老人と猫(四部)

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          はだい悠



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「まあ、良いってことよ、アニキ。遠慮するなよ。そろそろお天道様が出てくるぞ。今日も一日が始まるんだろうな。おらあ寝床に帰るけどさ。かっ、ああ、いい、しみる。なあ、キョウダイよ。どうしたんだろうな昨日は、確かこの辺だろう。騒いでいたのは。夜にもなんかあったみたいだな。最近おかしいと思わないか。妙にざわざわしてさ、テレビカメラは入ってくるし、おまわりにはうろうろされるし、なあ、いやだよなあ。」
「うっ、うっ、ふう、ああ、いやだ、なんか落ち着かないよ。監視されてるみたいでさ。なんにも悪いことなんかしてないんだけどさ、すれ違うとき、なんかひやひやするよ。」
「まあ、飲めよ、遠慮するなよ。いまのままでさ、このままでさ、なんにも変わらなくても良いんだよ。なんにも不自由なんかしてないんだからさ。ほっといてほしいんだよ。うっ、うっ、ふう。くそう、あのジジイの事件以来どうも世の中おかしいよ。」
「うっ、ふう。なんだ、なんだそのジジイの事件っていうのは。」
「あれ、お宅は知らなかったっけ。そうか、お宅は新聞なんか、へっ、よまねえからな、わかんねえだろうな。あっちのほうに何とか研究所ってあるだろう。そこからちょっとこっち側にでけえタブの樹が三本あるだろう。そのタブの木の根元に年がら年中一人で坐っているジジイがいるんだけど、そのジジイがさ、二週間ぐらい前に、動物園のライオンの檻の中にいるところを発見されたっていう事件だよ。お前、良い飲みっぷりだなあ。」
「うっ、ふう。それでどうだったの、なんともなかったのけ。」 「なんともねえ訳けないだろう。おい。ライオンにかまれて二ヶ月の大怪我だとさ。拾った新聞にはさ、入院したって書いてあったけど、昨日、包帯した奴を、例のタブの木の下にいるところを見たよ。奴は病院を抜け出してきたのかなあ。オレは新聞の写真を見たとき、すぐ奴だって判ったね。なにしろ、ちょっとやそっと出忘れられないような気味悪さがあるからね。奴になら何が起こっても不思議では無いというふうなね。」
「うっ、うっ、ふう。なんで食われなかったんだ。それより、どうしてそこにいたんだ。」
「判らない。新聞には酔っ払って自分から入って行ったんだろうって書いてあったけど、そうかなあ、いくら酔っ払ってても、自分から進んでライオンの檻の中に、入っては行かないぞ。食われるかもしれないのによ。でも、ちょっと頭がおかしいっていう噂だったから、考えられないこともないか。」
「なあんだ、きちがいか、そのジジイは。うっ、うっ、ふう。」
「そうみたいだ。お前も、よく飲むなあ。オレは奴と話したことはないからよくわからねえけど、陰ではみんな狂人と言ってるな。最初、近くで見たときはさ。寒気がするくらい気味が悪かったな。なに食ってんだかわかんねえけど、そんなにやせてはいないんだ。でも色は黒くてさ、干からびた土の塊みたいでさ、なんだこいつは、なにを考えてんだというような顔してんだ。頑固そうにも見えるし素直そうにも見える、凶暴そうにも見えるし、大人しそうにも見える、バカなのか、利巧なのかも良くわかんねえんだ。やっぱり狂人だからなんだろうか。」
「それじゃ、まずそうだな。ライオンだって食わないだろうな。」
「まずいか、そうだなあ。お前も飲んでばかりじゃなく、たまには良い事も言うんだなあ。アッハッハッハッハ。けどよ、そういう世間に逆らうようなことをされると、本当に困るんだよな。オレたちがさ、みんなそういうニンゲンのように思われるじゃないか。」 「うっ、ふう。いるんだよいるんだよ、どこにもそういうのが。わざとみんなと違う事をやる変わり者が。でも、頭がおかしいんじゃなあ、、、、」
