青い精霊の森から(4部)



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          はだい悠



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*    *    *




 たとえ深夜になっても決して人通りの衰えることのない交差点では、すでに多くの人々が足を止めてその中心に眼を向けていた。
 そこには五人が期待したとおりに、二日前に公園の広場に突然出現したあの男がバイクに乗っていた。バイクの男はまるで楽しむかのように、交差点を通り抜けようとするものを妨害するようにゆっくりと円やS字を描きながら走りまわっていた。そのため車は渋滞し始め、クラクションは鳴り響き、騒然とした雰囲気になり始めていた。しかしバイクの男は周囲からどんなに罵声を浴びせられてもまったくひるむ様子もなく、車の通行を妨害するように自由自在に車のあいだを走りまわっていた。その表情はトキュウの眼には笑みを浮かべた余裕のあるものに見えた。やがてパトカーのサイレンが聞こえ、まもなく数名の警察官が現われた。彼らはしばらく様子を見たあと、手分けして四方の交通を止めると、その内の一人がバイクの男に近寄って話しかけようとした。しかしバイクの男は聞こえないのか、それとも無視しているのか、まったく止めようとしなかった。それはまさに何かが起こりそうな一触即発の緊張感に満ちていた。
 トキュウはその気配を全身で感じ激しく興奮した。なぜならトキュウはその何かをひそかに期待していたからだ。そのうちに気体は抑えきれない欲望に変り、興奮はじょじょに不安と恍惚をはらむようになっていった。  やがてバイクの男は止まった。先ほどの警官がもう一度近づいた。そしてなにやら話しかけたあと、バイクの男の腕に手をかけようとしたその瞬間、バイクの男は爆発的にエンジンをふかすと激しく白煙を上げながら急発進した。そのためその景観をバランスを失って倒れてしまった。しかしバイクの男は何事もなかったかのように、ふたたび平然と走り始めていた。
 抑えようもなく高まっていく不安と恍惚感を覚えながらトキュウは、これから起こるであろう暴力と混乱を熱狂的に思い描いた。いつのまにか交差点の周囲には多くのパトカーが道路を封鎖するかのように増えていた。後からやってきた警察官たちは、逃げられないようにするためか、均等の間隔で横断歩道に沿って立ってバイクの男を遠巻きに取り囲んだ。それでもバイクの男は少しも表情を変えずに悠然と走りまわっていた。  やがてあまりにも突然バイクはスピードを上げると、道路を封鎖しているパトカーめがけて走り出した。そして衝突寸前でバイクは前輪を上げてパトカーに乗り上げると、そのままあっという間にパトカーの上を通り越して、どこかへ走り去って行ってしまった。その瞬間、あとは捕まるだけだと思っていた群集はどよめいた。トキュウも思わず声を上げたが、なんて凄いんだろうという言葉が真っ先に頭に浮かんできた。そして、どうだ凄いだろうという言葉を何度も何度も頭のかなで呟きながら、なぜか誇らしげな気持ちになっていった。そしてトキュウた五人は騒然とする交差点をあとにして、一目散に公園に向かって走り出した。なぜなら、きっとバイクの男が自分たちを待っているような気がしたからだ。


