青い精霊の森から(9部)



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          はだい悠



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 だれも自分から進んで話そうとはせず三人のあいだにしばらく気まずい沈黙が続いた。そしてようやくショウが話し始めた。
「俺たちさ、数が少なくたって決してやつらには負けないよ。みんなやつらによりやる気があるからさ」
トキュウが答えた。
「オレだって負けないと思う、いや、絶対に勝つよ。でも、きっとタイヨウみたいに傷つくものがいっぱいでるよ」
「今度は、そう簡単にはやられないって。こっちだって全員ナイフ持ってんだから」
「うん、それは、そうなんだけど」
「ああ、判った。そんなに心配なら、場所を変えてやればいい、人が居ないところに呼び出すとか、そうすれば棒でもバットでも何でも使えるぞ、いや、闇討ちでもいいさ、人数が少なくなっているときを狙ってな、そうすればやられないって、そうしないと、このままじゃ収まりがつかないよ」
「いや、そうじゃなくて、あのままぶつかれば、こっちだけじゃなく、あっちにも傷つくものがいっぱい出るっていうか」
「そりゃあ、仕方ないさ、喧嘩だもん、タイヨウがやられたんだよ、仕返ししなくっちゃ」
「うん、そうなんだけどさ、でもさ、そもそも、いったいなぜやつらと喧嘩しなくちゃならないんだい」
「だって昨日あんな眼に合わされて黙っていられるわけないだろう。男ならやり返さなくっちゃ。それにやつらに勝てば、やつらをこの町から追い出せるじゃないか」
「なんで、やつらをこの町から追いださなきゃなんねんだ」
「そりゃあ、目障りだからだよ、邪魔臭いからだよ」
「でも、仲良くやってもいいじゃないか、俺たちだって最初は二人だったじゃないか、そのうちにゲンキやサンドやコウイチやゲンが入ってきてうまくやってるじゃないか」
ショウが首を振りながら言った。
「やつらと仲良くだと、そんな甘いこと言ってると、こっちが奴らに追い出されるよ。やつらは俺たちを追い出そうとしてるんだよ。オレは向こうの何人か知ってるけど、そいつら強くもねえくせに口だけは一人前で、いつも偉そうにしているだけなんだよ。でも、実際は根性なしで、せこくて、きたねえやつらなんだ。話しの判るような相手じゃないよ、あんなやつらと仲良くなんかできねえよ」
「でも、喧嘩にかっても、あっちにもこっちにもけが人がいっぱい出て、苦しむものがいっぱい出てきたら、それほど意味があることのようには思えないんだけど、かえってなんかみんなバラバラになりそうな気がするけど」
「そんなことないよ、かえってみんな団結するよ。しょうがないじゃないか、男のプライドを掛けた喧嘩なんだから」
ショウがうなだれて言った。
「ああ、もう、おしまいだ、今までいったい何をやってきたんだろう、俺たちは自由だ、なんでもできるんだって、皆でいっしょに、大人たちがびっくりするようなことをやってきたじゃないか、これからはもっともっとでかいことをやってさ、世間を驚かすことができるかもしれないのに、もし、やつらに負けたら、俺たちはこの町に居られなくなるんだよ、自由でなくなるんだよ、何にも判っちゃいないよ」
ミュウが同調するように言った。
「そうよ、やつらをのさばらせたら何にもできなくなるのよ。ああ、これからどんどん楽しいことが起こって、どんなにか大人たちの苦しむ顔が見られる思ったのに、これじゃ今までやってきたことが何の意味もなくなっちゃうよ」
トキュウが苦しそうに答えた。
「でも、それはオレがいなくたってできるじゃないか」
「そんなことないよ、だれか引っ張るものが、頭が必要なんだよ」
「それおかしいよ、自由な俺たちにそんな頭なんか必要ないよ。みんなで話し合ってやればいいじゃないか。それにオレにはみんなを引っ張っていくような力はないよ。オレはほんとうに何にも知らないんだよ。色んなことやってきたように言うけど、ほんとは何にもしちゃいないんだよ。それに本当はあまり強くもないし、格好もよくないし、女の子の前で泣いたりするし、そんなオレにいったい何ができるって言うんだい」
ミュウがあきれたように言った。
