青い精霊の森から(7部)



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          はだい悠



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*    *    *




 サイスがバイクとともに川に消えた日から、十日たっても、二十日立ってもサイスはトキュウたちの前に姿を現さなかった。しかしあえてそのことを口にするものはいなかった。


 季節はすでに夏の盛りを過ぎていたが、街の雰囲気に目立った変化はなかった。トキュウの仲間たちも以前と変わりなく集まった。


 トキュウたちは、深夜、繁華街の通りにたむろしていた。
 話題が途切れたときケイタが心配そうに言った。
「警察が捜しているんだって、発炎筒を投げた人間を」
「どうして判るんだい?」
「聞いてあるいてんだって、目撃者を探して」
「わかるわけないよ、だれもおぼえないよ、おれたちのことを。俺たちに関心のある人間がいれば別だけれどね」
「こっちから言わない限り大丈夫さ、そんなやついないよな」
「ああ、いない、いない」


 そのときあるグループが通りの反対側を通りかかった。今までずっと気になっていたが、まだなんとも決着がついていなかった。相手は五人、こっちは八人、トキュウたちはコッソリと後をつけた。  三つ目の通りに差しかかったとき敵は気づいて早足になった。トキュウたちも早足になり追った。やがて敵は走り出した。トキュウたちも走って追った。最初は何の緊張感もなく、相手が逃げるならこっちは追いかけるぞといった程度の遊びのような軽い気持ちであった。だが、追いかけているうちにじょじょに興奮してきて激しく敵対心を抱くようになった。
 敵が信号を無視して道路を横切ると、トキュウたちも、大胆にも車が走っている道路に飛び出し、その通行を妨害しながら、特別に黒光りのする車の群れのあいだ縫うようにして渡った。敵はバラバラになった。トキュウとショウは一人に狙いを絞って、通りからとおりへと、草食動物を付けねらう肉食動物のように、執拗に不適に、しかしその反面ときおり余裕の笑みを浮かべながら追いかけた。そしてついに薄暗い袋小路に追い詰めた。しかし敵はスキを見てあっさりと逃げてしまった。それはもともとトキュウたちは捕まえてどうしようというわけでもなかったのに、それに比べて敵は逃げることに必死だったからだ。二人は満足したのかそれ以上追いかけなかった。
 ショウが少し息を切らしながら言った。
「なぜ、あんなに逃げるんだろう?」
「俺たちが怖いんだろう、近くで見たら思ったより小さかったな」
「まだ、中学生みたいだったな」
そう言いながら二人がその場を離れようとしたとき、大人の男たちが黒い影のように道を塞いでいるのに気づいた。ショウが、トキュウにも判るくらいに一瞬体をびくっとさせた。そしてつぶやくように言った。
「ああ、まずった、とんでもないことになっちまった。ここはあの通りから入り込んだところじゃないか、ヤーボーだよ。いいか、トキュウ、知らない振りをするんだぞ」
そして二人が大人の男たちのあいだを通り抜けようとしたが、大人の男たちは通せんぼをして通してくれなかった。その中の一人が言った。
「なあ、よくみかけるんだけどさ、まずいんだよな」
もう一人の男が言った。
「あんまり舐めたまねすねなよ。けじめをつけてくれないとな」
二人は大人の男たちに押し戻され五六歩下がった。そのときショウがささやくような小さな声で言った。
「あれだ、ナイフだ、ナイフを使って切り抜けるんだ」
ショウがポケットからナイフを出した。トキュウもつられるようにナイフを出した。
そしてショウは
「いまだ、いくぞ」
とトキュウに声を掛けながら、前に進み出ると思いっきりナイフを振りまわした。そして大人の男たちがひるんだスキにそのあいだをすり抜けて走り出した。しかしトキュウはショウにタイミングを合わせることができなかったため、その場に取り残されてしまった。トキュウは手にナイフを持ったまま大人の男たちと対峙した。だが、なぜかショウのようにナイフを振りまわすことはできなかった。大人の男たちがだんだん近づいてきた。先頭の男が手で顔をかばうようにして
「やれるものならなったみろ」