「なんか奴はだいぶ昔から浮浪者をやっているみたいだな。てっことは、元祖ホームレスってことだ。オレたちの大先輩ってことだな、アッハッハッハッハ。でもさ、どんなに冬の寒いときでも、オレは奴を今までに一度も施設なんかにいるところを見たことは無いんだよなあ。たぶん、奴はわがままで、個人主義なんだろうな。」
「うっ、ふう。いるんだよいるんだよなあ、どこにもそういうみんなと協調できない偏屈者が。でもなあ、頭がおかしいんじゃなあ。」
「けどよ、ほんとうに迷惑だぜ、そういう自分勝手なことされると。オレたちは誰でも日本人として生まれたからには、ニンゲンらしい生活が出来るように憲法で保障されてんだ。それなのに奴のやっていることはまるで、オレたちのためにある施設や援助が要らないって言ってるみたいじゃないか。みんなの足を引っ張るようなことばかりして。」
「うっ、ふう。いるんだよいるんだよなあ、どこにもそういう常識の無い頑固者が。でもなあ、頭がおかしいんじゃなあ。」
「うん、そうだ。あまり大きな声じゃ言えないけど、奴は人殺しだっていう噂だ。」
「うっ、ふう。そういう危険なニンゲンこそ、うっ、ふう。そういう社会秩序を乱すようなニンゲンのくずこそ、警察は取り締まればいいんだよ。あぶなくってしょうがない。わしらを捕まえてどうしようてんだ。うっ、ふう。そのジジイどんな顔しているのか見てみたいもんだあ。」
「よし、後で見に行こう。ガツンと言ってやる。自分勝手なことするなってな。ところで、キョウダイ、お前は寒くなってきたらどうするんだ。駅か施設か。」
「うっ、ふう。そうだな。駅にするか、施設にするか、ちっと迷うなあ。施設は飯が食えるし、あったかくて良いんだけど。なんか窮屈だよなあ。それにどっか冷たいしなあ。うっ、ふう。なんたったって面倒くさいもんな。名前に住所だろう、そんなのどうでも良いじゃないか。うっ、ふう。」
「それくらいならまだ良いよ。出身地とか、家族のことを聞かれるのは、もっといやだよ、思い出したくもないのによ。こっちにはプライバシーってものがあるんだから。余計なことを根掘り葉掘り聞くんじゃないよって言いたいよなあ。なあ、そう思わないか、プライバシーってもんがよ。」
「うっ、ふう。そうだ。プライバシーだけどよ。何よりもいやなのはあれだよ。仕事やる気あるのかって、冗談じゃないよなあ。当たり前じゃないか、オレたちはやる気があるんだよ。だけど、オレたちを雇うところがぜんぜんないじゃないか。うっ、うっ、ふう。あってもなんだよ、オレたちに合わないような仕事ばっかしじゃないか、そんなわかりきったこと初めから聴くんじゃねえって言いたいよな。それだけじゃない、奴ら役人はさ、施設に入っている間に仕事を見つけろって言うんだよ。たったの一ヶ月で見つけるなんて無理だんべ。うっ、うっ、ふう。」
「まあ、そうだな。そうだけど、真に受けるほうも、受けるほうだよ。」
「うっ、ふう。どうしてだよ。」
「そうだろう。奴ら、福祉課の役人っていうのは、それが仕事だ。決められた事を決められた通りにやるのがな。だからさ奴らだって一ヶ月ぐらいで仕事が見つかるなんて思ってやしないさ。オレなんかあれだよ。仕事先を紹介されたって、仕事をやる気で真面目に面接に行ったことなんてなかったよ。行く振りをしてさ、出るには出るんだが、一日中外でぶらぶらした後、夜になって、やっぱりだめだったと言うような顔してさよく帰ってきていたもんだよ。それで良いんだよ。奴らだってそんなこと百も承知なんだから。バカ正直に、奴らの言うとおりにやる必要はないのさ。」
