老人と猫(一部) はだい悠 「ブゥーン、ブゥーン、ゴォー、ゴォー、ブゥ、ブゥ。」 「うわぉ、空がこんなに青かったなんて、なんて気持が良いんだろう。」 「ほんとうね、なんせ久しぶりの天気だもんね。風はないし。」 「こんな日は部屋でくすぶってなんかいられないわよね。」 「なにしてんの、ミャーオ。」 ミャーオー 「あら、返事したわよ。ノラかしら。」 「信号、赤になるわよ、急ぐわよ。」 「バタ、バタ、バタ、バタ。」 「ペタ、ペタ、ペタ、ペタ。」 「あっ、マミちゃん、ママから離れちゃだめ、そんなに走っちゃころんで痛い痛いするわよ。」 「ネコちゃんが、ネコちゃんが。ねえ、名前なんて言うの、ミャーオー。」 ミャーオー 「だめ、触っちゃ、汚いんだから。かまれて病気を移されたらどうするの。さあ、お手てを拭いて。バァイバァイしていきましょう。」 「バァイバァイ。」 「あら、こんにちは。お出かけですか。」 「ええ、ちょっと、お買い物に。」 「こんにちは、マミちゃん、ほんとうに可愛いわねえ。」 「マミちゃん、こんにちはって、挨拶して。」 「コンニチハ。」 フンだ、なにがキタナイだ。なにがビョウキだ。早く行っちまえ。 アタタカイのは良いなあ。キモチ良いなあ。天気が良いからなあ。 それにしても腹減ったなあ。ずいぶんなにも食ってないからなあ。とにかく、どっかで食い物を見つけないと。 「さあ、みんないらっしゃい。こっちにきて食べなさい。さあ、そんなところに隠れてないで、怖がらなくても良いのよ、何にもしないからね。そこの植え込みのトラちゃんも、こっちにきて食べなさい。」 見たことないやつらだなあ。なにをされるか判らないからな。食いたいけどなあ。 なんだあれは、なんか変だぞ。まあ、他をあたってみるか。 「ここの猫たちはエサを与えられているみたいね。でも、まだ手術はほとんど済んでない見たいね。可愛いとか、かわいそうだからと言ってエサを与えるだけじゃ何の解決にもならないことを判っているのかしらね。」 「そうよね。どうかしら、うまくいくかしら。」 「そうね、ここは公園の中でもわりと人通りが少ない静かな場所だから、きっとうまく良くと思うわ。」 「なかなか寄って来ないわねえ。やっぱり警戒してんのかしら。ねえ、慣れるまで捕獲オリは隠しておいたほうが良いんじゃない。」 「だいじょうぶだと思うわ。ここの猫たちは、たぶんオリを見るのは初めてだと思うから。」 「いったいどうして最後まで面倒見ないのかしら。捨てるなんてほんとうに無責任よね。最初に飼った人間さえしっかりしていたら。わざわざ税金や寄付金を使って、ネコだって嫌がる不妊手術をすることもないのにねえ。」 「さあ、みんなこっちに来てたぺなさい。そんなに怖がらないで、そうそう良い子ね。これもみんなのためを思って考えてやっているんだからね。わたしたちだってほんとうはこんな可愛そうなことはしたくはないのよ。」 「ウーウー、フー。」 「ギャー、ウー。」 「アッ、だめ、喧嘩しないの。そんなに欲張らないの。ちゃんとみんなに平等に行き渡るだけあるからね。さあ、あなたたちも遠慮しないで前に来て食べて良いのよ。」 「やっぱり、ネコは猫よね。捨てられるとだんだん野生に戻っていくのかしら。この中にボス見たいのがいるのかしら。サルみたいに強い弱いの順位があって。」 「いるんじゃないかしら。」 「あの落ちついたクロトラかしら。目が鋭いシロも強そうね。それともあの体も大きく強そうなクロブチかしら。見かけ倒しってこともあるからね。ミケはどことなく気が弱そうだから、あれは違うわね。猫たちの間でも、人間みたいに、なんとなく気が合わないとか、好きとか嫌いとかあるのかしら。挨拶の仕方が悪いから、気に入らないなんてことあるのかしらねえ。」 「まあ、そこまでわねえ。」 「そういえばネコ同士の挨拶って、どんなことするのかしら。」 