と言いながらトキュウの目の前にせまったきた。トキュウはナイフをその男の正面に持っていくだけでどうしても振りまわすことはできなかった。そのうちにトキュウは一瞬のスキをつかれて腕をつかまれてしまい、なんなくナイフを取り上げられたてしまった。そしてときゅうは腹部を蹴り上げられその場に倒れた。苦痛に身を捩じらせていると、なおも集まってきた男たちから、体のいたるところを蹴られた。恐怖と激痛のなかで気を失いそうになった。
 気がつくと男たちの話し声が聞こえてきた。
「ナイフなんか持ちやがって、刺す度胸もないくせに」
「手ごたえないなあ、なんでこのガキ抵抗しないんだ」
「こいつ息してるか?」
「だいじょうぶだ、気を失っているだけだよ、ちょっと手加減したからな」
「まったく目障りなやつらだ」
「ああ、でもな、こいつら見てると、ときどきほっとするときがあるんだよな、そう思わないか」
「そうだな、こいつらが揉め事を起こせば起こすほど、警察の目を俺たちに向かなくなるもんな」
「こいつらがバカをやればやるほど俺たちはのんびりできるってもんだな」
「ああ、そうだな、もしこいつらがいなかったら、俺たちが一番下ってことになって、俺たちが代わりにやってたかもしれないな」
「なあに、要するにこういうバカな殴られ屋がこの世の中には必要だってことだよ」
「ああ、ほんとにすっきりしたぜ、なんせ久しぶりだもんな、生の人間をぶっ飛ばしたのは」
「おい、こいつ前にも見たことがあるぞ、もしかしたらあの野郎の仲間じゃないか?」
「あの野郎って?」
「バイクでビルの屋上から川に飛び込んだやつだよ」
「ああ、ガキどもをけしかけて騒ぎを起こしたってやつか」
「そうだ、最近のわけの判らない事件はみんなあいつの仕業だっていう噂だよ」
そのときトキュウの頭を靴で踏みつけながら言う者がいた。
「おい、起きろ、死んだ振りをしてるんじゃないだろうな。カスめ、お前らは社会のカスなんだよ。お前らがどんなにいきがったって、この町は何にも変わらないんだよ。いいか人にはそれぞれ役割ってもんがあるんだよ、お前らはずっうとこうやってドブネズミみたいに這いずりまわってればいいんだよ。いいか社会に役立つ人間になろうなんて夢にも思うんじゃないぞ。そういうことはなお前たちよりずっと頭のいいやつが代わりにやるから、お前たちは死ぬまで悪いことをやって半端に生きればいいんだよ、そしてみんなから忌み嫌われ、石を投げられ、クズといわれ、最後はもがいて苦しんでのたれ死ぬんだよ。それでおしまいさ」
そのとき携帯電話がなってトキュウの頭から靴がどけられた。
「ああ、オレだ、今目障りなねずみを一匹始末したところだ。なんか変な野郎でな、いきがってるくせにぜんぜんと手ごたえがないんだ。・・・・ああ、だいじょうぶさ、急所ははずしておいたから、男でも体でわからせるのが一番だ。・・・・その件なんだけど、あとで警察に挨拶に行くよ。・・・・それで何とかなるだろう。・・・・そうなんだよ、そんなこと言われたって、こっちの知ったこっちゃないよな、予想までやってるわけじゃないから。・・・・あっ、うん、そういうときはな、頭を押さえつけて、テーブルなんかもちあげて、それで頭をつぶすぞって脅かすのが一番きくんだ。・・・・そうだよ、田舎もんのくせにこういうとこに来て飲む奴が悪いんだよ。・・・・そうだよ、金持ってるからそういう眼に会うんだよ。みんな金もってる奴が悪いのさ、あっはっは、じゃ、すぐ行くよ」
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 トキュウは男たちの足音がしなくなると薄目を開けて様子を覗った。そして誰もいないことを確かめると起きて歩き出した。しかし自分の体とは思えないくらい重く普通に歩くことはできなかった。それでもどうにか前に進むことはできた。それは一刻も早く繁華街から抜け出したかったからた。トキュウはできるだけ人通りの少ない裏通りを選んだ歩いた。途中小さな公園の水道で血と泥を洗い落とし体を冷やした。そして夜明け前にビルの空き部屋にたどり着くことができた。そこはつい最近までショウと寝泊りしていたところだった。なぜミュウのマンションではなく、そこを選んだかというと、トキュウは自分の体を治すことよりも、痛めつけられた自分の惨めな姿を仲間にさえ見られたくないと思ったからだった。