「うっ、ふう。建前と本音を使い分けるというやつだな。」
「おっ、お前、わかるじゃないか。そうだよ、建前と本音という奴だよ。だいいち、オレたちがどんな仕事をやろうが、オレたちの自由なんだから、職業選択の自由って云って憲法にも保障されてんだぞ。判るか、キョウダイ。」
「判るさ、オレにだって。うっ、ふう。自由な選択ぐらい、、、、」
「まあ、いっか。そんなことよりもさ、オレにはもっと頭に来ることがあるんだよ。子供じゃあるまいし。何時に起きろとか、何時に寝ろとか、門限まであるんだから。まるで監視されてるみたいじゃないか。オレは人から指図されるのが一番嫌いなんだ。冗談じゃないよまったく。」
「うっ、ふう。そうだ、おれもきれえだ。」
「いや、あのよ。皆と同じ部屋に寝泊りするのがいやだと言ってんじゃないんだよ。俺たちは大人だぞ。その大人に向かって、風呂に入れとか、けんかはするなとか、酒は飲むなとか、いちいちそれはないだろう。お前たちにはいったいどんな権限があって、そんなことを押し付けるんだと言いたいね。世間に迷惑をかけない限り何をやろうと勝ってじゃないか。なあ、日本は民主主義の国なんだぞ、自由な国なんだぞ。なあ、だから、そこまで言われると、なんかバカにされているとしか思えないよな。おい、そう思うだろう。」
「うっ、うっ、ふう。そうだそうだ、完全にバカにしているよな。」
「それもこれも、みんな、奴らが二重人格だからなんだよ。施設に入る前はさ、親切そうな顔して話しを聞くけど、いったん中に入ると、人が変わったみたいに冷たいニンゲンになるからな。急に命令ロ調になってさ、ちょっとでも規則を破ったりすると、鬼みたいな顔になってさ、怒鳴ったり、それこそあれだよ、ほんとうはさ、心のそこでは俺たちを差別しているという証拠だよなあ。ふん、人を何だと思ってんだ。警察みたいに威張り腐ってさ、いったい何様だと思ってんだろうね。人間は平等なのによ。オレたちには人権って言うものがあるんだぞ。」
「うっ、ふう。そうだ。人間は平等なんだぞ、人権があるんだぞ。」
「それに比べたら駅は良いよな。ちょっと寒いけど気楽でさ。おととし、あの時はすごかったよなあ。オレは五十年間生きてきて、あのときほど楽しかったときはなかったね。初めてだよ生きがいを感じたのは。全国の失業者やホームレスのために戦っている感じがして、警察とやりあっているときなんか、あれだよ、オレはここで死んでも良いとおもったもんね。オレたちの自由と人権のために戦っているんだよ。警察なんて怖いわけないじゃないか、なんか勇者になったような気分でな。おい、お前、酒ばっかり飲んでないで、少しはオレの話しを聞けよ。良いかい、オレたちに仕事はないのは、金持ちが金儲けのことばかり考えているからなんだぞ。良いかい、オレたちがこんな目にあっているのは、政治家が悪いことばかりやっているからなんだぞ。おい、おい、判っているのか。みんな、あのジジイみたいなもんだよ。自分勝手で、世間を騒がせてばかりいてさ、とんだ迷惑だよな。警察はさ、あんな奴こそ捕まえて、刑務所にぶち込めばいいんだよなあ。おい、お前、少しぐらいは遠慮したらどうなんだ。あれ、あきれたな、もう、みんな飲んじまったのかよ。ちぅ、役立たずが、、、、」
「うっ、うっ、うっ。それならオレにも言わせてもらうけどさ。お前はいつもオレのトイレットペーパーばかり使っているだろう。オレは、お前が自分のを使っているのを見たことがないぞ。」
「なんだと、人の酒を全部飲んでおきながら、その言い草は。どうせ、どっからか、かっぱらってきたくせに。おっ、なんだ、やるか。」
「ガシャン。」
「うお、やるってえのか、このやろう。」
「ドスン、グシャ、ドスン。」