「あら、あそこにいたトラちゃんの姿が見えないわ。どこへ行ったのかしら。まさかわたしたちの言ってること、判ったのかしら。」 「まさか、ネコに人間の言葉が判るとは思うないわ。」 なんか変だなあ、なんか嫌な感じだなあ。 オッ、この匂い、食い物の匂いだ。近くなってきたぞ。やっぱり、みんないるな。なんだこの嫌な雰囲気は。みんな怖がって隠れているぞ。 「やめないか。」 「やめません。」 「やめなさい。 ふん強情なババアだ。あんたがエサをやるから、ネコがどんどん集まってくるんじゃないか。周りのものがどんなに迷惑しているのか判らないのか。」 「お腹をすかせているのにほっとけというんですか。お宅は動物に対して哀れみの心を持ってないみたいですね。」 「持ってるよ。それとこれとは話が違うんだよ。ネコはネズミをとって食って、生きていきゃあ良いんだよ。」 「無理ですよ。ここの猫たちはネズミなんか取ったことないんですからね。」 「それは、あんたがそうやって、エサをやって甘やかしているからじゃないか。ほっとけば、ネコは本能ってものがあるから、教えなくてもネズミをとって食うもんだよ。」 「むちゃくちゃですよ。だいいちここには、すべての猫たちが生きていけるだけのネズミなんていませんよ。わたしは、いまだに一匹のネズミも見たことないんですからね。」 「まったくもう、あう言えばこうだ。ネズミが少なければ少ないで、ネコはねずみを求めて他へ移って行くもんだよ。話しにもならない。ネコも堕落したもんだよ。エサをくれるなら誰でもかまわないんだ。プライドって云うものがないのかよ。 おいババア、この辺あんまりうろつくと転んで足でも折るぞ、気をつけろ。」 「さあ、クソジジィがいなくなったから、みんな出て来て食べなさい。お前たちはほんとうに可愛いねえ、なんて可愛いんだろう。」 なんかいつもと違う感じだなあ。もう少し居たいけど、まあ、良いか。あそこに在るのはあんまり好きなものじゃないから、ほかをあたってみるか。 ネズミってあのことだな。小さいくせにすばしっこい奴。あれを捕まえて食うとなると、大変だな。まだやったことがないからな。ダラクって何だよ。プライドって何だよ。 「パァー、パァー、キキィー、バカヤロウ、もたもたしてると死ぬぞ。ブゥ−ン。」 だいじょうぶか、カシコソウ。 あっ、タイガー、なんとか。 見かけないチビどもだな、どこから来たんだ。 ゴウゴウと音がするハシの下にいたんで、どうしても付いて来るというもんで、まだ、なんにも知らないみたいで、 おいカシコソウ、なんだあの渡り方。見てられなかったぞ。お前、チビどもにちゃんと教えたのか。 あっ、カタミミ、まだ、、、、 しょうがないなあ。なら、オレが教えてやる。よいか、チビども、道をわたるときはだな、こうやって見て、次にこうやって見て、それから渡るんだよ。判ったか、判ったなら、さっそくやってみろ。そうだそうだ。良いか絶対に忘れるなよ。 みんなはもう何か食ったか いや、まだなんにも そうか。アッ、そっちは今日はだめかもしれない。なんか様子が変なんだ。クソババアとか、クソジジィとかいうのが居てさ。こっちに行こう。 なあ、カタミミ、お前このあいだ、他のオスネコと一緒に一匹のメスネコをとりかこでん何かやっていたな。 タイガー、あれは違いますよ。あれは、オスはオレだけで、あとはみんなメスだったんですから。 そうだったのか、それにしても激しい争いだったなあ。 おいそっちじゃない、こっちだ。 おお、みんな居るぞ。コワソウもヨワソウも居るぞ。コワソウはさっきあっちで食ってたじゃないか、もう、こっちに来ているのか、すばやいなあ。 もう我慢できない、さあ、みんな行くぞ。タイガーは行かないんですか。 いや、オレは行かない、そんなに腹へってないんだ。さあ、チビども、いって思いっきり食ってこい。 カタミミはあんなにニンゲンが嫌いなのに、でも食う時は別なんだよな。