 部屋に入ったトキュウは崩れるように倒れると敷いてあったダンボールの上に身を横たえた。いったん体を休めるともううごかすことができないほどに全身がいたんだ。
 最初の二日間は、喉の渇きを癒すために夜中に一度だけ人目を避けて外に出るときに体を動かすだけで、後はじっと身動きもせず体を横たえて体力が回復するのを待つだけだった。
 五日目の夕暮れ、トキュウは夢を見た。夢には、先日、それを見て思わず吐き気を催したあるアパートの郵便受けシールが出てきた。そしてそれはどんどん広がっていく充足した穏かな感情を伴いながら、やがてそのひとつひとつがほんの一瞬に過ぎなかったが、トキュウにとってはそれがなんであるかはっきりと判る連続するさまざまな映像へと変化して行った。そしてそのシールは自分が小さいときに貼ったものだと判った。そしてそのアパートは自分が小さいときに住んでいたところだと判った。


 夢から覚め、トキュウはどうしようもない心細さに襲われていると、ドアが開いてショウとミュウが入ってきた。ショウが驚きの表情で言った。
「なんだ、やっぱりここに居たのか! なんでもっと早く気づかなかったんだろう。どうした?」
「うん、うまく逃げられなかった。捕まってボコボコさ」
「オレはてっきり、逃げたとばかり思っていた。あとで行ったら居なかったしさ」
「まあ、いいさ、オレが悪いんだ。あのときナイフを振りましていりゃあ良かったんだ」
「なに! ナイフを使わなかったのか? なぜ?」
「なぜって、どうしても手が動かなかったんだよ。たぶん使い慣れていなかったからじゃないか」
「それでどうなんだ? 顔のほうは、まあ、何とか、でも体のほうは?」
「うん、だんだん良くなって来ている」
「もしかして何にも食べてないんじゃないか」
「まあな」
「お前なんでそんなに我慢強いんだ。オレだったら」
そのときミュウがさえぎるように言った。
「歩ける? いや、歩けなくてもいい、手伝うから、あたしんちに行こう」
 トキュウは仲間たちに助けられてミュウのマンションに移った。
 そこへつくとトキュウはまず体を洗い、手当てを受け、そしてミュウのベットに横たわった。  トキュウにとって退屈さはそれほど変らなかったが,食べ物を十分に取ることができたので体力はみるみる回復して行った。
 三日目の夕方、ミュウがとにかく食べなくてはいけないといってテーブルの上にコンビニの袋を置いて外に出て行った。トキュウはさっそく手当たり次第に食べ始めた。そして生野菜の入ったパックをあけて食べていると、そのなかに長さ五ミリほどの小さな青虫を発見した。死んでいるのかまったく動かなかった。トキュウはその部分だけを残して食べた。すべてを食べつくして満足感に浸りながらぼんやりとテーブルの上に眼をやっていると、その上を先ほどの小さな青虫が一秒間に体を何度もくねらせながら、移動しているのを見た。それはまさに全力疾走で何かから逃げている姿だった。その瞬間トキュウの眼をくぎ付けとなり、髪の毛は逆立ち、全身に電気が走ったような気がした。二三秒後、トキュウは我にかえると
「なんなんだ、これは、なんでオレがこんなのにびびりゃなければいけないんだよ」
と叫んで、ティッシュペーパーでそのあまりにも小さな生き物を包み込むと思いっきり握りつぶした。だが、しばらくは心臓がドキドキして興奮は収まらなかった。