 トキュウは走っているうちに自然と顔がほころび、だんだん愉快な気持ちになって来るのを抑えることができなかった。そして渋滞にはまってしまった車も、交差点に集まってきた群集や警察もみんな間抜けでかっこ悪いものに思えてきた。走りながらトキュウはさらにつぎのようにつぶやいた。
「なんだ役たたずめ、いつもはピカピカに光って猛スピードで走っているくせに、ジャマなだけどゃないか! 大人も同じだ、いつもは判ったような顔をしているくせに、あんなことで驚くようじゃたいしたことないな、警察も相当に能無しだ、いつもは偉そうにしているくせに何にもできないんだから」 
 五人は公園にやってきた。思ったとおりバイクの男は人影もまばらな広場に、二日前と同じようにステージのような花壇の上でバイクにもたれかかるように立っていた。五人は入り口の階段を降りると、バイクの男に近寄った。そしてゲンキが真っ先に言った。
「隠れなくてもいいの? 捕まるよ!」
サンドが笑みを浮かべながら言った。
「だいじょぶだよ、また逃げれば良いじゃないか、あんなヘナチンポに捕まるわけないじゃないか」
タイヨウが言った。
「ヘナチンポ、ほんとにヘナチンポだ」
バイクの男が笑みを浮かべ語りかけるように言った。
「どうだい面白かったかい、もう少し彼らも本気になってくれたらもっと面白かったのに、まあ、クライマックスはこれからだよ」
そうい言うとバイクの男はバイクから離れ、花壇のヘリに立って再び話し始めた。
「なあ、みんな判っただろう、やりたいことをやるって言うのはこういうことなんだよ。ゴチャゴチャシテ、バタバタして、ギャアギャアいって、ドカンドカンとなるのがみんな楽しいんだよ。みんな好きなんだよ。そういうことをするのにみんなウズウズしているんだよ。みんなほんとうは壊したがっているんだよ、何でも良いから。お前たちもやりたいことやりたいだろう。判るよその気持ち。その前にまあ座れよ」
そういわれて五人は階段まで下がった。そして思い思いにバイクの男と向き合えように座った。
ゲンキがバイクの男に言った。
「どうして、あんなにうまいの、どこかで習ったの?」
「習った? 違うね、自然なんだよ。自然にできるようになるんだよ。なんだってやりたいと思ったら、自然にできるようになるんだよ。だからさみんなも、やりたいと思ったらなんでもやればいいんだよ、どうしたい、そんなに不思議そうな顔してさ、まさかいまさら良い子ぶるんじゃないだろうな、判ってんだよ、みんな何をやってきたかぐらい、ところで君の名前はなんていうんだい?」
「ゲンキ」
「君は?」
「タイヨウ」
「君は?」
「サンド」
「君は?」
「ショウ」
「君は?」
「トキュウ」
「君たちは?」
「コウイチ」
「ダイスケ」
「ケイタ」
「君たちは?」
「ミュウ」
「サク」
「レイ」
「モチ」
「マイ」
一人一人の声を聞いているうちに、トキュウたちは自分たち五人だけじゃないということが判り、よりいっそう自分たちが大きくなったような気がした。
ゲンキがバイクの男に言った。
「たいちょう、隊長はなんていうんですか?」
バイクの男は表情をこわばらせ首を振りながら言った。
「たいちょう? 笑わせるよ。オレは、サイスでいい、それより隊長なんてそんな変な呼び方をするなよ。オレはサイス、オレは自由なんだから。とにかくオレはちょうのつくのが大っきらいなんだ。お前たちだってきらいだろう、コウチョウとか、シャチョウとか、もっと他にあるな、チョウがつくのは」
サンドが言った。
「あるあるテンチョウだ」
ゲンキが言った。
「エキチョウ、ショチョウ」
そして次から次へとみんな自由に言った。
「センチョウに、エンチョウ」
「ケンチョウもある」
「シチョウにチョウチョウ」
「ダッチョウにモウチョウ」
「チョクチョウにカンチョウだ」
「ブチョウ、カチョウ、カカリチョウ、ハンチョウ」
あっちこっちで笑いがもれるなか、バイクの男サイスが言った。
「とくにあのエンチョウっていうのはろくなもんじ
ゃない、大人のなかでも最低の奴らだ」
そのとき少女たちの一人が言った。 「あら、そんなことないよ、幼稚園の園長さん、とってもいいひとだったよ。ねえ、そうだよね」
「いい人、そうだよ、いい人だよ、でも、みんなの前でちょっと良いことやりすぎるんだよ。だからなんだよ。アッ、ちょっとみんなには難しすぎたかな。みんなちょっとおとなしいな、なんか心配になってきた。みんないい子になろうとしてるんじゃないかな。あれほど決していいことはするなよって言ったのに。いいかい、俺たちは自由なんだ、何でもできるんだ」
そのときサンドが話しをさえぎるように言った。
「なんかやばいんじゃないか、近くまで警察が来てるみたいだよ」
ミュウと少女が言った。
「ねえ、サク、あんた見に行ってきて、やばいと思ったらケータイで連絡して」
「うん、いいわよ」
そういってサクは階段を入り口のほうに駆け上がって行った。
 サイスが再び話し始めた。
「今まで通りやりたいことやろうよ、食いたいと思ったら盗んで食ってんだろう、欲しいと思ったら盗んで自分のものにしてるんだろう、面白くないことがあったら何かを壊すことぐらい大したことないよな、もたもたしてる奴見たら蹴飛ばせばいいんだよな、なにか気に入らない奴がいたらどんどん文句を言えばいいんだよな、それで良いんだよ」
するとひとりの少女が話しをさえぎるように言った。
「それはイジメだよ、イジメはよくないよ」
「あたし、よく苛められた」
少年たちのひとりが言った」
「イジメは良いんだよ」
「ああ、オレもよくいじめたよ、あれは苛められる奴が悪いんだよ」
サイスが頷きながら言った。