「まだそういうことを言ってるの、大きいとか小さいとか、格好いいとか悪いとか、頭っていうのは外見じゃないって、前にも言ったでしょう。なんていうか、、、、じゃ、いったい他にだれができるって言うの? ほかにふさわしい人がいると思う」
トキュウはしばらく黙ったあとゆっくり言った。
「オレはもう嘘言うのイヤなんだよ」
「ウソ、ウソって何が?」
「じゃ言うけど、オレは人を刺したとかレイプしたって言うけど、ほんとは何もやってないんだよ」
「それじゃ昨日はなぜあんなにうまく行ったんだ」
「あれか、オレにもよく判らない、今でも不思議なんだ」
「そんなウソ、だれでもつくさ、そういうウソはついていいんだよ。みんな判ってるさ、ウソだって、はったりだって、でも、どんなに見え見えだって、大きくついたほうが勝ちなんだ、それでいいんだよ。問題なのはどうしても許せないウソをつくやつなんだ。オレは勉強ができないけど、そういうことにはものすごく敏感なんだ」 「どんなウソでも、やっぱりウソはよくないよ」
「また子供みたいなこと言ってるよ、笑っちゃうよ」
「だってまだ子供じゃないか」
「まったく、もう。そうさ、オレたちウソつきはトキュウとは育ちが違うからな、トキュウのように親から可愛がられて育った者には俺たちの気持ちわかんねえだろうな」
「なぜオレがかわいがられて育ったって、見てもいないのに判るんだよ」
「なんとなくそういう気がしたんだよ」
ミュウが苛立って言った。
「ほんとうにところトキュウはどうしたいの?」
「とにかくオレは、喧嘩しなくたってうまくやっていけそうな気がするんだ」
「ダメだ、やつらを甘く見ている。やつらはそんな人間じゃないんだ。やつらには命令とか掟とか制裁とかはあるけど、自由なんてないのさ。サイスが言うように、思ったとおりに、感じたとおりに、やりたいように行動するなんてこと、まったくないのさ」
「もし、そうだったら仕方がない、ほかのところに行くさ」
「はあ、そんなヤワな考えじゃ、どこへ行ったって通用しないよ、だれもついてこないよ」
そういってショウは話すことを止めた。しかしトキュウがうつむいたまま何も答えないので再び話し始めた。
「やっぱりそうだったのか、いいことをやろってんだ。大人たちのいうことを聞いて良い子になろってんだ。いいさ、俺たちと別れて独りだけ良い子になればいいさ」
ミュウが怒ったように言った。
「もう、いいわ。ああ、気に入らないことをもうどんどんぶち壊してさ、これからどんない楽しいことが待っているかって期待してたのに、これじゃあたしが今までやってきたことが何の意味もなくなってしまったじゃない。あたしバカみたい。トキュウってほんとに何にも判っていないんだから」
そういい残してミュウはどこかへ立ち去って行ってしまった。ミュウの最後のほうは泣き声になっていたようにトキュウには聞こえた。トキュウとショウはその後何も話すことなく別れた。


 久しぶりに両親の元にもどったトキュウは家に引きこもった。だから町に出てふたたびかつての仲間たちと会うことはなかった。


 ショウたちと別れて二ヶ月が過ぎたある秋の日の午後。突然警察から呼び出しを受けたトキュウは、その四角い灰色の部屋で中年の刑事から取調べを受けようとしていた。刑事は不安そうにうつむき加減のトキュウに鋭い視線を投げかけながらゆっくりと話し始めた。
「名前は橋本久作だな」
「は、はい」
「ふう、それで年はいくつなんだ」
「十六」
「へえ、まだ十六なんだ。今日はなんで呼ばれたかだいたい判るね」
トキュウは黙ったまま不思議そうに首をかしげた。それを見ながら刑事は言葉を続けた。
「最近の連続放火事件だけど、君はどのくらい関わってんだ」
トキュウは首を振りながら答えた。
「ぜんぜん、いつのことですか?」
「ここ二ヶ月のあいだのことだよ」
「この二ヶ月ぼくは家に引きこもっていて外に出たことはありません。両親に聞けば判ります」
「本当に知らないのか?」
「はい、だってそんなことが起こっていたことも知らないくらいですから」
「ほんとうか、ウソをついちゃいけないよ。じゃ、先月十六日、公園の裏でホームレスが殺された事件、君は何か知ってるよね」
「いいえ、ほんとうに何も知りません」
とトキュウは懸命に真剣な表情を作りながら言った。その様子にじっと眼をやっていた刑事は幾分表情を和らげながら言った。
「長年の勘で言わしてもらうけど、どうも君は何かを隠しているような気がするんだけど、、、、まあ、いいか、ところで君は、最近テレビを見てるか?」