ニンゲンに飼われていたネコは、よく判らない。ああ、みんなといっしょに行けばよかったかなあ。なんで行かなかったんだろう。こんなに腹が減っているのに。まあ、ひと眠りでもするか。 おい、どうしてこんなに早く戻ってきたんだ。 いや、ちょっと遅かったみたいで、もうないということらしいんで。 そうか、それじゃ仕方がないな。 よし、それならみんなに良い事を教えよう。遅くなって食えなくて困ったとき、でも絶対に食える方法だ。さっき食えなかったほかのみんなもこっちに来て聞くように。 良いか、よく見ろ、ニンゲンがベンチに居るだろう。ベントウを食っているだろう。それをもらうんだ。でも、誰でも良いっていう訳じゃない。オトコよりオンナだ。とくにオーエルだ。おい、マヌケ、お前はあれが得意だったな、みんなにそれを教えてやれ。 それでは良いか、みんな良く聞けよ。まず、ベンチに坐っているオーエルの後ろから静かに近づくんだ。 そして、お腹なんかすいてないような顔をして、前に歩いていって背を向けたまま坐るんだ。それから、しばらくしたら、なにげなく振り向いて、ゆっくりと近づいて行って、オーエルの脚に腰を軽くこすりつけるんだ。そのとき、気持良さそうにミャーオとなくことを絶対に忘れないように。それからよく聞けよ、ここからが最も大事なところなんだ。腰をこすりつけたあと、最後に尻尾を巻きつけるようにして、やさしくやさしくその脚をなでるんだ。そうすればいちころよ。オーエルたちは、お前たちより気持良さそうな声を上げて自分の食べ物をどんどん分けてくれるというわけだ。 みんな判ったか。でも、これはあれだぞ。みんないっせいにやってはだめだぞ。それから、これはほんとうに困ったときだけにやるように。よし行こう。 なあ、マヌケ、お前はどうしてそんなに得意なんだ。 いやあ、それはオレにも良く判らないんだ。うん、どういうわけか、オレがずっとニンゲンに近づいていくと、ニンゲンはマヌケマヌケと言って楽しそうな顔をして、なでたり食い物をくれたりするんで、それで、ついニンゲンが好きになって安心して近づいていくうちに色んなことを覚えるようになったというか、得意というか。 おい、みんな、マヌケのやり方をよく見て真似るんだぞ。さあてと、オレはほかを当たってみるか。 「わたしだってほんとうは反対さ、でも、しょうがないじゃない、あの娘が好きなら。もう心配するのは止めよう。気持ちよく帰れなくなりそうだから。せっかくの娘の晴れの日だというのに。」 「アッ、やっぱり残り物を持ってくれば良かったわ。もったいないと思ったんだよね。残念ねえ。持ってくればネコに上げられたのに。野良猫かしら。」 「さあ、そろそろ行こう。汽車の時間に間に合わなくなる。」 やっぱり、つい止まってしまうな、なんかくれそうな気がするからなあ。ああ、行っちゃった。それに比べて、メガネをかけて黙っているこのニンゲン、なぜなんにも感じないのかな。寝ているんだろうが、起きているんだろうか。オレの嫌いな花の匂いがするけど、生きているんだろうか、死んでいるんだろうか。いつだったか、こんなニンゲンにひどい目に会わされたことがあったな。サラリーマンという奴だ。道ですれ違うとき、なんにも感じないので安心していたら、いきなり腰を蹴り上げられた。オレはどれほどぶっ飛んだか。今もあのときの息の匂いが忘れなれない。それに、そのとき蹴られた腰がときどきいたむことがある。ほんとうに何を思っているか判らない人間だ。あんまり近づきたくない、やさしいニンゲンなのか、恐ろしいニンゲンなのかさっぱり判らない、早く離れよう。ああ、この感じ、このなんとなく緩んだ感じ。このどうでも良いやあという雰囲気、これがガクセイという奴らだな。ここは安心だから、ひと休みでもするか。 「ところでさあ、就職する会社決まった?」 「いや。正直言って、いま何もやってないんだ。」 「どうするの。」 