「だんだんわかって来たようなだな。みんなはもっと言いたいこと、思ったことをどんどん言って良いんだよ。みんなもっと怒ろうぜ、もっと切れようぜ、イライラしたら叫びたくなるだろう、頭にきたら殴りたくなるだろう、それで良いんだよ」
そのときゲンキが不満そうに言った。
「そんなことやったらすぐ喧嘩になっちゃうよ」
サイスが答えた。
「ゲンキといったなおまえタイヨウに何か言いたいことあるだろう」
「あるけど」
「かくさずにいえよ」
「ちょっとかったるいかな」
「タイヨウ、お前それを聞いて腹が立たないか? 腹が立ったら言い返せよ」
「いや、べつに、腹はたたないよ、ほんとだから」
「なかなか良いじゃないか、それでいい。オレがいいたいのは腹が立ったらどんどん喧嘩しろということだ。何も押さえることなんかないんだ、もし腹が立っていなかったらそれで良いのさ、何か言いたいことがあったら自然に言えば良いのさ。いいかい、我われは自由なんだ、何でもできるんだ、遠慮することはない、我われは食いたいと思ったら盗んで食ってんだ、欲しいも思ったら盗んで自分のものにしてるんだ。それなら言いたいことを言うくらいたいしたことないだろう。ブス、チビ、バカ、落ちこぼれ、とろい、キモイか、なあ、どうだ」 少女たちの誰かが抗議するように言った。
「それって差別じゃない、良くないよ」
サイスが初めて笑みを見せずに話し始めた。
「甘いな、何にもわかっていないな、どうしてそんなに話しのうまい大人みたいなことを言うんだ。
それじゃ何かい、
差別が良くないって言えば、差別がなくなるとでもいうのかい。
エコヒイキが良くないって言えば、エコヒイキがなくなるとでもいうのかい。
イジメが良くないって言えば、イジメがなくなるとでもいうのかい。
盗みが良くないって言えば、盗みがなくなるとでもいうのかい。
暴力が良くないって言えば、暴力がなくなるとでもいうのかい。
戦争が良くないって言えば、戦争がなくなるとでもいうのかい。
狼に羊を襲うなといえば、もう羊を襲わなくなるとでもいうのかい。
ブスは良くないといえば、もうブスで無くなるとでもいうのかい。
バカは良くないといえば、もうバカで無くなるとでもいうのかい。
そんなこと背広を着てネクタイを締めた大人の言うことだよ。いいかい、大人ってどんな奴らかみんな知っているだろう。
なあ、思い出そう世、今までにあったことを。
お前たちのなかにはきっと、拾い物だといって届けたのに、盗んだのだろうと、大人に言われたものがいるだろう、なあ。
お前たちのなかにはきっと、初めて規則を破ったのには、いつも破っているかのように、大人に言われたものがいるだろう、なあ。
お前たちのなかにはきっと、生徒には人気のある先生だということで、せっかく相談に言ったのに、その先生からゴミくずのように無視されたものがいるだろう、なあ。
お前たちのなかにはきっと、大人から言われたとおりにやっていたのに、それでも大人から怒られた者がいるだろう、なあ。
お前たちのなかにはきっと、人間よりも猫や鳩の方を大切にする大人を見たことがある者がいるだろう、なあ。 お前たちのなかにはきっと、子供のためとはいいながら、ほんとうは自分のことしか考えていない大人を見たものがいるだろう、なあ。 お前たちなかにはきっと、なんだかんだ言っても結局最後は暴力で抑える大人を見たものがいるだろう、なあ。
お前たちのなかにはきっと、他人が失敗すると子供のように喜んでいる大人を見たものがいるだろう、なあ。
お前たちのなかにはきっと、子供たちのように苛めあっている大人たちを見たものがいるだろう、なあ。
お前たちのなかにはきっと、動作がのろいというだけで、まるで怠け者のように言う大人を見たものがいるだろう、なあ」
そのとき突然ミュウが話しをさえぎるように言った。
「ねえ、今、サクから電話があった。警察がそこまできてるって、逃げたほうがいいよ」
サイスが頷きながら聞いた後再び話し始めた。
「オレは判ってんだ、ほんとは皆は大人より賢いってことを。みんなは本当は、真面目そうな顔をして話す大人ほどどっか信用できないと思ってんだろう。みんなは本当は、どういうことを言えば大人が喜ぶかっていうことを知っているんだろう。大人なんてそんなもんだよ。だからいいかい、とにかくみんなはかんじたとおりにさ、思ったとおりにさ、やりたいように行動すればいいんだよ。決して自分を抑えるな、誰にも遠慮するな。もし身を歩いていて、大きな犬に吼えられたらどうする、びっくりするだろう、それからどうする、殺してやりたいと思うだろう、それでいいんだ。もし、お金がなかったらどうする、腹が減るだけだろう、それからどうする。盗んで食うだろう、それでいいんだ。もし、どうしても仕事がなかったらどうする、生きていけないよな、それではどうする、なんでもやるしかないよな。それでいいんだ。誰にも文句は言わせねえ世、なぜなら我われは自由なんだ、何でもできるんだからな。鳥だって魚だって自由にやってんだ。我われ人間に出来ない訳ないよな」
そう言うとサイスはバイクにまたがりエンジンをかけた。そして言った。
「とにかく、いいことは決してするなよ。それから今日静かになったらまた会おう」
そう言うとサイスはステージのような花壇からたくみに飛び降り、林の奥へと消えていった。
 呆然と見送っているトキュウにショウが話しかけた。
「なあ、トキュウ、お前楽しそうにしているけど、あいつの言うこと本当に判ったか? オレには良く判らなかった」
トキュウが答えた。
「オレにもわからないよ。でも、こうやって皆といっしょに聞いていると、なんかとても気持ちがいいんだ。夢を見てるみたいでさ、こんな気分は始めてた。いいじゃないか、とにかく何か楽しいことが起こりそうじゃないか」


