老人と猫(三部)

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          はだい悠



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そこで、こう考えるのは当然じゃないでしょうか。もしそんなわずらわしい操作をしなくても、希望するあいだはずっと、できるなら半永久的にくり返し聞くことが出来たら、どんにすばらしいだろうかってね。そうなれば操作に煩わされたり、この決められた時間内に聞き取らなければいけないと自分にプレッシャーをかけて、変に焦ったり緊張したりすることもなくなるので、安心してリラックスして聞けるようになるはずです。そのことは同時にまた、聞こえてくる英語に対しても、本当に無理なく自然に集中できるということですから、落ちついて英語の作り出す雰囲気に身も心もゆだねることが出来るようになり、効果が比べ物にならないくらいあがることは絶対に間違いないことでしょうね。
そこなんですよ。今村さんにお願いしたいのは。あなたの会社にぜひこのような装置を作ってもらいたいんですよ。文は長くてもせいぜい四、五秒ですから、その四、五秒のあいだ、ほうっておいても半永久的に繰り返されるような装置をですね。そんなに難しいことはないと思いますよ。あなたのような専門家にとっては。もしそれが実現すれば、これからどんなに効率よく勉強することができるようになることか。わたしが試みている方法にとって、それは完璧な装置ですよ。まさに鬼に金棒でしょうね。
ところでこのことは私だけのことではなく、すべての人々に当てはまると思います。もし、この装置が売り出されたら間違いなく日本の英語教育に貢献するでしょうし、間違いなくヒット商品になるでしょうね。いや、これは何も日本の英語教育に限ったことじゃないでしょう。すべての国のすべての言語に当てはまることだと思います。ですから間違いなく世界的大ヒット商品になるでしょうね。
そうなれば、あなたの会社はどんどん発展するでしょうし、もう、あなただってそれはもう、、、、それにあれですよね。アイディアにも知的所有権とかいうものが発生するんでしょう。そうすれば家族はなんと思うでしょうか、もうわたしに今までのような態度は取れないでしょうね。」
「ちょっと良いでしょう。青野さんのお話しは、なんか魔法の話しを聞いているような、そんな気がするのです。わたしには、あなたが試みている方法がそんなに良い方法だとはどうしても思えないのですが。やはり英語を話す外国の人とじかに接して学ぶ方法がすぐれているように見えるのですが。」
「いや、もっともです。前にも言いましたが、あなたのおっしゃるとおりです。返す言葉もありません。わたしのやっていることは、音声だけで、そしてその音声を通してのみ英語の作り出す雰囲気を感じながら英語の世界に入っていき、そして英語を身につけようとすることですが、今村さんが英会話教室でやっていることは、その音声だけじゃなく、実際の外国人の身振りや表情や態度から、微妙に変化する意思や感情を読み取りながらですね、それこそまさに具体的体験に裏付けられた言葉、生きた体験ですよね。
そうして英語が作り出す雰囲気を感じながら、英語の世界に入っていき、そして、英語を身につけようとすることですから。間違いなくあなたの方法はわたしの方法よりすぐれていると思います。上達も早いでしょう。それはたしかにそうなんですが、前にも少し触れましたが、これはあくまでもわたしのような人間、つまり、英会話を勉強したいが、表立ってするのはなにをいまさらって感じでなんとなく恥ずかしい、ましてや、どことなくコンプレックスを感じていて、外国人と面と向かって習うのは気後れするというか、とにかく嫌だという、そういう中年のためにだけ考え出されたような方法なのです。
ですから、もしお金が在って、外国人の前に出ても、冷静でいられる人は、あなたのように英語教室に行って学べば良いんですよ。わたしのような人間は老若男女を問わず、日本には数え切れないほどいると思います。ですから、もしあなたの会社によって開発された装置が世の中に売り出されて、わたしの勉強方法が知られるようになり、本当に効果があるということが噂にでも上るようなことになれば、彼らはきっといっせいに飛びつくでしょうね。それよりもですね、英会話教室に行くほどの大金もなく、従来通りの勉強を続けている中学生や高校生に、まず真っ先に使ってもらいたいですね。そうすれば、これらをあわせた需要は相当な数になるでしょうね。」
「くり返し聞くことに本当に効果があるんでしょうか。」