「どうもしないさ。べつに慌てて就職しなくたって。アルバイトだってちゃんと食べていけるんだからさ。ちがう話しをしようよ。せっかく久しぶりに会ったんだから。天気もこんなに良いんだしさ。」 「でも、これは君の人生にとって、ものすごく大事なことじゃないか、そうは思わない。」 「もういいよ、僕のことなんか。君はもう決まったんだから、それで良いじゃないか。」 「そうもいかないよ。なあ、友達なら心配するのは当たり前じゃないか。」 「僕にはどうもしっくり行かないんだよ。その就職するとか、会社に入るとかいうやつ。なんかイメージが暗いんだよ、ふる臭いんだよ。世の中が高度情報化社会になろうとしているときに、満員電車に乗って会社に行って、決められた時間に仕事をするというのはなんか嫌なんだよ。他にやりようがあるような気がするんだよ。たとえばパソコンを使ってさ、自宅で好きなときに好きな時間だけ仕事をするとかね。おそらくこれは近い将来主流になると思うよ。そういう仕事ならやっても良いけど。今のシステムじゃ嫌だね。働く気がしないね。まだ自由で、給料のほうもそれほど変わらないアルバイトのほうが良いよ。まさか君が公務員になるなんて夢にも思わなかったよ。公務員になってなにしたいの。公務員って公僕だよ。」 「公務員だってりっばな仕事だよ。国民のために働くんだから。」 「まあ、立派じゃないなんて言ってないけど。でも、だって、君は昨年の今頃なんて言ってたと思う。国のためとか会社のためとか言って、組織の中で歯車のように働くのは嫌だって言ってたじゃないか。もっと自由な立場で痛いって。個人が組織の中に埋没しないような、個人が何よりも尊重されるようなところで働きたいって言ってたじゃないか。ところが、四年になったとたん、他の学生のように、眼の色を変えてあっちこっちと走りまわった挙句、そのうちにあっさりと決めてしまったんだよね。君の考えに僕は大賛成だったので、なんか裏切られたというか、ほんと、ついて行けないという感じだったよ。」 「まあ、良いじゃないか、時間が立てば人間の考えは変わるもんだよ。君はちょっと過去にこだわりすぎたよ。だいいち、個人個人って、個人が大切かもしれないが、国だって会社だって大切だと思うよ。いや、一番大切なことかもしれないよ。だって、国のない人間なんて世界のどこを探したって居ないじゃないか。誰もがどこかの国に属しているんだよ。居たとしてもそれは惨めなものじゃない、難民とか呼ばれてさ。会社だってそうだよ。会社が在るから、人々が集まって、生きるために協力して色んな仕事をやっているんじゃないか。だから、まず国が在って、次に会社や家族があって、そして、最後に個人があって社会が成り立っているんじゃないか。これは世界のどこでも変わらないと思うよ。」 「嫌、僕はどうしてもそんな考えには賛成出来ない。まず個人があるんだよ。個人が社会の基本であり原点なんだよ。個人が最初に在るからこそ、君のように色んなことを考えて自由に言えるんだよ。もし個人がなかったら考えなんてなんにも言えなくなるんだよ。とにかく、まず個人。個人が二人集まって夫婦ができ、子供が生まれて家族ができ、家族が集まって社会ができ国家になるというわけだ。だから、何よりも基本となる個人から出発して物事を考えるべきだと思うよ。」 「そうかなあ。これじゃいつまでたっても平行線だな。」 「だから、もう止めようよ。こんな話しはつまらない。以前のように音楽とか女の子の話しをしようよ。ネコは良いなあ、チョウなんか追っかけたりしてさ。悩みなんてないんだろうな。」 おっとっと、どうしたんだろう、オレは。チョウなんか追っかけたりして。食おうとしたんだな。腹が減ってるからなあ。まずいのは判っているのになあ。ついつい捕まえようとしてしまったなあ。 「ネコに知能指数って在るかなあ。」 「ある訳ないじゃない。どうやって、はかることが出来るんだ。