 その後夜がさらに深まるにつれて警察の姿は次第に見えなくなっていた。そして繁華街の喧騒も人通りもおさまり、町が落ち着きを取り戻した午前三時ごろ、トキュウたちは予告どおりにバイクの男サイスと合流した。
 しかし今度はサイスはバイクには乗らずに歩いて現われた。そしてサイスを先頭にして若い男たちだけが、同道と胸を張り、周囲に眼を配りながら自信を得た肉食獣の群れのようにゆっくりと歩いた。
 やがて隣町の繁華街についた。そこは大きな駅を中心に賑わっている町だった。駅の周囲には深夜にもかかわらずおびただしい数の自転車が放置されていた。
 人影もほとんどなくなった通りを歩きながらサイスは突然、ジャマなんだよ、といって一台の自転車をけり倒した。すると隣に並んであって自転車がドミノのように次々と倒れていった。そしてサイスはトキュウたちを振り返りながら言った。
「たしか言ったよな、ジャマなものは蹴飛ばしてかまわないって、まあ、こんなもんだよ。どうだい、みんなもやって見たいと思わないか、ここの自転車が一台残らず倒れているのをさ、たまには変わった風景もいいもんだぜ。さあ皆で手分けしてけり倒そうじゃないか、すっきりするぜ」
 若者たちに何のちゅうちょもなくサイス言うことにに従った。けり倒す様は人によって違っていたが、みんな軽快で楽しそうだった。さすがに人影が現れたときには控えたが、見えなくなるとここぞとばかりに容赦なくけり倒した。
 やがて縁の周辺のすべての放置自転車がけり倒された。その様子は何か得体の知れない巨大な力が働いたかのようだった。そのあいだトキュウは何も考えずに他の誰よりも俊敏に動いた。とにかく仲間いっしょに何かをやっていることが楽しくてたまらなかった。そして夜明けとともに一群は解散すると、みんなそれぞれのねぐらに帰って行った。