「あんまり」
「ニュースも?」
「見てないです」
「じゃ、事件のことは何にも知らないんだ。あんなに世間を騒がせている事件を知らないんなんて」
トキュウは初めてその刑事の顔を見ながら落ち着いた表情でゆっくりといった。
「事件って、どんな事件ですか?」
すると刑事は少し苛立って言った。
「殺人事件だよ。訳のわからない殺人事件だよ。こんな事件が起こるなんて本当に考えられないよ。いったい最近の若者はなにを考えているんだろうね。大友翔平、知ってるな、また知らないなんて言うなよ、調べはちゃんとついているんだからな、この男だよ」
そういって刑事は一枚の写真を出してトキュウに見せた。写真に写っている男の髪の毛は黒く、しかも短く、耳にもピアスはついていなかったが、トキュウはそれがショウだとすぐに判った。そして頷きながら言った。
「はい、知ってます。よくいっしょに遊んでました」
「じゃ、森嶋美由紀って知ってるな」
「モリシマミユキですか、知らないですね」
「おい、ダメ、ダメ、とぽけちゃ、もしかして任意だからって甘く見てない、答えたくないことは答えなくてもいいなんて思っていたら大間違いだよ。そのうちに判ることだからね、今のうちに正直に話していたほうがいいよ。この女だよ」
そういって刑事はもう一枚の写真を出して見せた。トキュウはそれを見たとたん心臓か壊れるかと思うくらいドキッとした。そこに写っていたのは、トキュウがかつて、くしゃくしゃになるまでポケットに入れて持ち歩いていた写真の中の少女であり、公園の裏で襲ってレイプした少女でもあったからである。これがどんな問題をはらんでいるのだろうかと、トキュウは激しく動揺し不安になった。しかしできるだけ平静さを装いながらじっくり見た。そして首をかしげながら言った。
「どこかで見たことがあるような気が、、、、」
それを見て刑事はあきれたように笑みを浮かべて言った。
「いいかい、ウソをついちゃいけないよ、何度も言うようだけれど、調べはちゃんとついているんだからね。正直に答えたほうがいいよ」
トキュウはなおも首をかしげながら知らない振りをした。刑事は急に厳しい表情になり言葉を続けた。
「いいかい、見た人が居るんだよ、君たちのこと詳しく知っている人なんだけどね。その人の話によると、君が大友翔平といっしょにこの森嶋美由紀のマンションに出入りしていたそうじゃないか、よく夜中に騒いでいたそうじゃないか、周りに迷惑掛けて、なんか若さに任せて相当破廉恥なことをやっていたそうじゃないか」
「そんなことないです、その僕たちを知っている人ってだれですか?」
「そんなこといえないよ。そんなこと聞く前にまずは正直に話すことだよ」
そう言いながら刑事は、それまでじっとトキュウに向けていた目をそらして、ふと天井を見上げた。そして突然うなづきながら言った。
「はあん、そうか、そうか、もしかしたら化粧で判んないか。そのころは元の顔が判らないくらいすごい化粧してたそうだからな。あそこだよ、裏にドブ川が流れているマンションだよ。たしか仲間からはミュウと呼ばれていたみたいだな」
それを聞いてトキュウは激しく動揺し混乱た。刑事はさらに続けた。
「この大友翔平と森嶋美由紀が人を殺したんだよ。地方から出てきて立派な人間になるために一生懸命勉強していた学生を殺したんだよ。何の罪もないのに、殴ったり蹴ったりして、最後は二人で絞め殺したんだよ、残酷なやり方だよな。テレビで見たらだれだって激しい怒りを覚えるよな、あのふてぶてしい態度、あれは自分たちのやったことぜんぜん悪いと思ってない態度だよな。奴らは人間じゃない。けだものだ。あっ、そうか、まだテレビで二人を見てなかったっけ。殺された学生というのはな、日本の将来を背負ってたつような優秀な青年だったんだぞ。親御さんも大変期待していたみたいだな。ところがこの二人のために、親子四人の幸せそうな家庭だけではなく、一家の将来の夢や希望までも全部ぶち壊されてしまったんだからな。ほんとうに悔しいだろうな、さぞや無念だろうな。幸せそうな家庭が壊されるってどんなことか、お前たちのような人間にはわからないだろう。いったいこんなことがあって良いのだろうか、真面目で優秀な人間がクズ見たいなのに生命を奪われるなんて」
