」 「あんたのほうこそ気持ち悪いよ」 大人の男がさらに言った。 「いったい何が目的なのか、ちっとも判らないんだよ。それじゃ男の子にだってもてないだろう?」 ふたたび若い女たちがバラバラに答え始めた。 「もてるよ、可愛いって言ってくれるよ」 「このあいだ、逃げられちゃった」 「大人には関係ないよ」 「良いじゃない、自分が良いなら」 さらに大人の男が言った。 「でも、いつまでもそんな格好はできないだろう」 若い女の誰かが小さな声で言った。 「それはいつかは止めるかもしれないけど、、、、」 すると別の若い女がさえぎるように言った。 「ちょっと待ってよ。どうしてあたしたちの格好がそんなに良くないって決め付けるのよ。だって判らないじゃない、そのうちにあたしたちの方が美しいって言われるようになるかもしれないじゃん」 「そうだよ、そうだよ」 と他のすべての女たちが同調するように言った。その女はさらに話し続けた。 「ねえ、可笑しいと思わない、大人たちの服装って、男も女も、昔からちっとも変らないじゃん、みんな同じようじゃん、古臭くって、ダサくって」 それを聞いて他のすべての女たちは、子供のような仕草で無邪気に笑った。そしてその女は、ざわつきが収まるのを待って最後に締めくくるように言った。 「あたしたち誰がなんと言おうと止めないわよ」 大人の男は軽く頷きながらふたたび話し始めた。 「ところでみんなはどうやって生活しているのかな? ちゃんと働いているようには見えないんだけど。親からもらっているの? 」 仕方なさそうに一人の女が答えた。 「ちゃんとやってるよ、バイトだけど」 「バイトだけじゃこんな格好して夜まで遊んでられないんじゃないの?」 「ときどき親からもらう」 「そうだろうね。かわいそうだね。みんなのご両親は。今まで苦労して大切に育ててきたのに、こんな風になってしまうなんて、泣くに泣けないね。ところでみんなのご両親はみんなが何をやっているのか知っているのかな?」 男も女もみんなバラバラに言い始めた。 「苦労してるわけないだろう」 「あいつらが泣く訳ないよ」 「かわいそうなのはこっちだよ」 「大切だと笑わせるなよ」 「知ってるんじゃないの」 大人の男はすべての若者に訊ねるように言った。 「ご両親は何にも言わないの?」 「いわないよ」 「言える訳ないよ」 大人の男は少し表情を硬くして言った。 「どうでしょう、皆さん、もう少し真面目にやってみようという気はないですかね。もう少しご自分の将来を考えてみてはいかがですか?」 すると一人の少女が吐きすてるように言った。 「真面目に、真面目にって、だからさあ、真面目にやったからってどうなるの? 大人ってさ、サラリーマンにしても、先生にしても、真面目そうな顔をして歩いているけど、ちっとも楽しそうな顔をしてないじゃん、なんかいつもつまらなさそうな顔してるじゃん、ときどき本当に苦しそうにしている奴もいるじゃん、いったいどうしたのって言いたくなるのよね。それにさあ、あんたたちもちっとも楽しそうじゃないじゃん、ほんとうは人生を楽しんでないんじゃない?」 そしてふたたび男も女もバラバラに話し始めた。 「毎日同じことをやってさ何が楽しいの?」 「なんでさ、何も悪いことをやってないのに大人に怒られなければいけないの?」 「そう、大人はなんでみな偉そうにしているの?」 それを聞いて大人の男は一瞬戸惑いの表情を見せたが、すぐにもとの冷静な表情に戻り、丁寧に話し始めた。 「皆さん、いいかな、人生と言うものは、そんなに楽しいことばかりじゃないんだよ。むしろくるしいこしのほうがおおいかもしれない、もしよかったらみなさんのお父さんやお母さんに訊いてみたらどうですか」 「なんで親に話しを聞かなきゃいけないんだよ」 と一人の若い男が言うとふたたびざわついた。すると大人の男は語気を強めて言った。 「わたしたちは本当に皆さんのことが心配なのです。なぜなら都会には色んな誘惑が溢れていますからね。このままだと皆さんがきっと悪い道に入ってしまうんじゃないかと思っているんですよ」 「なんだ悪い道って?」 と少年の声で誰かが言うと、大人の男はゆっくりと答えるように言った。 「たとえばですね、面白くないからと言って、薬に手を出したり、お金がないからといって万引きしたり、ちょっとぜいたくをしたいからといって風俗につとめたりとか、、、、、」 「やってないわよ」 と誰かが言うと若者たちはざわめいた。そのとき一人の少女がひときわ大きな声で言った。 「ねえ、おじさん、別にあたしはやっているわけじゃないけど、風俗やってて何が悪いの? 本人がいいと思っているならそれでいいじゃない。それよりさあ、風俗に行くのはたいていあんたみたいなオヤジだよ。親父が行くから風俗があるんじゃない、ほんとうにいやらしいのはあんたのようなオヤジたちだよ」 それを聞いてふたたびざわついた。 大人の男は少しも表情を変えずにふたたび話し始めた。 「まあ、たしかにそういう面もないとは言えません。おそらく皆さんの中にはそういうことをしている人はいないんでしょう。しかし、問題なのはこのような環境のなかに居ると、犯罪に手を染めると言うか、巻き込まれると言う可能性があると言うことなんです。そうなったらそれこそ人生で台無しです。いくら本人がいいといっても大人としても見過ごす訳には行かないのです」 「ならないって」 「いいじゃないか自分の人生なんだから。何をやろうが自由じゃないか」 「余計なお世話だよ」 「あんたには関係ないよ」 とあちこちから男女を問わず声が出てふたたびざわついた。そのときだった、トキュウは肩をたたかれた。見るとショウたちが到着していた。トキュウがショウに言った。 「早かったな!」 「行く途中で他のグループともめてな、生意気な奴らだったから、ちょっとのめしたかったけど、逃げられてね、面白くないから止めて帰ってきた。何やってんだ?」 「よく判らない」 ショウと三人は他の若者のように座った。 ![]() * * * ![]() |