 深夜トキュウは自分で体を洗うことを思いついた。それはどれほど体が動くか試すためだった。全身の隅々まで時間をかけて洗った後、部屋に戻り何気なく鏡を見た。顔の腫れはほどんどひいていたが、どことなく弱々しそうで自分の顔ではないような気がした。まだ完全には回復してないからだと思った。そしてバスタオル一枚腰に巻いてベットに横たわった。
 しばらくしてミュウが仲間を連れて賑やかに帰ってきた。
「まだ寝てるみたい」
その声はマイだった。
 トキュウは寝たふりをしていた。まで以前の自分に戻ってないように思えたので、なんとなく顔を合わせる気になれなかった。
 みんなトキュウの存在を忘れたかのようにはしゃぎ騒いだ。
「ああ、こぼして、汚れるじゃない」
「いいよ、どうせ出て行くんだから」
「でも、あんまり汚すとお金取られるよ」
「取れるものならって見ろって、こっちにだって言い分はあるんだから」
「そうよね」
「ねえ、なんで出て行かなくちゃなんないの?」
「うるさくしたからよ、周りから文句が来てね」
「どうせならもっと騒ごうよ、音楽でもがんがん掛けてさ」
「今日はやめよう、そのうちにね」
「ねえ、新しい部屋見つかった?」
「まだ、むずかしくって」
「お金、またいっぱい掛かるもんね」
「あたし、たのんであげようか」
「だれに?」
「あたしの知ってる人に」
「でも、あんたの知ってる人ってなんとなくヤバそうね」
「そんなことないよ、やさしそうな人たちよ」
「いいわ、なんとかなるもんさ」
「ねえ、ケイタっていたよね、あの子最近見ないね」
「あたし大人の男の人たちと話しているのを見たことがある」
「ねえ、ゲンキ、あんた友達でしょう」
「知らないよ」
「なんかヤーボーとつながっているっていう噂だよ」
「止めよう、人がだれと付き合おうが、あたしたちとは関係ないよ」
「ねえ、やっば、音楽掛けて騒ごうよ」
「ダメだって場、寝てる人がいるでしょう」
その声はサクの声だった。
「ああ、なんかつまらない」
「ねえ、あたしいま、お金貯めてんのよ」
「どうして?」
「あたし留学するから。ダンスの勉強するために」
「そうなの、あたしは英会話学校に行こうと思ってる」
「今でもよく外人と話してるじゃない」
「うん、もっともっとうまくなりたいから」
「ねえ、歌手の学校ってあるかしら」
「あるわよ、でもお金いっぱい掛かるみたいね」
「なんでもお金が掛かるのね」
「ねえ、あんたはデザインの学校に行くっていってたけど、いつから行くの?」
「まだね、もうちょっとあそんでから」
「ねえ、ショウ、あんたこのあいだ、男の人と女の人に会ってたけど、あれお父さんとお母さんなの?」
「違う、あとの半分は合ってるけど」
「お母さんはほんとうなんだ」
「でも、やさしそうで真面目そうな男の人だったじゃない」
「だからなんだって言うんだよ。うるさいんだよ、お前は」
「だって、その方がいいじゃない、お母さんが幸せになって」
「何がいいんだ、お前は何にもわかっちゃいない、おい行こう、女なんかと話していたったしょうがない」
そのショウの声は興奮していた。そして玄関から出て行く何人かの足音が聞こえてきた。
「なに、あんなに怒ってんだろう。バッカじゃない、男なんてもういいよ。ああ、つまらない、最近おもしろいことないもんね。サイス、どうしたのかしら、この町が変わると思ったけどね」
「海のほうで死体が発見されたって聞いたけどね。あれ、ほんとかな」
「あれは別人よ、そんな簡単に死ぬわけないじゃない」
「そうだよ、またぱぁっと現れるよ」
「ねえ、だれの話ししてんの? サイスって、だれ?」
「ええ、アンビだ、バイクに乗った男の人よ、モチが裸で乗ったり、発炎筒を投げたりして、みんなで騒いだじゃない」
「ああ、あれ、楽しかったけど、なんか夢見たいね」
「夢なんかじゃない、ほんとうにあったんだよ」
「もう、どうでもいいよ、それより外に出よって、ここで騒げないなら町に出ようって」
「そうね」
「みんな先にいってて、あたし後から行くから」
その声はミュウだった。
 賑やかな話し声が玄関のドアの閉まる音で途切れると、部屋の静寂が引き立った。
 ミュウの声が響いた。
「ねえ、トキュウ起きてるよね」
「うん」
カーテンが開けられミュウが顔を覗かせた。 「あれ、ずいぶんすっきりした顔してるじゃない、風呂に入ったの?」
「どのくらい体を動かせるかと思って」