 わあ、びっくりしたなもう、いきなりなにすんだよ。あのニンゲンたちは。せっかく気持ちよく眠っていたのに。  
  さあ、早く離れよう。危なくってしょうがない。    おっ、みんないる。クロブチニシロ、ミケにカタミミ、マヌケにコワソウもいるな、なにしてるんだろう。    やあ、クロブチ、どこかへ行くのかい。

   あっ、トラか。なんかここにいるのが嫌になって、どこかへ行こうかなって。

 どうして、なにか嫌なことがあったのか

 べつに、そう言う訳でもないけど。

 ここほど良いところはないぞ。食うのには困らないし、遊んだり走ったり隠れたり、なんでも自由に出来るからな。

 タイガー、違うんだよ。あいつだよ。ツヨソウだよ。あいつがみんなをいじめるんだよ。あいつは、あいつにアイサツしなかったり、あいつより先に食べたりすると、すぐ怒ってみんなを引っかいたり噛み付いたりするんだよ。

 オレなんか、ちょっと先に食べようとしただけで引っかかれそうになったよ。

 新しく入ってきたチビなんかは、アイサツしなかったからと言って、噛まれて引きずりまわされたんだよ。

 威張りたいのは判るけど、あいつは少しやりすぎだよ。

 あいつに逆らおうなんて、誰もみんな思ってやしないさ。

 ツヨソウより先に食べてなぜ悪いの。あいつはほんとうに強いのかな。

 あいつが来る前はこんなことはなかったわ。みんな仲良くやってたよね。

 いきがってんだよ、あいつは。

 みんな意気地がないんだよ。誰かいないのかね、ツヨソウに向かっていく奴は、、、、

 おい、、マヌケ、どうしたんだその歩き方は。

 いや、キノウ、ニンゲンに捕まったんだ。あのとき、とても腹減ってたからなあ。それで檻に入ったらバタンだ。トラも気をつけたほうが良いよ。

 それでニンゲンに何かされたのか。

 いや、よくわからない。でも、そのあと、なんかもぞもぞして歩きづらいんだ。

 痛いのか。

 それほどでない。

 ああ、いやだなあ、ケンキュウジョだ。ここを通るとき、いつも走りたくなるんだ。なあ、トラ、そうだろう、、、、なにかあったのか。

 いや、なんでもない。先に行ってて良いよ。    どうしたんだろう、なんか気になるな、ケンキュウジョのほうが、、、、なんか聞こえたんだよな、ケンキュウジョのほうから、、、、とっても気になるんだよなあ、、、、静かだなあ、なんて静かなんだ、、、、あっ、変な匂いがするゴミ箱があるぞ、どんなに腹が減っても、あれだけはのぞく気がしないよ。     あっ、また、聞こえてきた。なんて気になる鳴き声なんだろう。こっちのほうだな、あっ、窓が少しあいている。ヘイに上ってと、ヨイショっと。何があるんだろう。あっ、また、聞こえてきた。中からだ。よし中に入るぞ。ヨイショっと。    静かだなあ、なんて静かなんだ。人間はいないのかなあ。くらいなあ、なんてくらいんだろう。冷たいなあ、なんて冷たいんだろう。あっ、色んな匂いがする。イヌに、ネズミか、ここからはネコの匂いがする。ここか、ここなのか、ネコの匂いのするここから聞こえてくるのか。

 
「コッ、コッ、コッ、おはよう。」
「おはよう、おはようございます。」
「コッ、コツ、コッ、」

 あっ、ニンゲンがこっちに来る。どっかに隠れないと。

「コッ、コッ、コッ、カチャ、コッ、コッ、コッ。」

 あっ、猫の部屋に入った。ドアがあいているぞ。よし中に入ろう。なんだろうここは。あっ、あれか、檻に入っているあいつが鳴いていたのか、、、、おい、お前、どうして鳴いているんだい。そんなものを体にくっつけて何しているんだい。おっ、そうか、痛いのか、痛いんだな、、、、いや、ちがう、怖いのか、そうか恐いのか、、、、いや、ちがう、苦しい、そうか苦しいのか。いったい何が苦しいんだ。あっ、ニンゲンが来る、隠れないと、、、、