文字を読めも書けもしないネコがどうして解答用紙に答えが書けるんだ。」 「そうだよな、ネコに知能指数があったら人間なんかに飼われてなんかいないよな。」 なんとなくにぎやかというか、うるさいというか、この緩んだ感じが良いなあ。のんびりして、みんなオーエルから食い物もらったかなあ。あれ、どうしてツヨソウが一緒にいるんだろう。まあ、良いかオレは他を探そう。 どうしたんだろう、このうきうきとした感じ。このベンチの人間は何者だろう。一人は会社員のようだが、もう一人はホームレスのようだ。なんとなくのんびりとした雰囲気だ。どれ、またひと休みでもするか。 「ほんとうにすみませんね。こっちからお願いして、わざわざこんな所までおいでいただいて、本来なら喫茶店とかでお話するのが良いんでしょうけど、なにせ他人には絶対聞かれたくないような大事な内容なものですから。 どうですか、こうやって見渡してみても、近くにいるのはネコぐらいで人に聞かれる心配なんてまったくないでしょう。それに天気もいいことだし、自然も美しいし、なんとも申し分ないですよね。 それではさっそくですが本題に入らせていただきます。先ほどもチラッとお話ししましたが、実は、わたしは真理というか、ある革命的な勉強方法を発見したんですよ。それでその方法を実行するためには、どうしてもある装置が必要なんですよ。それでお宅の会社にぜひその装置を開発してもらいたいと思いまして、この話しを持ちかけた訳ですよ。アッ、そうですね。その勉強方法ですね。それは英語の勉強方法ですよ。いや正確に言うと英会話のとくに聞き取りの勉強方法といったほうが良いかもしれませんね。 ところでお宅は英語得意ですか、、、、そうでしょうね。顔に出てますよ。英語の読み書きは問題ないが、聞いたり離したりするのはちょっと苦手だなあって。わたしなんかどっちも苦手ですけどね。いや正確に言うと苦手だったと、言うべきかな。 それはそうと、お宅は有名大学を出られて、今の会社に入られたと思うんですが、どうです、大学を出るまで何年間英語を勉強しましたが、十年でしょう。それなのにどうして英会話ができないんでしょうね。いや、これは、あなただけに言える事ではなくて高等教育を受けた誰にも言える事で、日本の教育全体の問題なんです。今盛んに問題にされていますよね。学校での英語の勉強方法は間違っているんではないかってね。わたしの個人的な体験を話させていただきますと、わたしは中学までは何とか付いていけました。でも高校になると覚える英単語の数がべらぼうに多くなるだけじゃなく、文法もますます難しくなるし、ほとんどついていけなくなりました。 実はいまだにそうなんですが、似たようなつづりとか似たような発音の単語の区別がどうしてもつかなかったですね。とくに抽象的なものを表すのに多かったですけどね。そのうえ発音記号はどうだとか、アクセントの位置がどうだとか、ということになるとほとんどパニック状態に近いものがありましたね。もうそうなると英語の勉強なんて苦痛以外の何物でもないですからね。テストの点数も十点とか二十点でますます嫌いになっていきましたよ。そんな体験しかありませんから、私に英会話が出来るなんて、はなから無理だとあきらめていましたね。 それはそうですよね。はっきり言って、わたしたちが日本語を話せるのは、なんにも知らない赤ん坊のときからずっと、英語とは比較にならないくらい豊富な日本語体験をしているおかげですからね。それはアルファベットや文法以前の問題ですからね。だから、英語の実際の体験がいかに大切かということはあえて言うまでもないのですがね。英語の実際の体験、つまり、生きた英語の体験とは、簡単に言うと、音その物の体験、つまり、、、、音体験、、、、」 「あのう、青野さんとおっしゃいましたっけ。お言葉ですが、それは、いまや常識となっているんじゃないですか。