「それで」
「ほとんどだいじょうぶみたい」
「良かったじゃない、ああ、あたしもシャワー浴びよっと」
そう言うとミュウは部屋からいなくなった。しばらくする飛ばすタオル一枚体にないて戻ってきた。そして、部屋のあっちこっちを動きまわりながら話し始めた。
「みんな、おかしい、やっぱり変、聞いているだんだん腹が立ってきた。ねえ、そう思わない?」
「ショウのこと?」
「まあ、あれは色んな事情があるような気がするけど、そうじゃなくって、モチやレイのことだよ。だって、どう見たって、デザイナーやだんさーにはなれないよ。いまさら甘いよ、絶対に無理ね。それからマイやサク、歌手世、どうして歌手になれるのよ、歌が好きとうまいとは別のことなのよ。それも判らないんじゃ絶対に無理ね。それに咲く、サクは確かに私より英語ができるの、どこで勉強した代わらないけど、たぶんいつも外人と遊んでいるからだろうね。でも、そこがちょっと悔しいのよ。どう見たってあたしのほうがいっぱい勉強しているのに、できないって言うのはね。あっ、あたしね、昔刃物図国勉強ができたのよ、学校でトップになったこともあったのよ。信じられない、ほんとうよ、ああ、イヤだ、そんなこともうどうでもいいことよね。たしかサクの話だったよね。でも英会話を勉強したからってサクに何ができるって言うの、モチやレイやサクやみんなそうだけど、社会や政治のこと何にも知らないのよ。とくにマイやサクはあまりにも何にも知らないのでびっくりするときがあるくらいよ、よく今まで生きてこれたなあって、これからどうするんだって、ときどき、もしかしたら何にも考えてないんじゃないかと思ってぞっとするときがあるくらいなんだから。でも不思議よね、社会のことが知らないからって、自分のことが知らないかっていうとそうでもなくて、マイもサクも自分のことバカで何にも知らないこと、ちゃんと知ってるのよね。あたしだったら絶望して死んじゃうけどね。それでもみんな夢は持っているのよね。そこがおもしろいっていうか、笑っちゃうというか。みんな大人が悪いのよ。夢を語れなんていうから、大人は夢を持っている子が良い子みたいな言い方をするでしょう。でも、誰もがなりたいものになれるって紋じゃないわ、夢を実現できるなんて本のわずかよ。それに子供の言う夢なんて、あれは本心じゃないわ、こういうことをいえば大人が喜ぶことを知っているから言ってるだけよ。本当はいい子でもなんでもない、子供は大人が思う以上に計算高く残酷でいつもとんでもないことを考えているのよ。あたしなんてよく言い子っていわれてた、それでいちおう皆の前では良い子を装っていたけど、陰では小さな生き物を殺したり苛めたりしてたわ。ふつう子犬や個ねって誰が見ても可愛いものでしょう。でも、あたしの場合最初は可愛い可愛いと思っているんだけども、急になぜか腹が立ってきて、憎たらしくなってくるの、カワイ子ぶるんじゃないって、感じかしら。それでつねったりたたいたり泣き叫ぶまで苛めてしまうの。ほんとのこと言うとね、ときどき人間の赤ちゃんにも思うときがあるの。もしこんなこと大人が聞いたらなんて悪い子と思うんでしょうね。大人ってこんなとき、これは絶対に教育が悪いからだって言うんでしょうね。関係ないのにね。とにかく大人って何にも判っちゃいないのよ。だからすぐレールを敷きたがるんだよ。子供は何にも知らないから、おだてられるとすぐそれに乗っかって走るのよ。レールはそんなに曲がってもいないしでこぼこもしていないからきっとらくだと思うのね。それにその上を走ると大人たちも嬉しがるからね。とんでもない地獄よ。あたしたちってそんなに単純ではないわよ。レールっていったん走り出したら後はもう大人たちが決めた終点まで行くしかないのよ。その間とに書くわ見目を振らずロボットみたいに毎日毎日同じことをやって、前に進むしかないのよ。途中で止めるなんて絶対に許されないのよ。なぜならそれはすべての大人たちがすばらしいと思っている価値観に反することだからなのよ。あたしだって当時は本気でそう思っていた。だから大人たちが仕掛けた罠にまんまとはまったという感じね。それからそこでは人よりできるだけ前方に居ることが良いこととされているの、だから前のほうにいたものが、後ろのほうに下がってくることは、敗北者になってしまったような気になるの、あたしなんかいつも先頭のほうに居たので、下がらないように、下がらないようにって、大変だった。