このかんトキュウは、できるだけ平静さを装いながらも、ミュウと写真の少女が同一人物であることを理解できなくて、混乱は続いていた。しかしその一方で、もし同一人物であるならば、かつて自分の周りで起きた様ざまな不可解な出来事はすべて辻つまがあうような気がした。そして言った。
「ほんとうにこの二人がやったんですか?」
刑事は無愛想に答えた。
「そうだよ」
「何かの間違いじゃないですか」
「間違い、本人たちがやったって言ってるんだらか間違いないよ。ところで二人はどんな人間だったんだ? 君はだいぶ年下のようだから、苛められたり、イヤなこと押し付けられたりしたんだろう、どうなんだ?」
トキュウはまた別の動揺を覚えながら、少し間を置いてから言った。
「いいえ、とてもいい人たちでした」
「なにか変ったところはなかったか、突然暴れだすとか、残酷なことを平気でやるとか」
「いや、そんなとこは見たことないです」
「そうだろうな、だいぶ年が離れてるから判んないかもしれないな」
トキュウが驚いたように顔を上げていった。
「二人の年齢はいくつなんですか」
「なに、君は年も知らないで付き合っていたのか。だいたい判るだろう、テレビに出ているんだから、二人とも二十歳だよ」
「えっ、ぜんぜん判らなかった。一つか二つ上だと思ってた。
その刑事はじっとトキュウに眼をやりながら言った。
「なにかあるだろう。いつもどんなことやって遊んでたんだ? まあ、話したくないんなら、話さなくてもいいんだけど、でも、いずれは判ることなんだよな。実は今度の事件でどうしても判らないことがあるんだ。動機のことなんだけどね、あの二人どう見ても正直に言ってるようには見えないんだ。これまでの調べによるとだね、三人はだね、知り合ったその日にはもう被害者のマンションで暮らし始めてるんだよ、一日二日は仲良くやっていたみたいなんだけど、ところが三日目になって、何があったかわからないけど、突然大友と森嶋の二人は犯行に及ぶんだ。女の話しだと急にむかついてきたというし、男の話しだと殺したくなったから殺したということたけど、こんなの動機にはならないだろう、なんか他にあるだろう、お前だってそう思うだろう。とりあえず今は、それを必死で捜査しているんだけど、これだと言うものがまだつかめていないんだよ。警察としてはいちおう金目当てでやったんだろうとにらんでいるんだけどね。なぜなら、やつらが逃走中に捕まったのは強盗未遂だからね。一銭も持ってなかったそうだ。ふう、まあ、このようなわけで、君にもぜひ協力して欲しいってことだよ。ところで最近はいつあったんだ?」
「二ヶ月前に別れて、それ以来ずっと会ってないです」
「二ヶ月前というと、八月末か、九月初めだな」
「大体その頃です」
「なんで別れたんだ」
「やりたいことって言うか、考え方が二人と会わなくなって」
「ふうん、ウソはついてないみたいだな。やつら九月十月は地方を放浪していたみたいだからな。それから、なぜか、突然この町に戻ってきて、事件を起こしたということになってるみたいだからな」
そう言って刑事はいったんトキュウから眼を離したが、すぐにトキュウのほうに向き直り話し続けた。
「それからまだ他にも判らないことがあるんだな、ふつう逮捕されたらどんな極悪人だって、多少おとなしくなるもんだよ。少しは罪を軽くしようと思ってな、ましてやまだ二十歳の若者なんだからな、大人しくなって反省の色を浮かべて、ウソでも悪いことしました、とかって、反省じみた言葉を言うもんだよな、それが赤い血が流れている人間ってもんだろう。ところがこの男と女は似たもの同士で、反省するどころか、開き直ってあの通りマスコミの前で暴言をはくは悪態をつくはで、あの態度は取調室でも変らないんだ。男は殺したいから殺したんだ、ほかに理由なんて何もないって、その一点張りなんだ。反省してなんになる反省するくらいなら初めからやらないよ、なんてうそぶいているそうだ。それでも多少は反省の気持ちがあるんだろうと聞くと、まったくないと、なぜなら、オレはウソをつきたくないと、殺したときの気持ちを正直に言って何が悪い、それで十分じゃないかと言ってるそうだ。たしかにそれはウソかもしないけど、ウソ以前の問題なんだよな。それからこんなことも言ってるそうだ。反省していい人になって頭を下げるくらいなら、反省しないで悪人のまま嫌われていたほうがいいって、まったくどうしようもない野郎だ。今日あたりなんかこんなことも言ってるそうだ。