「どうかね、橋本君、経過は順調かね。」
「はい、どうにか。あっ、でも、麻酔が切れてちょっと痛いんでしょうか、ときどき鳴きますけど。」
「ふん、ふん、そうか。がんばってくれよ、J五号、一日でも長く生きてくれよ。まあ、これでひとまず、埋め込み手術は成功と云うことだな。あとはどういうデーターになるかだけだな。村山君、計測のほうはうまく行ってるかな。」
「はい、今のところはべつに異常らしきものはありません。先生、今日もくるんでしょうか、あの動物愛護団体の人たちが。」
「ふん、あれね。こまった人たちだ。えっ、すると君は気になるのかね。」
「ええ、少しうるさいですからね。でも、どうして急に、って感じですね。」
「わたしはまったく気になりませんね。法律に違反することをやっているわけじゃないから。それよりも中に入ってくるんじゃないかと思うと、とても心配ですね。」
「まあ、門の外で騒いでいるだけだから、だいじょうぶでしょう。ガードマンだってちゃんといることだし。科学の世界に感情を持ち込むんだから、ほんとうに困った人たちだ。おそらく論理的な思考の出来ない人たちなんだろうね。少し理性的にっていうか、冷静になって考えれば、動物実験がどれほど大きな役割を果たしてきたか、少しは判りそうなもんだけどね。どれほどの多くの人々の生命を救いながら医学の発展に貢献してきたか、ひいてはそれは、人類の発展に役立ってきたということだからね。わたしたちが今ここにこうして元気でいられるのも、みんなそのおかげなんだよね。動物実験は残酷だとか可愛そうだとかいって抗議する彼らだって、決して例外ではないんだよね。まあ、彼らの言い分も判らないこともないけど、でも、事情の判らない人が見たら、建物の中にはどんな悪い奴がいるのかと思うだろうね。どうかね、橋本君、君は悪い奴かね。」
「いえ、いえ、僕はやさしいやさしいごく普通の人間ですよ。」
「そうだろうね。村山君は、今まで自分のやっていることを残酷だと思ったことあるかね。」
「いいえ、まったくないです。」
「そうか、でも彼らは、そうは思ってないみたいだよ。わたしたちは血に飢えた吸血鬼か、虐待して快感を覚えるサディストかなんかのように思っているみたいだよ。」
「先生、それはほんとうですか、ちょっと冗談がきついですよ。ボクはいつも冷静ですよ。真理を追求する研究者ですからね。今まで実験に特別の感情をまじえたことなど一度もありませんよ。だいいち、そんな余裕僕にはありませんよ。いつも実験やデーターのことで頭がいっぱいなんですから。」
「先生、わたしたちのやっていることが残酷だというのなら、動物を殺して食べることのほうがもっと残酷のような気がしませんか。むしろ、わたしたちのほうはその反対でしょう。だって、ホケンジョで殺される運命にあった犬やネコを助けて、結果的には寿命を長らえさせているんだから。そうじゃないですか。」
「僕は残酷というのは、昨日公園で起きた事件のようなネコの脚を何の意味もなく切ったりするようなことを言うと思います。」
「そうだよ、あれこそ残酷というものだよ。」
「それでは二人に聞くけど、君たちはそれがなぜ残酷と思えるのかね。」
「なぜって、それは、残酷だから、なあ、村山。」
「よし、それでは、もしそれがイヌだったらどうだろう。」
「もちろん残酷ですよ。」
「それがサルだったら。」
「ええ、もちろん。」
「では、そうだな、それがハトだったら。」
「では、ネズミだったら。」
「ネズミ、ネズミか、まあ残酷でしょうね。というより、なんか変というか。」
「では、カエルだったら。」
「えっ、カエルですか、カエルの脚を切ってなんになるんだろう。」
「それじゃ、トンボやゴキブリだったらどうだろう。」
「いやもう、それは残酷というより、そういうことをするニンゲンは気味が悪いというか、言いようがないですね。」
「それはもう変人ですよ、変人。」
「こうしてみると、君たちは無意識のうちに、この辺は残酷だがこの辺からは違うというふうに区別しているみたいだけど、その基準というか、根拠はなんだろう。」
「ええと、ふうん、そうですね。イヌやネコというのはニンゲンのいうことを聞いて、よくなつきますよね。サルなんかもそうですけで。つまり、ニンゲンと一緒に生活が出来て、ニンゲンに大変可愛がられる動物だからじゃないですか。」
「そうそうペットですよ。ペットになる動物だからですよ。それも他の動物よりはニンゲンに近いとされる哺乳類だからですよ。」
「いや、そうかな、ハトは鳥類だよ。君たちにとっては、ハトの場合も残酷だということだったよね。それならば、哺乳類だからと限定できないんじゃないの。それよりも、さっき、ニンゲンになついて可愛がられる動物だからといったけど、それは人によってずいぶん違うと思わない。たとえばカエルやゴキブリをペットにする人、数は少ないけど、現実にいるよね。 その人たちは、周りの人たちがそんなことはありえないと思っていても、カエルやゴキブリは自分たちのいうことを聞いてなついてくるし、可愛いとも思っているかも知れないよ。それに彼らにとっては、君たちと違い、カエルやゴキブリの脚をきることは、ほんとうに残酷だと思っているかも知れないよ。」