毎日とても苦しかったわ。下がったときが夢に出てくるくらい恐怖だったわ。ああ、なんでそんな思いをしなくちゃなんないの、たかが詰め込みの勉強ぐらいで。なんて息苦しい生活だったんでしょう。なんで大人たちはそんなことを子供に押し付けるんだろう。大人ってなんて勝手なんだろうね。誰だってそんな生活から逃げ出したくなるよね。そう思うよね。トキュウだって何かから逃げ出したかったんでしょう。良いの別に言わなくたって。あたし、あるとき思ったの、大人たちの思い通りになってたまるかって、だってそのまま行ったらあたしおかしくなるの眼に見えていたもん、そこであたし考えたの、大人たちの言いなりにならないようにするためにはどうしたらいいんだろうかって、そしたら、気づいたの、大人たちに頼らなければ良いんだって、つまり親に頼らず自分ひとりで生きれば良いんだってね。これなら大人たちにあうだこうだって言われなくて済むってね。そこであたし家を出たの、誰にも縛られずにやりたいことをやって生きるためにね。あたしね自由のためなら何でもできるのよ、普通みんながこれは悪いことだからといってやらないことでもね。だってあたしがおかしくなるよりましでしょう。もう良い子なんてバイバイね。というより、サイスがいうようにもともとあたしたちが何をやろうが自由なんだよね。それにさあたしたちが自由にやることで、あたしを苦しめた大人たちに復讐できると思うとなんとなく愉快じゃん、大人たちはすぐこれはいいことこれは悪いことといって、押し付けるじゃん、でも、ほんとうはやってみないと判らないんだよね。やってみて初めてどこが悪いんだろうかって思うときもあるし、たいしたことないじゃんって思うときもあるからね。それなのに大人たちって、あたしたちがやることを何かとんでもないことをやっているかのように、騒いだり問題にしたり悩んだりするよね。あたしなんか大人たちが眼を丸くしてなんでこんなことをしているんだっていって本当にこまったような顔をするのを何度も見たことがあるわよ。そのときはほんとうに良い気分だった。ざまあ見ろって感じね。だってあんなにあたしを苦しめたんだから、そのくらいの罰受けるの当然だよ。トキュウだって大人たちに不満があるからこんなことをやっているんでしょう」
さらにミュウがベットに腰をかけて話し続けた。
「最近なんか変なの、みんなバラバラっていうか、やっぱ中心になるひとがいないからかしら。サイスがいたときはみんなまとまりがあったよね。なんか目標みたいな物に向かってさ、何にも言われなくてもさ、みんな自分から進んでついていったよね。ねえ、トキュウ、あんたサイスの代わりやらない?」
「それは無理だよ。オレはあんな世間をびっくりさせるようなことはできないよ。だいいちオレはバイクに乗れないし、あんなにかっこよくないし、度胸もないし、それにあまり強くもないし」
「バイクに乗れなくたって良いのよ、今までどおりで良いのよ」
「それじゃ誰もついてこないよ。大声で脅したり、万引きやっても絶対捕まらないっていう自信はあるけど、でもほかにとりえは何にもないからな」
「そんなことなわよ、そういうことじゃないんだよね、ヘッドって、なんていうか」
「オレよりショウのほうがいいと思うよ。オレより顔は大人びているし、体も大きいし、それに比べてオレは」 「外見がどうのこうのじゃないのよ、なんていうのかな」
「それにオレにはまだ知らないことがいっぱいあるし」
「知らないことって?」
「社会のこととか、大人のこととか、どう付き合えばいいんだとか」
「付き合うって、だれと?」
「うん、いろいろと、たとえば女の子とどう付き合えばいいんだとか」
「なんだ、そんなこと心配してるの、簡単じゃない」
「簡単じゃないよ」
「簡単よ、今までどおりで良いのよ、なんの問題もないわよ」
「そういうことじゃなくって」
「なにが、どういうことよ」
「うーん、オレは、オレはサイスみたいなことはできないってこと、女、女の子をバイクに乗っけたりしてさ」 「ああ、そう、そういうことを心配してたの」
「それならなおさら簡単よ、練習すれば良いのよ」
「練習、どうして?」
「あたしと、そう、あたしとね」
 ミュウが自分のバスタオルをはずしてベットに上がってきた。そしてトキュウのバスタオルを剥ぎ取りながら言った。