「ありますよ、間違いなく。それよりも、今まで、どう見ても効率が良いとは思えないあの面倒くさいラジカセで、それもわずか十回ぐらい聞くだけで、大体聞き取れたんですから、それを新しい装置によって、十回どころか百回二百回と何の操作もすることなくくり返し聞くことが出来るようになれば、その効果はかなりのものになるでしょうね。おそらく、わたしのように頭の悪い人間でも、そこまで繰り返せばどんなに長い文でも間違いなく聞き取れるようになるでしょうね。
とにかく何の操作をすることもなく、くり返し聞けるということはとても良い事なんです。極端な話し、その間はべつに聞こうとしなくても良いんです、なにか他のことを考えていても良いんです。たとえば単語の意味や文法を確認したり、というのも、かえってそのほうが集中できるはずだからです。なぜなら他になにをしようが音声だけはずっと半永久的に流れていますから、いつでも聞けるという安心感からリラックスできますからね。そこでもし百回二百回といわず、千回二千回と聞いたらどうでしょう。そうなれば覚えられるだけじゃなく、英語のリズムが体の心までしみこむでしょうね。それこそもう身も心も外国人ですよね。それがわたしの狙いでもあるんですがね。あっ、そうそう、場合によってはわたしの方法が、あなたのように英会話教室に行くよりすぐれているかもしれませんよ。なぜなら、聞き取れないからといって先生に対してなんどもくり返し言ってくれるように頼めませんからね。とにかくわたしたちは日本人であろうが外国人であろうがみんな同じ人間です、そこまで同じ言葉をなんども聞けば判らないはずないんです、覚えられないはずはないんです。」
「判りました。では、なぜそんなに良い方法なのに今まで広まなかったんでしょう。」
「なぜ、なぜなんでしょうね、わたしにも、、、、でも、たぶん、英語に自信のある人たちが勘違いをしたからじゃないでしょうか。この場合は英語教育に携わっている人たちのことですが。つまり中学や高校の先生に始まり進学塾や大学の先生、さらにそういう先生たちを管理する地方や国の役人を含めたすべての人たちのことなんですがね。彼らはみんな学校で教科書を使って先生に教えられたから、それに自分たちも努力し真面目に一生懸命に勉強したから、それで英語が得意になり話せるようになったと思っている人たちなんですよね。中にはみんなより特別に頭がいいから英会話ができると思っている人もいるでしょうが。
でも、本当は違うんですよね。彼らの勘違いなんですよ。英語が得意だからテストの点数が良いとかいうのは、それは彼らが覚えることが好きで一生懸命勉強したからでしょうが、彼らが人並み以上に外国人と話せるようになったのは、本当は彼らが普通の人たちより、より多くの生きた英語体験を経験したおかげなんです。だも実際は、彼らは、自分たちの努力や頭のよさのおかげだけではなく、教育制度や先生のおかげでそうなっていると思っているのです。そのように彼らは英語教育に関しては、自信と自負心にあふれていますから、そのような自分を作った教育制度を疑うようなことはありえないでしょうね。ましてや自分たちの立場を危うくするような新しい方法なんて夢にも思いつかないでしょうね。そもそも本に書くことができるような内容を人に教えようなんて考えは傲慢ですよね。そんなものは自分で買って読めば済むことですから。
本に書くことができないようなことを教えるのが大切なんですから。いまの学校で間違った方法で英語を学ばせること、つまり、英語の生きた体験の少ない先生が、読んで聞かせたり、実際に英語を聞いたこともない生徒に読ませることは害悪以上のなにものでもないでしょうね。もしわたしの方法が有効だと認められれば、全国の何十万という英語教育に携わっている人たちは青ざめるでしょうね。それくらい革命的なことだと思いますよ。
では、その装置についてもう少し詳しく言いますと、普段は普通の再生装置と変わらないのですが、切り替えスイッチがあり、それをたとえばくり返しという方に切れかえると、そのときから、そうですね、区切りの良いところとか、一つの文は時間にして二、三秒から、四、五秒でしょうから、その部分がなんの操作も加えない限りは、半永久的に繰り返されるというわけです。そしてそのうちにもう充分にはっきりと聞き取れるようになったと思ったら、なにか先程のスイッチとは違う簡単なボタンみたいなものを手で触れると、次の部分に自動的に移って、ふたたび繰り返しが始まるというようなものなんです。ところでこんなネーミングはいかがでしょうか、千回君とか、オウム君とか、先生殺しなんて云うのも良いでしょうね。」