「あっ、そうか、なんか、考えれば考えるほど、判らなくなりそうだな。基準なんて簡単に出てくると思ったんだかなあ。そう言えば、動物を殺して食べる事だって、人や国によってずいぶん違いますよね。ぜんぜん肉類を食べない人がいたりして。それに日本人にとっては平気な牛やぶたの肉が、宗教上の理由でだめな所がある反面、イヌや猫を食用にしている所もありますよね。ということは、つまり、基準なんて大体で良いんじゃないんですか。」
「でもさあ、あれだよ。カエルやゴキブリの脚を切ったからといって、残酷だと騒ぎ立てる人はほとんどいないよ。やっぱりニンゲンに近いって云うか、反応するって云うか、ある程度知能が高い動物だからだと思いますよ。」
「ハトは知能が高いか。」
「高いんじゃないの、だって、遠くはなれたところから帰ってくるじゃないか。」
「あれは本能じゃないの。ハトの場合は平和の象徴とかいって、特別にみんなに大事にされ可愛がられているからだよ。もしそれがスズメやカラスだったら、みんなはハトほど騒がないと思うよ。」
「まあ、良いでしょう。ここでひとまず二人のいうことをまとめてみると、ニンゲンの身近で生活し、より多くの人に可愛がられ、ある程度知能が高い動物を傷つけることは残酷だということだね。ということは、その逆、つまり、ニンゲンに身近でなく、ほとんどの人から嫌われ、知能が低い動物を傷つけることは、それほど残酷ではないということになるけど、それで良いかな。」
「はい、それでいいと思います。なあ村山君。」
「ええ、僕もそれで良いんじゃないかと思います。」
「それじゃ二人に聞くけど、猫の脚を切る。つまり、それはネコを傷つけるということだよね。それでは、そのネコを傷つけると云うことを、実は今わたしたちもやっているよね。なぜ、どうして、わたしたちがやっていることは残酷でないんだろう。」
「それは先生、さっきおっしゃったじゃないですか。わたしたちは医学の発展のために、ニンゲンの生命を救うために、やっているんだって、ですから、その様にちゃんとした目的を持ってやれば良いんじゃないですか。」
「そうですよ、その通りですよ、先生。昨日の事件の問いのは、意味が判らないというか、何のために猫の脚を切ったのか、まったく感じられませんね。どう考えても、誰かが個人的な感情から、ネコを痛めつけようとしてやったとか思えませんね。わたしたちがやっていることは根本的に違うと思いますよ。」
「ということは、先程の結論は、次のように変わるのかな。ニンゲンの身近で生活をし多くの人に可愛がられ、ある程度知能が高い動物であっても医学の発展のためにニンゲンの生命を救うためになら、多少傷つけても許される、いわゆる残ではないと、どうだろう。」
「はい、前のよりは良いと思います。村山君は。」
「ええ、僕もそう思います。そのように考えれば、動物を殺して食べる事だって、簡単に解決されるわけだ。おそらくそれは人類に共通した考えなんでしょうね。」
「あの良いですか。なんか変というか、ちょっと気づいたんですけど、その定義はニンゲンに当てはめれば当てはまるような気がするんですけど。」
「人間には当てはまらないでしょう。だいいち人間は動物じゃないですから。」
「いや人間だってしょせん動物だよ、似たようなもんだよ。遺伝子レベルから見たらたいして変わらないって言う話だよ。」
「それはそうでしょうけど。人間と動物は同じじゃないですよ。人間は特別ですよ。今まで話してきたことは、あくまでも人間以外の動物が対象なんです。そもそも人間をどんな理由にせよ傷つけるなんて、それは犯罪じゃないですか。」
「そういうことじゃなくって、なんて言うのかな。それじゃ聞くけど、医者が手術するとき、メスで体を傷つけるよね、それは犯罪だというのかい。」
「だって、それは、それは法律で許されているじゃないですか。みんなから医者は良いって認められているからじゃないですか。人間を動物のように扱うことは悪いことですから、人間に当てはめることは、、、、」
「あれ、おかしいな、話がだんだんこんがらがってきたぞ。良いとか悪いとかじゃなくて、、、、」
「ちょっと良いかな、二人の話はかみ合ってないみたいだけど、橋本君の言いたいことは、つまり、人間にも当てはまるんじゃないかと言ったのは、ほんとうはあれだろう、医者の治療行為のことではなく、現在も新しい薬の開発のときに行われている、実際に人間を使った試験のことなんだろう。」
「はい、そうです。ジェンナーの時代からおこなわれてきた人体実験のことです。」
「やっぱりそうだったか。でも、現在、人間を使って行われていることは、本人の同意を得ることになっているし、また医者の治療行為と同様に、この辺までの試験なら良いだろうと、社会からというか、世間の人から認められていることだから、人体実験などと大げさなものではなくなっていると思うよ。だから、さっきの定義が人間に当てはまるか当てはまらないかなどと神経質になる必要なないと思うよ。だからこの場合、動物ということから人間を除外しても良いんじゃないかな、、、、」