「私たち女にはよく判んないんだけど、

男たちにとってはいつも何か特別な意味がある見たいね。

こんなに判りやすくて単純なことなのにね。

正直言って、

私の男の人の考えていること、

よくわからないわ。

突然乱暴になったり、

大人しくなったりすんだから。

それに男の人って、

とても理解できないことをやったり、

やってくれないと言ったりするからね。

こんなことにどういう意味があるんだろうって、

思うようなことをね。

でもやってくれって言われればやってあげるけどね。

そんなにイヤでもないからね。

私にとってほんとうにイヤなことは、

そんなことじゃないのよ。

どんなに理解できなくても、

ほとんどの男の人は最後は、

ひとりの人間に戻るのね。

男としてわからなくても、

人間としてわかれば、

それでほっとした気分になるのね。

でもなかには、

人間に戻れない男がいるのよ。

ずっとプラスチックのおもちゃみたいな顔してさ、

張り合いがないって言うか、

とてもがっかりした気分になるのね。

もしかして何にも考えていないんじゃないかと思って、

ぞっとするときもあるのよ。

でもこれはマイたちに感じるものとは、

別のものなのよね。

マイたちのときは、

なんか寂しいっていうか、

どっか悲しい気持ちが含まれているんだけどね。

でもこの場合はとにかく暗いって言うか、

冷たいっていうか、

とても沈んだ気持ちになるのよね。

トキュウってとっても判りやすい。

なんかとても自然って感じね。

初めは何でも仕方ないのよ。

余計なところに力が入ったりしてね。

でも何度も練習すれば、

その内にもっと楽にできるようになるわよ。

ねえ、今度は電気を消してやってみよう」


 トキュウは久しぶりに繁華街に出た。風景は光り輝き、雑踏はめまぐるしく、仲間たちは生き生きとし、トキュウはじょじょに気持ちが高まっていくなかで、町全体が以前と変わりなく自分を歓迎しているかのように感じた。
 その仲間たちのなかにトキュウは見かけない顔を見かけた。ショウがさっそく紹介にかかった。
「こいつらはゲンとダイだ。これが噂のトキュウだ。なんだその顔は、もっと強そうな男だと思ったのか、見かけで強いか弱いかわかんないぞ。喧嘩ちゅうのはな、実際にやってみないと判んないだからな。なんセ、十人のヤーボーとやりあったんだからな」
それ聞いてもゲンとダイはまだ不思議そうな顔をしていたが、トキュウたちは誰が言い出したわけでもないのに自然と歩き出した。歩きながらゲンとダイがタイヨウをからかいだした。そしてお互いにたたきあったり、首を絞めあったりしながらふざけあっていたが、そのうちゲンがトキュウに近寄ってきて話しかけた。
「テヌキはやるんか?」
「テヌキって?」
「万引きのことだよ」
「ああ、毎日さ」
「捕まったことないんか?」
「ないさ、そんなへまならないよ」
「じゃ、狩は?」
「しょっちゅう」
「今まで、どの位?」
「数え切れないくらい」
「オレさ、人をさして院から出てきたばかりなんだ。最近、なんか、みんな迫力ねえやつばかりでさ、組むきしないんだ。トキュウ、お前人を刺したことあるんか?」
「ああ、あるさ、二度ばかりな」
「そりゃあ、そうだろうな、ヤーボーとやりあったんだからな。そのくらいの度胸はあるだろうな。なんかみんな根性のねえやつばっかりだよ。ハナはどうだい?」
「ハナって?」
「ハナは女って決まってるだろう。知らんのか」
「もちろん知ってるさ、それで?」
「だから、何人やったんだよ」
「やったって?」
「レイプだよ、レイプ」
「ああ、数え切れないな」
「手当たり次第ってか」
「まあ、そんなもんだな」
そこへダイがやってきてトキュウの顔をのぞきこみながら話しかけた。
「あのさ、ショウから聞いたんだけど、お前切れるとおっかないんだってな、すげえ迫力なんだってな、一度見てみたいもんだよ」
そのとき繁華街から外れた交差点を渡り始めると、ミュウたちが反対側からやってきた。近寄ってくる
まミュウが立ち止まりトキュウにはなしかけた。
「ねえ、今日、集まる?」
「たぶん、十二時ごろかな」
「わかった、あとでね」
それだけですれ違うとダイがトキュウに話しかけた。
「あれはお前の彼女か?」
「違う、友達だよ、仲間かな」
「集まるってなんのことだ?」
「ああ、あれは公園の広場に集まるってことだ」
「集まって何やるんだ?」
「なにって、いろいろと。とにかく暇になったら集まるんだ」
「あんまり楽しそうじゃないな。オレはもっとおもしろいとこ知ってるぞ。駅の反対側の暗い路地があるところだ。神社があってな、女を連れ込むにはちょうどいい林があるところだ。もしオレが頭だったら、そっちで遊ぶな」
いつのまにかトキュウたちは繁華街から遠く離れた歩道を歩いていた。通りには切れ目なく車が走り続けていた。ゲンが近寄ってきてトキュウにタバコを勧めた。
「あれは頭が痛くなるから吸わないんだ」
とトキュウは断った。
「初めはみんなそうなんだよな」
と言いながらゲンはひとりで吸い始めた。
 しばらくして角曲がると不意に見慣れない若者たちのグループとすれ違った。歩みを止めたトキュウたちは、気持ちの高ぶりを感じながら振り返りその姿を眼で追った。その数は五人だった。ダイがゲンキに言った。
「知ってるのか?」
「うっ、いや、はじめて見るやつらだ」
「なんかお前のことじろじろ見てたぞ」
「いや、見たことない」
「どこへ行くんだろう?」
「きっと中心だな」
「なんでみんな同じような服着てんだ?」
「あんなのにうろちょろされたんじゃ、目障りだな」
「トキュウ、追わないのか?」
「町を取らないのか?」
五人の後姿にじっと眼をやっていたトキュウが答えた。
「ああ、うん、そうだな、じゃ戻るか」
 トキュウたちは五人の後をつけた。次第に距離を縮めながら執拗に追った。繁華街に入った。どんなに人ごみで混雑していても、トキュウたちにとっては五人の姿しか眼に入らなかった。やがてすぐ背後にまで迫ったとき、五人は気づき立ち止まり振り返った。トキュウたちの緊張は急激に高まった。五人のなかの一人が言った。 「なんでついて来るんだ?」
「お前らが勝手に前を歩いてんだろう」
「もうついてくるなよ」
「違うんじゃないの、似合わないんだよ、その服は」
「お前らに関係ねえだろう」
「あるんだよ。目障りなんだよ」
このとき二つの集団の緊張は頂点に達した。
「ぐだぐたぬかすんじゃねえよ」
とトキュウが、突然人が変ったように怒りの表情で大声を上げると、五人に向かって歩き始めた。と同時に他のものたちもトキュウを追い抜く勢いで突進した。すると五人は取り囲んでいた群集のあいだから散り散りになって逃げて行った。トキュウたちは人ごみを縫って追いかけたが、五十メートルほどですぐ止めた。みんなこれ以上必要がないと思ったからだ。
 トキュウたちは再び集まった。ゲンがトキュウに近寄ってきた。
「あれじゃだれだってビビルよな」
「喧嘩は最初で決まっちゃうんだ」
「こんなに簡単に決まるとは思ってなかったよ」
「これじゃ、ほんとに取れるぞ」