それから二日後の深夜、サイスとトキュウたちは群れた。そして午前三時になると再びサイスを先頭にして男たちだけでどこへともなく歩いて移動を始めた。着いたのは二日前とは違う町だった。そこもやはり駅を中心としたにぎわっているところで、駅の周辺にはおびただしい数の自転車が放置されてあった。しかし今度はすべてのタイヤから空気を抜くことだった。トキュウはサイスの言葉をひとつの秘密指令のように受け取り、何も考えずに楽しそうに行動した。そして誰にも見つからぬように逃げた。


 それから二日後の深夜、サイスとトキュウたちはまた動いた。今度はある日解けない通りの両側に隙間なく注射している自動車のすべてのタイヤをナイフで傷つけパンクさせた。そして誰にも見つからぬように逃げた。


 その次の日、トキュウとショウは空き家に無断で住み込んでいるところを発見され追い出された。しかしすぐに代わりを見つけることができた。それが現在の住処だある。


 その次の日、サイスとトキュウたちはまた動いた。今度はある場所に生えてある木を切り倒すことだった。そこは道路のようでもあり広場のようでもある場所だった。トキュウたちはサイスの用意したのこぎりで子本気を切った。そして誰にも見つからぬように逃げた。


 それから二日後、今度は広い工場の跡地のような場所に忍び込み、そこにある高さ二十メートルほどのコンクリート製の煙突を倒すことだった。トキュウたちはハンマーと鉄の楔を巧みに操り、その煙突を倒し粉々に破壊した。倒れるとき大音響を上げたが、誰にも見つからぬようにバラバラに逃げた。


 それから二日後、今度はある場所の幅二十メートルほどの川に掛かっている橋を川に落とすことだった。それは鉄骨とボルトで組み立てられている橋で、長いあいだ使われていたようすはなく、ほとんどがさび付き壊れかかっていて正面には通行止めの看板が立てられていた。トキュウたちはサイスの用意したスパナでボルトをはずし橋を川に落とした。そして誰にも見つからぬように逃げた。


 トキュウはサイスに対して少しも疑念を抱いてなかった。だから彼の指令を果たすことの目的や意義をまったく知らなくても、いつでも他の誰よりも忠実に積極的に行動することができた。とにかくトキュウにとって仲間といっしょに何でも良いから何かをやることが無性に楽しかった。なぜなら、それはトキュウが町に見い出したはじめての意味であり夢であったからだ。


 夢は凍結しかかっていたトキュウの心を一瞬のうちに温め、溶解させ、水のように自由にさせた。さらに夢は、トキュウの心を、いざ何かがあると一気に熱くさせながら、やがて激しく沸騰させて蒸気となって自由自在に形を変えることができるようになっていた。そして今では、今日はいったいどんなことが待ち受けているんだろうかという、期待感で夢見るような毎日を過ごすことができるようになっていた。


 太陽は完全にビル群の陰に姿を隠した。
 トキュウは体を動かし薄目をあけると、ショウも同じように体を動かし薄目を開けた。二人は目覚めた。そして無造作にティーシャツを切ると、二人はできるだけ音を立てないようにしながら、コッソリと無人ビルを抜け出し公園に向かった。


 初夏の夕暮れの蒸し暑い通りは、二人にとってちょっとのあいだ我慢するだけでよかった。やがて公園に着くと水道の栓をいっぱいに開けて、あたり一面にしぶきを撒き散らしながら体を洗い、そして冷やした。ちょうどビルの隙間から漏れた金色の夕日を浴びながら。