 おっと、こんなところで眠っている場合じゃないんだ。早く食い物を見つけない手。向こうから歩いてくるニンゲン、カイシャイン、オヤジ、おっ、あのオバサンなら鳴いて近寄って行けば何かくれそうだな。あっ、だめだ、後ろからショウガクセイがいっぱい来た。あいつらに捕まったらなにされるかわかんねえからなあ。しょうがないハヤシに行こう。走ろう。うるさいやつらだ。やっぱりハヤシは良いなあ。静かで、でも食い物がないからなあ。おいおいそこの茂みに隠れているのは誰なんだ。なんだ、オトナシイとウレイじゃないか。そんな所でなにしているんだい。

 うるさい、あっちに行って、お願いだからこっちに来ないで。

 どうしたんだなにをそんなに怖がっているんだ、ウレイは、

 ウレイの生まれたばかりの子供がみんないなくなったんだよ。後に変な匂いを残してさ、ああ、気持が悪い、嫌だいやだ、怖い怖い。

 変な匂いって、

 もう良いから、あっちへ行ってよ。わたしたちは隠れていたいんだから。

 いったいどうしたっていうんだよ。ウレイとオトナシイは、なにをあんなに怖がっているんだろう。やけにカラスが集まっているな。なにをあんなに騒いでいるんだろう。


「カァー、カァー、カァー、カァー」
「ピーポー、ピーポー、ピーホー、ピーポー」

 こんどはニンゲンがいっぱい集まって何かをしているぞ。

「ねえ、聞いた。猫の子が、脚をきられた猫の子が、血だらけで、袋に入れられて、ゴミ箱から発見されたんだって。怖いわねえ。」
「まあ、可愛そうに、いったい誰がそんなことを。それで、死んじゃったの。」
「いや、まだ生きていたみたいなの。」
「ああ、それでさっき、急いで病院に連れて行ったのね。何かと思ったわ。」
「みなさんのなかに、みなさんのなかに、子猫が捨てられたところを見た人はいませんか。いませんか。ご協力お願いします。」
「わたしたちは今来たばかりだからねえ。」
「ねえ、マスコミが来てるわよ。早いわねえ。どこのテレビ局かしら。何か聞かれるかもしれないねえ。」

 食い物はないけど、このハヤシのなかを歩いていこう。なんか落ちてないかなあ。なんか食いてえなあ。

「バサ、バサ、バサ、バサ。」

 このう、なにをしやがるんだ。危ないじゃないか。カラスの野郎。

 めざわりなんだよ、ネコめ。あんまりこの辺うろつくんじゃないよ。

 かってだろう。おい、降りて来い、やるならやろうじゃないか。

 まあ、そういきがるなって。とにかく早く離れたほうが身のためだぞ。

 ふん、えらそうに何様だと思ってんだ。あっ、そうか、てぇことはだ、この辺に食い物を隠してあるってことか。当たりだろう。見そこなうな。オレたちは、お前らみたいに横取りまでして食おうとは思っていないよ。お前らは本当に卑しいからな。お前ら、人間に嫌われているの知っているか。ごみを食い散らかしてさ。お前らのためにこっちは本当に迷惑してるんだ。

 なにを言うか、お前らネコもおんなじじゃないか。

 お前らカラスほどひどくはないさ。なにせお前らはやりたい放題だからな。ニンゲンが言ってたぞ。カラスが一番悪いって。早くどうにかしなければって。判るか、それがどういう意味か。

 なまいき言うな。人間に食い物をもらうような、お前らだめネコに、そんなこといえるのか。だめネコめ。

 なんだと、やろうてんのか。

 ほお、どうしようてんだ。お前、飛べるのか、さあ、飛んでみい。ネコも人間も同じようなもんだよ。地面をはいつくばってさ、いったい何をやろうといてるんだか。

 はいつくばってんじゃないよ。歩いてんだよ。走ってんだよ。満足に歩けもしないくせに。お前らの不格好な歩き方といったら、笑いもんだな。おい、降りてきて歩いてみい。

 おっと、その手に乗るか。降りたとたんに飛び掛ってくるんだろう。こっちもそう簡単にはやられはしないけどな。断っておくが、オレたちには仲間がいっぱい居るからその気になれば、お前ら猫はひとたまりもないぞ。お前らは本当に油断のならない怪しいやつらだからなだな。お前らが、オレたちの子供を狙ったことは決して忘れないぞ。