     トキュウたちは人ごみのなかを悠然と歩きだした。やや興奮が収まりかけたころ、トキュウはビルの隙間の星の見えない空に眼をやりながら、ふと、あることに気づいた。自分がどんなに怒りに身を負かせ我を忘れたかのように行動していても、自分は決して自分より強そうな相手の前では切れないということに。


 十二時が近づくと、トキュウたちはだれが言い出したわけでもないのに、自然と公園のほうに向かって歩き始めた。やがて公園につくとみんな思い思いに広場に向かって階段に腰を下ろした。途中姿が見えなくなっていたゲンが後からやってくると、手に持っていた二本の缶ビールをトキュウたちに勧めた。そこでみんなで少しずつまわし飲みをた。トキュウはジュースのように勢いよく飲んだ。冷たさのなかにたとえようもない苦味を感じた。


 ゲンキが言った。
「なんだタイヨウ、初めて飲むみたいな顔して」
「初めてじゃないよ、あんまり冷えてねえなあと思って」
「そりゅあ仕方ないさ、ずっと手で持ってきたんだから。どうだ気持ちいいだろう。オレはさ、もっと気持ちよくなるもの知ってるけど、そのうちにな」


 トキュウはだんだん頭がボォッとしてきて、周囲の様子が判らないらい気持ちよくなってた。やがてじょじょに普段の感覚が戻ってくると、みんなの話し声が耳に入ってくるようになった。













     
  

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