だから、いま外国人から直接教わる英会話学校がブームになっているんじゃないですか。実は、わたしはいま、週に二度ほど通っているんですよ。」 「ええ、ごもっともです。それをおっしゃられるとわたしには返す言葉もございません。たしかにその通りなんです。なにしろ英会話を身につけるのに一番良いのは、イギリスやアメリカにいって、実際にそこで生活してみることですから。そしてその次に良いのは、あなたのように英語を話す外国人から直接教わることだということは、だけにも反論する余地のないことだと思いますから。たしかにその通りです。その通りなんですが、でも、お金がかかりますよね。それもけっこうな大金が。それに、度胸って云うか、勇気も必要ですよね。気後れって云うか、恥ずかしさって云うか、そんなものを意に返さないようなね。ども、そこなんですよ。わたしたちの世代には、どうしてもそんな気持にはなれないんですよ。この年になってなにをいまさらって云う気持が大きいんですよ。 だもそうは思っていても、その一方では、夢のようなことも考えているんですよ。ひそかに勉強してある日突然、英語が話せるようになっているところを女房や子供に見せてびっくりさせてやろうってね。まあ、人生の終わりが見えた中年のささやかな野望といったもんでしょうかね。いや、あなたにはもう察しがついていると思われますが、実は、わたしも英会話の勉強を始めたんですよ。実際の英語体験が必要だと気づいたすぐ後にね。その勉強方法がほんとうに正しいかどうかぜひ確かめたいということもあってね。ただし、あなたのようにお金がかからない方法でね。 それに、家族には絶対にばれないような方法でね。知れると、それ三日坊主だとか、また病気が始まっただとか、うるさいですからね。その方法とは、NHKでやっているラジオの英会話を聞き始めたということなんですよ。まあ、予想通りといえば予想通りなんですが、始めたころは、聞き取れるのはところどころの単語と、ちょっとしたフレーズぐらいで、文や会話全体となるとまったくのお手上げ状態でした。 それでもわたしはくり返し聞けば何とかなるだろうという気がして、それに、くり返し聞けば、それまでほとんどと言っていいほどなかった英語の実体験の埋め合わせなるに違いないと思いましたので、さっそく、ディスカウントショップに行って、二千円のラジカセと、安いもんですね、たったの二千円ですよ、それに百円のテープを買いました。そのおかげで、たしかに前よりは聞き取れるようになりました。でも何度繰り返しても判らないところは判らない、やはり聞き取れないんですよ。全体の流れや意味のつながりから云って、おそらくこういう単語だろうとか、文法や時制の上から行って。たぶんこういう単語だろうと推測し、頭に思い浮かべながら意識を集中し耳を済まして聞くんですが、やっぱりどうしても聞き取れないんですね。そこでわたしはついにテキストを買い求めました。見ると、ごくありふれた日常会話のどうってことのない内容で、覚える気になれば五分もあれば十分なくらいで、なぜいままでこんな簡単なことが聞き取れなかったんだろうと思うと情けなくなるくらいでしたね。 ええ、まあ、ですから、それで完璧なはずだったんですがね、だって、テキストが目の前にありますからね。ところがどういう訳かしっくり来ないんですよ。なんとなく目の前にモヤがかかっているような感じで、思うように聞き取れないんですよ。なんど繰り返してもですよ。単語や文を全部覚え意味も充分に理解してもですよ。なにかが引っかかっている感じで、どうしてもスムーズに聞き取れない。それは意識を集中して聞こうとすればするほどますます聞き取れなくなるという感じでしたね。なにが目に見えない障害が立ちふさがっているという感じで、やっぱり自分にはこの方法は無理なのかなあと思いましたね。まあ、最初の挫折というやつだったんでしょうか、たったの二千円ですからね。