 お前らこそ怪しいもんだよ。ウレイの子供が居なくなったのはお前らがやったんだろう。卑しいカラスめ。

 やってないよ。でも仮にそうだったとしても、オレたちは何にも悪くはない。悪いのはすぐ見つかるようなところに子供を生んでお前らの仲間が悪いんだ。だめネコめ。

 この悪党め、お前らは人間にやられちまえば良いんだ。

 ニンゲン、ニンゲンって、お前らはそんなにニンゲンが好きなのか。お前らは本当にバカネコだな。お前らは何にもしらねえんだな。

 また、えらそうに。じゃあ、お前らはいったい何を知ってんだよ。言ってみろ。

 ふん、お前らばかネコに言ったってしょうがないよ。でもおれたちカラスは、お前らのように人間は信じない。判るか。もう良い、あっちへ行け。この辺うろうろされると本当に困るんだよ、ばかネコよ。

 うるせえ、言われなくても行くよ。誰がこんな所を、良いか、今度脅かしたらただじゃおかねえからな。    ふん、臆病者のカラスめ、たいしたことないな。


「キーン、コーン、カーン、キーン、コーン、カーン。」

 ああ、暗くなってきた。今日はもうだめかな、なにか食いたいなあ。
 良い匂いだ。なんて良い匂いなんだ。たまらない、でも、あの人間たちは、いくら待っても何にもくれないからなあ。


「いらっしゃいませ、焼きそばはいかがですか。いらっしゃいませ、いらっしゃいませ。どうもありがとうございました。」

 そうだ、あそこに行こう、あそこに行けばきっと、、、、
 ハシを渡ってと。走って渡ろう。おっと、これは食い物じゃないや。走れ、走れ。さあ、ドーロだ。クルマは、クルマはと。よしいまだ、走って渡ろう。
 ふう、路地だ。人間はと。居ないな。確かここだったな、安心して歩いていたらいきなり蹴飛ばされたのは。だいじょうぶだと思っていたのにな。確か光る靴のカイシャインだったな。あの時は痛かったなあ。今でもときどき痛むんだ。気をつけないとな。あっ、ニンゲンが来る。だいじょうぶかな、なんとなく嫌な感じだ。あっ、そうだ、ヘイをいこう。よいしょっと、ヘイを歩いて、ヘイを歩いてっと。なんだよ、見るなよ。だいじょうぶみたいだな。あっ、そうだ、ちょっと近道だから、ヤネを歩いていこう。よいしょっと。ヤネを歩いて、ヤネを歩いてっと。よいしょっと。また、ヘイを歩いてっと。
くらくなってきたな、気をつけないとな


「カチン、カチン、コロ、コロ、コロ。」
「おっ、惜しい、今度はどうだ。」
「カチン、カチン、コロ、コロ、コロ。」
「あっ、惜しいなあ、もうちょっとだったのに、なかなか当たらないなあ。ほおら。」
「カチン、カチン、コロ、コロ、コロ。」
「ああ、まただめだ、ちくしょう。」

 なにやってんだ。ゴウゴウとするドーロに居るチュウガクセイたちは。下に石を投げているんだな。なにが居るのかな。あっ、ネコだ。小さいネコだ。それにしてもチビだな。どうして逃げないんだろう。周りは、ヘイと、トビラと、イシガキか。あのチビにはちょっと高いかな。どうしてあの大きなイシに隠れないんだろう。さあ、早くこのヘイを渡ろう。見つかったら、今度はこっちがやられるぞ。
 いない、チュウガクセイがいない、もうだいじょうぶだ。あのチビあそこで何やってるんだろう。まあ、降りてみるか。よいしょっと。ほんとうにチビだな。何もたもたしてんだろう。ふう、どうだ。なんだ、こいつ、オレを無視してやがる。小さいくせに。おい、ちび、ここで何やってんだ。

 なにって、なにって、なあに。

 こいつ、どこ見てんだ。オレはトラって言うんだけど、お前ここで何やってんだ。

 わからない、わからない、トラは。

 なんだ、こいつ変なやつだな。他に仲間はいないのか。

 いたんだけど、いなくなっちゃった。どこへ行ったのか、わからない。

 なあ、チビ、お前ちょっとぐらい挨拶したらどうだ。

 アイサツってなあに

   アイサツっていうのはだな、こうやって、うっ、なっ、なんだお前、お前はオレが見えないのか。そうか、そうだったのか。見えないんじゃな、それじゃここから出られるわけないよな。おい、いつからここにいるんだ。