 最近の二人の一日の始まりは、いつもこの爽快さから始まっていた。

 ショウはトキュウに軽い合図を送るとどこかへ行った。それは今までのように食べ物を手に入れてくるという合図だった。

 トキュウはまばらに人影が見える階段を下まで降りきると、そこに腰をかけた。そして広場の中央に満ち足りた眼を向けた。三十分もすると、ショウがプラスチック容器に入った弁当をいくつか手に持って戻ってくると、その内のひとつをトキュウに渡しながら言った。
「今日は本当についてたな一番いいやつ手に入れたよ。
トキュウはふたを開けながら言った。
「ついてたって?」
「今日はオレが一番早かったみたいなんだ。いつもは誰かが先に来て一番いい奴を持っていくんだ」
トキュウが不思議そうな顔をして言った。
「よく判らないよ、言ってることが」
「だから今日はオレが一番早かったってこと、それで一番いいやつを持ってきたってこと」
今度はトキュウは首をかしげながら言った。
「へえ、なに、するとこれは店から盗んできたんじゃないの?」
ショウが少し不満そうに言った。
「違うよ、あるだろう、あるところに、賞味期限が切れてさ捨てられてあるのを、それを持ってきたんだよ」
トキュウが急に声を荒げて言った。
「なんだ、それじゃまるでホームレス見たいじゃないか! こんなもの食えるか!」
そういってトキュウは弁当を乱暴に放り投げた。
ショウも声を荒げて言った。
「なにすんだよせっかく持ってきたのに」
「今まですっとそうだったのか、盗んできたんじゃなかったのか」
「ああ、そうだよ、いいじゃないか食えれば、なんだって」
「よくねえよ、俺たちホームレスじゃないんだから、これじゃまるで道に落ちいてるものを食う猫や犬とおんなじじゃないか、なさけねえ、そんなの堕落って言うんだよ」
それまであまり表情に出さなかったショウが始めて怒ったような表情をしてトキュウを睨みつけながら言った。
「よく言えるなそんなこと、お前は何様なんだよ」
トキュウも応えるように睨み返しながら言った。
「なんだ文句あるのか」
「あるよ、なんだ、このやろう」
その瞬間爆発的に沸き起こってくる力でお互いに相手をつかむと、もつれ合うようにして地面に倒れた。そして激しく筋肉をぶつけ合いながら地面を転げまわった。
 そのとき突如ひとりの少女が近寄ってきてところかまわず靴で蹴り上げながら叫ぶように言った。
「何やってんのあんたたち、バカじゃないの! こんなくだらないことで喧嘩して、止めなさいよ、あんたたち仲間でしょう!」
その迫力にときゅうとショウの腕からは自然と力が抜けていった。そして力が抜けていくとともに怒りも消えていった。二人は地べたに座ったまま少し驚いたような表情をして離れた。二人はその少女は、サイスとの集まりにほとんど顔を出していた少女たちの内の一人だと判った。そしてトキュウはすぐに、仲間からミュウと呼ばれている少女だと気づいた。
 ミュウはまだ少し興奮を残しながら言った。
「まったくバカみたい、せっかくの食べ物をこんなにグチャグチャにして、もういい判った。あたしんちに来て、さあ、それを片付けて、あたしに付いて来て」
 トキュウとショウは不思議なくらい素直にミュウに従った。


 ミュウの後を歩きながらトキュウは、ミュウの撒き散らす香りに懐かしいものに出会ったような安心感を覚えていった。


 十五分ほど歩いて、五階建てのありふれた四角いビルのようなミュウのマンションに入った。部屋は二つあり、生活に必要なものはすべてそろっているようだった。トキュウとショウは思わず顔を見合わせた。というのも、ミュウひとりで住むには少し贅沢すぎると思ったからだ。そのことは自然と、どのようにしてお金を得ているのかという漠然とした疑問につながっていった。そのせいかトキュウとショウはなんとなく落ち着かなかった。でもそのおかげか、ついさっき取っ組み合いの喧嘩をしたことなどもうすっかり忘れていた。


 ミュウは手に抱えて持ってきた食べ物をテーブルの上に置きながらいった。
「食べるものはいくらでもあるから、遠慮しないで。まだあるから」
そう言いながら台所のほうに言った。やがて再び手にいっぱいの食べ物を持って戻ってきた。テーブルの上には、ジュース、牛乳、サンドイッチ、お菓子、缶詰、ハム、ソーセージ、りんご、グレープフルーツと、一度では食べきれないほどの沢山の食べ物が並んだ。