そんなに甘くはないぞということだったんでしょうね。まあ、それでもなんとか繰り替え聞くことは続けました。安いとはいえせっかく買ったんですからねえ。ところがしばらくすると、あるとき突然、それまでわからなかったフレーズや分が聞き取れるようになったんですよ。それはどことなく気持に余裕があり、なんとかして聞き取ろうという特別の強い意識が働いているときに起こるようでした。 つまり、自然の音を聞くように、素直な気持でいるときに起こるようでした。わたしはそれなりに成果をあげていることが判ったので、その後もどうにかくり返し聞くことは続けました。といっても、まあ、昨日聞き取れたことが、今日になると聞き取れないという二歩前進一歩後退という感じでしたけどね。そのうち、しばらくして、ふと、あることに思いあたりました。もしかして、話された言葉を聞き取ることと文字や文法を覚え文を作り意味を理解することとは、まったくちがう脳の働きではないかという、つまり、ええと、今村さんでしたよね、今村さんはこ存知ですよね。脳はその場所によって任されている役割が違うってことを。それなんですよ。 つまり、言葉を、音と言い換えてもいいですけどね。その言葉を聞き分けることを任されている脳と、文字を覚えたりすることを任されている脳とはまったくちがうということ。まあ、具体的にはそれがどこなのかは脳を研究する専門官に任せることにして、今はそれほど重要なことでは在りませんから。 そのようにですね、違うという事がはっきりすると、それまでなんか変だなあって思っていたことが、すべで納得が出来るようになったんですよ。たとえば、先ほどお話ししたように、テキストを見ないで聞き取ろうとするときの変な感じ、いわば、なんとか聞き取ろうとして、意識を集中すればするほど、ますます聞き取れなくなるという感じなんかはまさにそうですよね。聞き取ろうとすること、それはいわば、突き詰めれば、意味を理解しようとすることですからね。ところが実際は聞き取ることが出来ない。そこでテキストを読むことによって記憶され、それと同時に、意味がわかっている単語や文に頼らざるを得なくなる。 つまり、音として耳から入ってくる言葉から直接的に理解するのではなく、耳は一応傾けてはいるが、そのじつ、音としてスピーカーから流れてくる英語に一致させるかのように、記憶している文の単語を順番に思い浮かべては、それで聞き取りに成功しているかのように思い込むのである。それが先ほどお話しした目の前にモヤがかかっているような感じだったのでしょうね。わたしたちが小さい時から話している日本語の場合はこんなことはありえませんよね。音から直接的に理解していますよね。音として入ってくる言葉を聞く振りをしながら、頭の中では文字を思い浮かべては、意味を日本語で理解しようとする。はっきり言って、遠まわりですよね。これでは聞こえてくる英語は雑音としてしか受け取れませんね。なぜこんなことが起こるんでしょうね。わたしはこれは簡単に言ってしまうと、聞きなれていないからだと思うんですよ。 学校では、まったくと言っていいほど、本物の英語を聞くことはなかったですから、それは無理のないことかもしれませんが。まあ、日本の英語教育の最大の欠陥でしょうね。ですから、わたしがテキストを買ってきて、それを見てなんとなく安心したのも、そういう教育に毒されていたからなのでしょうね。今では目からうろこが落ちたって感じですよね。ところで今村さんは、今まさにこうしてお話ししているときに、頭の中でわたしが言っていることを反復していませんか。かすかに、そうでしょうね。反復しているでしょう。まあ、詳しいことはわたしにも判りませんが、これが聞き取るということじゃないでしょう。またこのように自然に頭に思い浮かべるように反復できるってことは、今のわたしにはまだ確かなことはいえませんが、もしかしたら、これが、言葉を理解するための必要条件になっているかもしれませんよ。 