「動物虐待は止めろ。ニンゲンの横暴を許すな。実験内容をすべて公開しろ。動物虐待は止めろ、、、、」

「また始まりましたか。公開するにやぶさかではないですよ。でも、それで果たして彼らが納得するか、ということが問題なんですよ。」
「先生、わたしたちの動物実験を残酷だと決め付ける彼らの最大の理由はなんなんでしょう。」
「なんか表向きには、動物に苦痛を与えることにあるみたいだね。」
「苦痛ですか。だったらべつに非難されることなんかないんじゃないんですか。わたしたちは人間と同じ様にちゃんと麻酔をかけてやってますからね。それをいうなら人間にペースメーカーを埋め込む事だって残酷でしょう。相当の苦痛を与えているはずですよ。」
「まあ、彼らにそれを言ったとしても、彼らはこういうだろうね。人間はちゃんと承諾を得てやっている。しかし、動物の場合は違うと。でもねえ、動物と意思の疎通は計れませんからね。動物がニンゲンの言葉を判るほどの知能があれば別ですけどね。とにかく、そういう非科学的なことは、わたしたちは到底受け入れられませんよ。」
「先生、動物は苦痛というものをほんとうに感じているんでしょうか。前になんかの本で読んだことがあるんですけど、少なくとも人間が感じる様には感じないのではないかと書いてありましたよ。それから傷ついて体をぴくぴくと痙攣させたりしますよね。あれも人間からみれば痛そうに見えるけど、それほど苦しんではいないのではって書いてありましたよ。それなのに彼らはどうして苦痛を感じていると言いきれるんでしょうね。結局彼らは、自分たちが感じるように、動物たちも感じるだろうってかってに推し量っているだけですよね。そうですよね。」
「それは非常に難しい問題だな。本能をよりどころにして現在だけを生きている動物と、知性をよりどころにして現在だけでなく、過去と未来を生きている人間とはおのずと違うことは間違いないんだが。動物が言葉を話してくれればどう感じているかが判るんだろうけど。その言葉、その言葉こそまさしく知性の産物なんだよね。人間と同じ様に神経はあるから、痛みは存在するだろうけど、それがどのような感情となっているかは人間とは違うはずだよ。なぜなら、ニンゲンのように微妙で複雑な色々な感情を持っているとは思えないからね。恐怖とか怒りとか、不安もあるかな、それらは共通にあるかもしれないが、幸福とか安心とか喜びとか悲しみとか笑いなどは到底あるとは思えないからね。それも結局は知性があるかないかの違いだと思うんだ。自分に今何が起こっているかを知ることが出来る知性があるからこそ、微妙な感情が育ち複雑になっていくと思うんだ。君たちにだって、動物にそういう知性があるとは思えないだろう。もしも、イヌやネコに自分の身に何が怒っているかを知る能力があったら、歴史は変わっていたろうね。きっと人間との間で戦争になっていただろうね。だって、ニンゲンが動物にやってきたことを知ることになるんだからね。だから、そこで、もしもだよ、未来においてイヌやネコがそんな知性を身につけたら、きっと人間に復讐をし始めるだろうね。」
「なんか恐いですね。」
「心配ないさ、そんなことはありえないから。」