 三人もう長く付き合っている友達のように打ち解けていた。
 トキュウとショウは遠慮なく食べた。その様子を見ながらミュウが話しかけた。
「ねえ、あんたたち、サイスと何やってんの? ふっ、言わなくてもいいの世、あたしにはだいだい判ってんだから、ニュースでチラッと聞いたわ。たぶん、あれね。でもばかばかしいけど面白いじゃない。大人たちが真面目な顔をして騒いでいるのを見るって、なんか、とっても愉快じゃない。ええと、あたしはミュウって言うの、あんたはたしかトキュウだよね、それからあんたか確かショウだよね。びっくりしなくてもいいのよ、あたしは案外見かけによらず覚えがいいのよ。一度聞いたら忘れないの。大人たちはみんなあたしたちのことをバカだと思っているみたいだけどね。ねえ、今度何やるの?、教えて」
トキュウが食べながら応えた。
「判らない、何をやるか、そのときまでは。みんなサイスが決めるんだ」
「へえ、そうなの。あっ、電話だ、きっとみんなからだ。ミュウです。あっ、サク、ゴメンね、いなくて、急に用事ができちゃって、何って、たいしたことないけど、あとで、話すわ、いいわよ、先に踊りに言ってて、あとで行くから、うん、それじゃひとまわりしてて、あっ、それから、マイいる? いい、あたしからかけるから。ええと、マイわっと。あっ、マイ、どうしたの? なんかあったの? うん、それで、ええ! なに! あの男に・・・それでやられたんだ・・・まあ、そうだね、ちょっとしつこいね・・・言葉遣いが悪かろうがマイには関係ないって、ねえ、あいつらにはなんにも判んないんだよなあ・・・あっ、それで付きまとわれてんだ、とんでもない男だね。そんなもんだよ大人って、良さそうな大人ほど危ないんだから・・・そう、いまに見てろって感じね・・・そのうちにね、もうちょっとで行くから。なんか面白くなりそうね、じゃ、バァーイ。あっ、暑いでしょう。今ちょっとエアコンが壊れているから」
トキュウが食べながら言った。
「それほどでもないさ、なあ、俺たち暑いのには慣れてるもんね」
ミュウが立ち上がりながら言った。
「まあ、ワイルドなのね。窓を開けるわ。そうすれば少しは涼しくなるよ」
ミュウが窓を開けるとトキュウが驚いたように顔を上げながら言った。
「あっ、なんだこの匂いは、臭い、ドブの匂いだ」
ショウが同調するように乱暴に言った。
「ドブだ、ドブのにおいだ。そういえばたしかこの辺にこ汚い川が流れていたな。あれか、本当に汚いんだよ、真っ黒でどろどろしてさ」
それを聞いて窓際に立っていたミュウがたしなめるように言った。
「そんな言い方しないで、ドブだって好き好んで臭くなっているんじゃないのよ。戦っているから臭くなるんじゃない、いっしょうけんめい生きようとして戦っているから臭くなるんじゃない。いいわ、それじゃ閉める」 「大丈夫、もうなれてきたから、もうなんとも感じないよ、なあ、ショウ」
ショウは黙って頷いた。
 ミュウが再びテーブルの前に座って話し始めた。
「ねえ、ほんとにサイスって最高ね。あの破壊的なところワクワクするわ。
『良いことやるな!』
なんて普通絶対にそんなこと言えないよね。あれにはびっくりよね。なんか気持ちがとっても楽になったようがきがしたわ。これからもっともっと楽しいことが起こりそうね。こうなったらなんでもぶち壊しちゃえばいいのよ。ほんとうはさ、あたしたちだって行きたいのにさ、なんで男の子ばっかりなのなしら? ねえ、サイスってほんとうはどんな人なの? 年とか、何をやってるとか」
するとトキュウとショウは食べるのを止めてしばらく顔を見合わせた。それを見てミュウが驚いて言った。
「えっ、なんにも知らないの! だれも! いったい誰なのかしらね? さあ、でかけなくっちゃ、いいのよ、このままいて。それより、あんなことで二度と喧嘩しちゃダメよ、みんな仲間なんだから。あんたたちは本当に危なっかしいね。今度からさあ、お腹が空いたらあたしんとこに来なさい。そうすればもうヤバイことしないで済むじゃない。あっ、そうだカギ渡しておくわ、だからいつでも自由に来て食べればいいわ、判った」
ミュウはマンションのスペアキーを二人に渡すと外に出て行った。


 トキュウは食べるのを止め、部屋の様子を見わたしながらずっと疑問に思っていたことを言った。
「なあ、ショウ、ミュウはどうやって生活しているのかな? ずいぶん掛かりそうだよ。まだ、高校生ぐらいだよね、ミュウは。あっ、そうか、親がよっぽど金持ちなんだ。きっと、そうだ」
ショウは食べ続けているためか曖昧な返事しかしなかった。
 二人が十分に食べて飲んで落ち着いたころ、突然部屋に電子音が響いた。ショウが首をかしげながら言った。
「あれ、なんだろう?」
トキュウが言った。
「たぶん携帯電話の音だ。へえ、二つ持ってんだ。どこだろう? ここだ、これだ。はい、もしもし」
携帯を耳に当てるとミュウの声が聞こえてきた。
「トキュウ? ショウ? いいだれでも。今大変なの、あんたたちの仲間が、見たこともないグループと衝突しそうなのよ。いったいみんなどうしちゃったんだろう。興奮しちゃってさ、ねえ、聞いてる? このまま放っておかないでしょう。電波塔の下のところ。なんか違うこんなはずじゃないって感じ。ダメよ若者同士がやっちゃ。ああ、今日はなんか変だわ。他にもいっぱいいる。今まで見たこともない人たちも見たわ。ねえ、応援に来るでしょう。じゃあね」
携帯を耳から話すとトキュウはショウに言った。
「サンドたちに何かあったみたいだ」
「よし、すぐ行こう」
「あっ、このカギどうする?」
「お前が持ってろ」