オレは自由なんだ、なんでもできるんだ、思ったこと、感じたことをやって何が悪いって、まったくふざけた野郎だよな。頭がおかしくなったんじゃないのか、自由だからと言って人間を殺す自由なんてあるわけないだろう。なんか聞くところによると、この二人の両親は社会的地位のあるきちんとした人たちだそうじゃないか、だから、なおさら、なんであういうことをやったのか判らないんだよな。それにしても、子供を殺された親御さんはほんとうに可哀想だよな、地元では頭のいい真面目な青年として大変評判がよかったそうだ。親御さんも鼻高々だったそうだ。さぞや小さい頃から可愛がられてダイ度に大事に育てられてきたんだろうな。それが身を結び見事一流大学に進学し、これからどんなにすばらしい人生が待ち受けていたかもしれないのに、それをこの二人が全部奪い去ってしまったんだからな。それを思うとどうしても許せない気持ちになるんだ。だから、君には何があったか隠さずにはなして欲しいんだ。どんな悪いことをやってたんだ。たぶん君は奴らに命令されてイヤイヤやってたんだろうけど、そういうことはこっちだって判ってるさ、だから、正直に話してくれないかな」
 もうほとんど平静さを取り戻していたトキュウは、なにかを思い出すかのように眼を閉じうつむいた。しかしあまりよく思い出すことができなかった。なぜなら、今のトキュウにとって、まだわずか数ヶ月前とはいえ、ショウやミュウやサイスたちとの出来事は、すでに夢の中の出来事のように曖昧で漠然としたもののようにしか感じられなくなっていたからである。それでもトキュウは、今ここでなにを話すのが一番ふさわしいのかを本能的に感じ取りゆっくり丁寧に語り始めた。
「ほんとうに二人はいい人たちでした。美由紀さんは腹が減ったるときなど好きなだけ食べさせてくれました。病気のときには泊めたりもしてくれました。翔さんもいい人でした。仲間思いのやさしい人でした」
「本当に何もなかったんだな。まあ、いずれはわかることだけどな。噂では色んな悪いことをしてるみたいだけどな、でも今はとにかく動機の解明が急がれるみたいでな、そのほかのことは後まわしになってるみたいなんだ。とにかく最近はこれでもこれでも勝って言うぐらいに次々と変な事件が起こっているんだよな、経済が発展しているんだから、人並みに真面目に働けば、だれだってどんどん幸せになれるっていうのに、なんで好き好んで悪いことをやりたがるんだろうね、まあ、世の中の人全員が幸せになったら、私たちの仕事もなくなるけどね、まあ、それはそれで良いんだろうけどね。今日はこれでいいだろう。今後も協力頼むね。それから君はもうあういう連中とつきあうのは止めたほがいいよ、君はそんなタイプじゃないみたいだから、真面目にやったほうがいいよ、あっ、それから最後にもうひとつ、君は岩本幸成ってしってるかな、あれだよ、ビルの屋上から川にバイクでダイブしたバカな男だよ」
トキュウは刑事の顔をシッカリ見て答えた。
「そんな男見たことも聞いたこともありません」
「なんか君が岩本といっしょに居るところを見たって言う人がいるんだけどね」
「たぶん人違いだと思います」
「岩本が色んなくだらない事件の首謀者みたいなんだけど、今となっては、生きているのか死んでいるのかもわからないしな、でもあういう犯罪は岩本独りでできるものではないからな、きっと協力者がいたんだろうけど、もしかしたら別に首謀者がいたりしてな。まあ、私の独り言だ、聞き流していいよ。それよりこんな悪党をかっこいいなどと思って、もうあまり変な事件を起こすんじゃないぞ。警察だって仕事とはいえ大変なんだからな、どんなくだらない事件だって、今やっていることを中断しなくちゃいけないんだからな、でも、それは後まわしになるだけで、結局あとで何倍も労力が掛かるんだからな。忙しいだけじゃないんだ、色いろと神経を使うんだよ。あうまで毎日マスコミに騒がれ世間の注目を集めていたら、ちょっとでも警察の対応がまずかったりすると今度はこっちに世間の不満や怒りの矛先が向かいかねないんだからね。いいかい、君もゆっくりテレビでニュースを見たほがいいよ。今、世間はどうなっているか、どんなにどんなにこの事件に関心を持っているか、まあ関心というより、あれは熱狂だな、もう他のニュースなんてどうでもいいって感じだもんな。上から下までこの事件で持ちきりだからな。私だって自分が刑事であることを忘れてついチャンネルをあっちこっちにまわして何回も見てしまうもんな。やっぱりあれだな、なんだかんだ言っても、みんなは堕ちていく人間って言うか、悪党ってのはどんな顔をしているか、ほんとうは見てみたいんだよな、、、、、」