 わからない、なんにもわからない。

 お前ずいぶんやせているな、なんにも食ってないんじゃないの。

 ちゃんと食ってるさ、変な事言うなよ。

 そうかい、そうかい、わかったよ。お前チビの癖になかなかだな。それじゃまたな。
 よいしょっと、あいつもう少し大きければここに上がれて外に出られるのな。
 あっ、路地だ。良い匂い、良い匂い。ニンゲンがいっぱいいる。ここはだいじょうぶだな。降りて下を歩こう。よいしょっと。
 あかるいな、あかるいな。オバサン、オジサン、小さいスカート、大きなスカート。おっ、ジテンシャ、危ないな、なんだこのオヤジは。ここだここだ。おや、どうしたんだろう、どうしたんだろう。くらいなあ、くらいなあ。いないのかなあ、いないのかなあ。


「あら、久しぶり。やっぱりトラちゃんだったのね。あまりにも寂しい声で鳴いているので、てっきり誰かと思ったわ。そうなの、昨日引っ越したばかりなの。あと一日早かったら会えたのにね。いっしょに連れてってもらえばよかったのに。ねえ、元気だった。あら、やせた見たいね。お腹すいているのかしら。ちょっと待ってね。さあ、こっちにはいってきて食べなさい。まあ、やっぱりお腹がすいていたのね。」
「こんにちは、、、、あら、どこのネコ。」
「はい、いらっしゃい。お隣さんが、、、、この辺にすんでいる野良みたいなんだけど、お隣の娘さんがほんとうにかわいがっていて、よくあまり物をもらって食べていたわよね。でも、昨日引っ越したでしょう、知らなかったわよね、トラちゃん。」
「あっ、そうなの。商売のほうはうまく行ってたのかしら、お隣さん。」
「いってたんじゃない、少なくとも内よりはね。」
「それでどこへいったの。今日はこれとこれちょうだい。」
「なんかクニのほうで良い仕事が見つかったって言ってたわ。もう一度家族四人で力をあわせて頑張るんだって、張り切っていたわ。」
「あれ見た、あれここの公園でしょう。ネコが脚を切られて捨てられていたっていうのは。ひどいわねえ。」
「そうなの、怖いわねえ。いまもやっていたわよ。かわいそうに。どんな人がやったのかしら。トラちゃんも気をつけてよ。またニュースでやっているわ。ねえ、トラちゃん、テレビ見て、あのネコ知らない。まあ、かわいそうに。」

 あっ、カワイイだ。ニンゲンに一番可愛がられていたカワイイがどうして。

「でも、良かったわよ。いま、殺到しているんだって、飼い主になりたいって言う人が。」
「そうみたいね。ほんとうによかったわね。ありがとうございました。さあ、どんどん食べなさい、遠慮しなくていいのよ。これからもお腹がすいたときにはいつでも来るのよ。いらっしゃいませ。」

どこか静かなところで休もう。ここが良い、ここのドアなんだよなあ。あかないかなあ、どうしてあかないんだろう。ああ、眠い。白いアシ、やわらかいテ、暖かいヒザ、ああ、眠い、、、

 
「ギギィーギィー、ゴト、ゴト。」

 あっ、なんだ、違うのか。いないんだ、やっぱりいないんだ。クニ、カゾク、ガンバル。ああ、気持が悪い。食いすぎたな。草でもくわないとな。そうだ、コウエンに戻ろう。ああ、気持が悪い。人間のいないところを行こう。暗いなあ。暗いなあ。静かだなあ、静かだなあ。よいしょっと、ああ、邪魔だなあ、なんだこの箱は。よいしょっと。あれ、なんだあいつは、ブチデブではないか。隠れるようにしてじっとしている。よいしょっと。

「トン、トン、ドサ。」

 わあ、なんだ、びっくりしたなもう。なんだトラじゃないか、びっくりさせるなよ。

 なあに、いつものことじゃないか、どうしたってんだよ。

 いや、まあな。

 こんな薄暗いとこで何やってんだ。なんか良い食い物でもあるのか、それとも毛のふさふさしたメスネコでも待っているのか。

 違うよ、なんでもないよ。お前こそ何やってんだ。

 これからコウエンに戻るところだ。どうだい、お前んとこの仲間は、どうしてる。

 うん、まあまあだ。トラ、お前まだ何にも知らないのか。

 なんのことだ。

 すごい、すごいやつがうろうろしているんだ。なんかケンキュウジョの裏のゴミ箱のような匂いのするやつだそうだ。犬のように大きくて、ものすごく強くて、ネコの子まで食っちまうんだそうだ。