「動物虐待は止めろ。人間の横暴を許すな。実験内容はすべて公開しろ。動物虐待は止めろ、、、、」

「わあ、すごいなあ、さっきより人数が増えたみたいだ。本当ですね、知らない人が見たら、きっと中には極悪人が住んでいると思うんでしょうね。いったいどこから出てくるんでしょうね、彼らのあの自分たちは絶対に正しいんだといわんばかりの自信は。」
「教授、彼らがあそこではっきりと自信をもっていえるには、きっと、動物実験がなぜ残酷で、それのどのあたりの動物までなら許されるかについての、どんな人でも納得できるような、合理的な理由というか、客観的な基準や根拠をもっているんでしょうね。それに動物が苦痛というものをどのように感じているかについての論理的で科学的な証拠やデータもね。ぜひ聞いてみたいものですね。そうすればわたしたちもどんなにやりやすいことか。」
「いや、彼らがそんな基準や根拠をを持っているとは思えないね。それにもし話し合いによってその苦痛の問題が解決されたとしても、彼らが、はい納得しましたといって引き下がりとは到底思えないよ。彼らの本音はそんなところにはないみたいだよ。とにかく、すべてがだめ、すべての動物実験が駄目みたいで、それがだんだんエスカレートしていって、ニンゲンが生き物を利用すること自体が駄目みたいなんだ。」
「まるで宗教みたいですね。」
「そうなんだ。だから、彼らから見れば、わたしたちは悪い奴で、それも、とにもかくにも悪い奴でなければならないかのように思っていてね。その悪い奴らから動物の生命を救うことが、自分たちの崇高な使命であるかのように熱狂的に思っているみたいなんだ。その熱狂振りも、わたしたちが極悪人であればあるほどますます高まっていくような種類のものでね。」
「そこまで来ると妄想狂の独善家ですね。」
「勧善懲悪というやつですかね。」
「こまったもんだ、どうすれば良いんでしょうね、わたしたちとしては。彼らは、人間と動物が共存するユートピアを目指しているみたいで、それに対してわたしたちは、それを妨害する極悪人みたいです。でも、その方が彼らにとっては都合が良いようにも感じるときがあるんだよ。なぜなら、それだけ過激にもなれ熱狂的にもなれ、戦い安いみたいだからね。」
「なんか、考えれば考えるほど判らなくなっていきそうです。」
「どうだろう、もう少し単純化して考えては見ては。つまり、この問題に関しては二つの極端な考え方があって、その一方は、人間の利益のためならすべての生き物を利用することが許されるという考え、もう一つは、どんな生き物でも人間の利益のために利用することはいっさい許されないという考え。この両極の考えの間に、わたしたちを含めほとんどの人々が色々な考えをもって存在するということにしては。」
「うわあ、びっくりした。なんだこのネコは。なぜこんなところにネコがいるんだ。実験用のか。」
「いや、違う。そんなのはいないはずだ。いつの間に入ってきたんだろう。野良猫だな。ちょっと恐いけどつかまえるか。そっちに行ったぞ。気をつけろ、噛み付くぞ。」
「あっ、だめだ、こら。チューブをはずしたぞ。あっ、花瓶をひっくり返したぞ。くそ、この野良猫め。なんてことすんだよ。もうだめだ、コンセントをはずしやがって。あっ、もう、滅茶苦茶だ。よし、こうなったら、絶対に捕まえるぞ。おい、今度はそっちに行ったぞ。」 「わあ、ドアから逃げていく、なんてすばやいんだ。いったいあいつはどこから来たんだ。」

 逃げろ、逃げろ、捕まったら何をされるか判らないぞ。こっちだ、こっちだ。ない、ない、窓がない。違うのか、あっちだ、あっちだ。逃げろ、逃げろ。

「動物虐待を止めろ。人間の横暴を許すな。実験内容をすべて公開しろ。動物の虐待を止めろ、、、、」

 逃げろ、逃げろ、こっちはだめだ。ニンゲンがいっぱい居る。こわい、こわい、走れ、走れ、あそこはいったいなんなんだろう。 もう、良いかな、ここまでくれば良いだろう。ほんとうにびっくりしたなもう。おや、こっちに来るのは、カシコソウではないか。おい、カシコソウ、どこへ行くんだ。

 あっ、タイガーさん、ちょっとケンキュウジョのほうへ

 なんだと、やめろ、やめろ。あんなところには行くんじゃない。どうして行くんだ。

 コワソウさんが言うんだ。何も食うものがなくって、腹が減って減ってどうしようもないときは、ケンキュウジョのゴミ箱へ行けって。

 だめだ、行くな、あそこへは絶対に行くな。ニンゲンに捕まったら何をされるかわからないぞ。カシコソウ、お前はそんなに腹が減っているのか。

 うん、キノウから何にも食ってなくて、、、、

 だって、キノウ、カタミミが教えたじゃないか。こうすればオーエルから食い物を分けてもらえるって。

 それをやろうとしたんだ。そしたら、ツヨソウが出て来て、そんな生意気な真似はやめろって、恐い顔してにらみつけるもんで。ツヨソウが怒るとほんとうに恐いもんで。

 そうか、ツヨソウがか、、、、ところで、キノウのチビどもはどうしたんだ。

 うん、あのクロチビは、どうしてもカタミミに教えられたようにドーロを渡れなくて、、、、それで車に轢かれて、見えなくなって、それっきり、アカチビのほうは、ニンゲンのくれる食い物をツヨソウより先に食べようとしたら、ツヨソウに怒られて、脅かされて、それでもういやだって、ウエコミの中に隠れて、それっきり出てこなくなって、ツヨソウは怒ると本気で噛み付くんだ。引きずりまわすんだ。まだ何にも知らないチビでも容赦しないんだ。みんなツヨソウを恐がっているみたいだし、、、、タイガーさんは何か食べたんですか。

 おっ、オレか、うん、オレも、キノウから、まだ何にも食っていないんだ。

 そうなんですか、それは、大変だ。これからなんか食べ物を探してきます。もし見つかったら呼びに来ます。そうだ、ツヨソウのところへ行けば、、、、

 


 五部に続く









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