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 刑事の話が終わりに近づくに従ってトキュウはだんだん心臓がドキドキしてくるのを感じた。だがトキュウはできるだけ冷静さを装いながら刑事に軽く会釈して部屋を出た。そして、トキュウは決して後ろを振り向くこともせず何事もなかったかのように一歩一歩着実に外に向かって歩みを進めた。  やがて警察署を出て雑踏になかを歩いているうちに次第にそのドキドキも収まっていた。そしてトキュウは、なんだ警察もたいしたことないな、と思った。と同時に、自分はなぜあんな父親のような大人を相手に、しかも威圧的な刑事を相手に冷静にたいおうできたんだろうと不思議な気がした。


 これといった目的もなく歩いていたトキュウは、偶然にも家電量販店の前を通りかかった。展示されているすべてのテレビからは正午前のニュースが流れていた。
 トキュウは吸い込まれるように店に入った。眼の前には音の出ないテレビが上下左右に広がった。すべての画面から一人のニュースキャスターの姿が消えると、大勢のマスコミに囲まれ、刑事にはさまれて連行される二人の若者の姿が、すべての画面に現れた。髪も染めず、ピアスもつけず、化粧もせず、何にも装わないごく普通の若い男女だった。しかし彼らは紛れもなくショウとミュウだった。険しい表情で正面に向かって何かを叫んでいるショウの顔が大きく映し出された。そのときトキュウはとっさに自分に向かって叫ばれているような気がした。
"裏切り者"
と。すると再び心臓がドキドキしはじめた。トキュウは急いで外に出て歩きだした。


 歩きながらトキュウは、知らず知らずのうちに人通りの少ない通りを選んでいた。やがて前方に自分が住んでいる町へと通じる歩道橋を眼にしながら歩いていると、突然背後から声を掛けられた。
「トキュウ、トキュウじゃない」
トキュウが振りかえると一人の少女が近づいてきた。ドラッグストアのなかからトキュウの姿を発見したようだった。マイは化粧も服装も以前と少しも変っていなかった。そして驚いたように立ちつくすトキュウに向かって言った。
「やっぱりトキュウね。なにどうしたのそんなにびっくりしたような顔して、久しぶりね。なにをしていたの? ねえ、歩こう、あたしもこっちにいくの、ねえ、いったいみんなどうしたの? 急に居なくなっちゃって。あたしね、ミュウのマンションになんとも言ったの、でもいつ行ってもいないのね、そのうちに見たこともない人が出てきてさ、ミュウはどこかに引っ越したみたいなのね。ねえ、男の子たちは急に居なくなったみたいだけど、今どうしてる?」
「判らない」
「判らないって、仲間だったんでしょう。あっ、もちろん、あれは知ってるよね。サンドが盗んだ車を乗りまわしているうちに、パトカーに追いかけられて、トラックと正面衝突して死んだこと」
「ああ、そのことは知っている」
そう答えたあとトキュウはまた心臓がドキドキするのを感じた。
「どうしてあんなことしたんだろう?」
トキュウに何も答えずただ首を振った。そして話題を変えるように言った。
「いつかお金を返してもらうんだって出かけていったよね。あの約束どうだったの?」
「あれね、どうなったと思う、みんなあたしのことバカにしてたでしょう、だまされたんだってね、でも、ちゃんと約束の時間に来て返してくれたのよ。ねえ、もう一度みんなと集まって遊ばない」 「うん、そうだね、そのうちにね」
「ねえ、トキュウ、あんた寒くない、そんなTシャツ一枚で、もうじき冬なのよ」
「まだ、秋だよ。ところでさ、マイって年はいくつなの?」
「あたし?! ヒミツ。そんなことよりミュウ、今どこに居るか知らない?」
「知らない」
「それじゃ、あたしこっちに行くから、また後でね」
とマイは笑みを浮かへて言うと、幼な子のように手を振りながら横道に歩いていった。

 だがトキュウは、もう二度と会えないよう気がした。




(完)










     
  

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