それからですね、このように反復できれば、話を聞いていて、もし突然、意味がはっきりしない言葉が出てきても、全体の意味の流れから推し量ったりして、その大体の意味を理解できるので、慣れている日本語の会話はそれほど苦になりませんよね。 とにかく、これが出来るのは、まさに聞きなれているからなのでしょう。それではここでですね、もう一度、聞きなれていない、と云うことをさらにもう少し詳しく言うと、それは、単語や文法を覚えることを任せられている脳に比べて、音としての言葉を聞き取ることを任せられている脳は、まったくと言って良いほど使われてこなかったということなんです、。そしてですね、その聞き取る脳というのは、覚える脳が個人によって生まれつきその能力が決まっていたり、なにかを覚えれば覚えるほど、その能力があるといわれたりするのとはちがって、先ほどもチラッとお話ししましたね、くり返し聞いたことがそれなりの成果があったと、その様にですね、くり返し聞くことによって、つまり、同じ刺激をくり返し受けることによって、その能力は目覚めたかまっていくもののようです。というより、訓練のように聞く体験を重ねることによってしか、その能力は働き始めず、かつ体験しいてるときだけしか働かず、その能力は高まらないといったほうが良いかもしれません。もうこれで十分に納得いただけますね。先ほどわたしがちょっと言いかけましたが、英語の実際の体験、生きた英語体験、つまり、音体験というものが、英会話を身につけるためにいかに大切かということが、もうこれでお判りいただけたような気がします。 これだったんですよ。わたしが最初にお話しした、わたしが発見した真理というのは、、、、 ところで、こんな話しを聞いたことはありませんか。わたしはテレビニュースで見たんですが。昔話をする九官鳥なんですよ。そうですよ、昔話をですよ。カラスやオウムなど色んな鳥が片言をしゃべるのは知っていましたが、長く話すのは初めてですよ。考えられないですよね。果たしてその九官鳥は意味を理解しているんでしょうか、いや、そうは思えないですね。それから覚えようとして覚えたんでしょうか、いや、それも違うでしょうね。不思議ですよね、文字も文法も知ってるわけじゃないのに。ましてや発音記号やアクセントの位置だって知らないでしょうし。 いやあ、とにかくすごいですね。しゃべれるってことは五十音を聞き分けられるってことですからね。おそらく、英語で話し掛けていたら、その九官鳥は英語でしゃべれるようになっていたでしょうね。いやあ、ほんとうに驚きですよね。鳥にそんな能力が在ったなんて。 でも、わたしはこう思うんですよ。飼い主がなんども同じ事をくり返しくり返し話して聞かせたからしゃべれるようななったんだって。つまり、鳥にもなんども同じ事をくり返し聞かせることによって、その能力がめざめ高まっていくという人間の言葉を聞き分ける力があったと云うことですよ。そうですよね。 今村さんもお気づきになったでしょうが、わたしたち人間にもそれと同じ能力、いやいや、脳みそは鳥よりはるかに大きいですから、きっと、それ以上の能力を発揮できることはは違いないですよね。鳥に出来て人間に出来ないはずはありませんからね。だから、わたしたち日本人が、わたしたちにも鳥と同じ様な能力が備わっていることを信じて、本物の英語をくり返し聞いていれば、そのうちに、外国人と同じ様にしゃべれる様になるはずですよね。そうなれば、もう、ああ、聴き取れないなどと言って頭を抱えるようなこともなくなるだろうし、英会話コンプレックスからも開放されるようになるでしょうね。 そうですね、ええと、ここで、ちょっと話しはわき道にそれますが、今村さんは自転車に乗れますよね。ええ、それじゃ、なぜ乗れるか判りますか。」 二部へ続く ![]() |