 トキュウとショウは電波塔をめざして急いだ。しかし二人が駆けつけたときにはサンドたちの姿はその付近にはなかった。
 二人は若者がたむろしそうな、しかも余り人目が及ばないような場所を中心に探しまわった。

 だが、二人が、彼らを眼にしたもの意外にもこの町でもっとも人通りが激しい通りだった。そこは普段車は通行止めにされていて、そこへ通じる大小さまざまな通りから、ひっきりなしに流れ込んでくる人々で、いつも賑わっている場所だった。

 二人はその通りに面した店先に沿って並んでいるサンドたちの見慣れた顔を発見した。みんな通りの反対側に眼をやっていた。そこには初めて眼にする若者たちの姿があった。やはり同じようにこっちを見て並んだ立っていた。サンドの話しからまだ決定的な衝突に至ってないことが判った。トキュウは反射的に相手の人数を計った。そしてこっちは八人、相手は五人だと直感すると同時に、相手も自分たちと同じ年頃の若者だとわかった。


 しばらく喧騒の時間が過ぎていった。だれもがこれから何かが起こるなどとは予想もできない雰囲気だった。繁華街はそこに流れ込んでくるすべての人々を、その華やかさのなかに平等に包み込んで充足しているかのようであった。しかし、敵対心をむき出しにした若者たちにとっては、眼の前の風景がどんなにまばゆく、通り過ぎる人々がどんなに満足そうであっても、灼熱の太陽にもとで風にそよぐサバンナの草木のようなものでしかなく、だれも関心を持ってるものなどいなかった。今トキュウたちの心を占めているのは、野性的な力の誇示であり、本能的な暴力への渇望である。


 夢と享楽とをもとめて集まってくる様ざまな人々よって作り出された活気と賑やかさは、ほとんどの人々にとって調和の取れた快適なものになるが、爆発的なエネルギーの解放を願っているトキュウたちのような若者にとっては、夢見るような陶酔や不安や恐れをいだかせる。華やかな混沌となる若者たちの誰もが個人的にははっきりとした理由も意志も持っていなかった。しかし、集団としてはそうせざるを得なかった。というのも、他のグループと激しく敵対すればするほど、今の彼らにとっては唯一の心のよりどころである仲間同士の結束力を高めて、その親密さを深めることになったからである。だから、もし彼らが動き出すとしたら偶然過ぎるきっかけで十分だった。


 やがてその時がやってきた。目の前を通り過ぎる人々が一瞬途切れると、対峙する若者たちはお互いにその姿をはっきりと見ざるを得なくなった。すると、誰かが指図したわけでもないのに、ケイタが勢いよく前に出ると、じっと相手の若者たちに眼を向けたままゆっくりとと歩き出した。すると他のものもそれにつられるように前に出ると、みんなケイタと同じように、じっと敵対する若者たちに眼をむけながら、ひとつの群れのように固まってゆっくりと歩き出した。そしてその距離が、五六メートルになったとき、敵の群れは二人と三人に分かれて逃走した。逃げるものを追うのは本能だった。その瞬間トキュウは、全身に沸き起こる新たな力を感じながら、しかも、その力に身を任せるように激しく叫んで敵をののしり威嚇した。トキュウたちも二つに分かれて追いかけた。逃げるものは容赦しなかった。通りから通りへとどこまでもしつこく追いかけた。逃げるものが途中で転倒したりすれば、すぐに追いついて寄ってたかって、蹴り上げ、再び逃げればまた追いかけた。それは生存をかけた真剣な戦いのようでもあったが、自然な遊びのように楽しんでいるかのようでもあった。


 このことをきっかけとして若者たちの町を舞台にした縄張り争いが表面化した。やがてそれは近隣の町にも伝染病にように広まっていき、若者たちにとって、戦々恐々とした毎日が続くようになった。










     
  

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