 お前、そいつを見たのか。

 いや、まだ見てない。もう怖くい怖くて。みんなもうどっかに行ってしまっていないんだ。お前んとこにはまだ来てないのか。

 どうなんだろう、わからない。あっ、コウエンにどうだ、お前も一緒に来るか。ブチデブ。

 オレは、、、、オレはこっちに行く。しばらくどこかに行こうと思っているんだ。トラ、お前たちも気をつけろよ。

 うん、わかった。    そんなにすごい奴がいるのか。ああ、気持が悪い、早く草を食べないとな。

 わあ、びっくりしたなもう。なんだイヌじゃないか。いきなり出て来て脅かすなよ。くるなよ、それ以上こっちに来るなよ。

 そう怒こるなって。お前たちネコはすぐそうして怒こる。お前たちネコはほんとうにいいよなあ。たとえ周りにニンゲンがいても、怒りたいときには怒り、鳴きたいときには鳴き、喧嘩をしたいときには喧嘩をして、まったくやりたいほうだいだもんな。オレたちにはそんなニンゲンに迷惑をかけるよすなことは恐れ多くてとてもできやしないよ。それだけじゃない、お前たちは気分に任せてニンゲンをにらみつけたり、ときにはひっかいたりするんだからな。もしオレたちがそんなことをしてみろ、たちまちホケンジョだぞ。

 なんだよ、そのホケンジョっていうのは。

 うん、いや、オレにもよくわからないんだ。でも、とっても怖いとこみたいだ。よくニンゲンが、オレたちを見ながらホケンジョ、ホケンジョって言うんだが、そのときのニンゲンって、とても冷たくて怖くって、体ががくがく震えるくらいなんだ。お前たちはそんなことはないだろう。だからだオレたちは普段からニンゲンの気に障ることがないようにって、すごく注意して動きまわっているんだ。たとえば、オレたちイヌは、決してニンゲンに噛み付いたり、たてついたりしません、ほんとうはおとなしくて可愛いんです、というような顔をしてさ、ちょっと怖そうなニンゲンとすれ違うときなんか、けっこう気を使うんだぞ。何もないのに地面などかぐまねなどしてさ。なるべく目立たないように目立たないようにしてるんだぞ。そうでなくてもオレたちは体が大きくて目に付くんだからな。ぞに比べてお前たちはニンゲンがいようがいまいが、平気でヤネにあがったりヘイを歩いたり、ニワに入ったり、小さくてすばしっこいことを良い事に、高いところでも狭いところでも自由自在に動きまわって、逃げたり隠れたりほんとうにうらやましいよ。

 そうかい、お前たちはそんなにおとなしいのか。ウサギがいっぱい死んだのは、お前たちがやったんではないのか。

 なんてこと言うんだ、オレたちがそんなことやるわけないだろう。

 いくらウサギがショウガクセイに可愛がられているからってさ、なにも、、、

 オレたちじゃないよ。あれはニンゲンに飼われているイヌがやったんだよ。だいいち、オレたちがカギを開けられるわけないだろう。何を言ってるんだよ。

 そうか、わかったよ、わかったよ。そうむきになるな。   
 そうか、お前たちイヌは、オレたち猫より体が大きいから良い事ばかりあるんじゃなかったのか。そうか、それほど自由じゃなかったのか。そうだろうな、そんなものつけられているからな。

 あっ、これか、これはクビワっていうんだ。でも、これも役に立つときが在るんだよ。これをつけているとなぜかニンゲンは、これがないイヌよりやさしくしてくれるんだよ。飼われていたときのようにね。

 そうか、お前はニンゲンに飼われていたのか。今度カワイイもニンゲンに飼われるみたいだな。なあ、イヌよ。飼われるってそんなに良いのか。

 うっ、いや、わからない、もう忘れたよ。

 それでなんで捨てられたんだ。

 いや、オレは捨てられたんじゃないよ。

 飼われたり、捨てられたり。食い物をくれるのはニンゲン、ネコのアシを切るのもニンゲン、ニンゲンって一体なんなんだ。良い奴なのか悪い奴なのか。なあ、イヌよ、お前ニンゲンのことどう思う、好きか嫌いか。

 いや、ちょっと待って、オレはニンゲンのこと考えたことないんだ。

 そうか、じゃあなあ。    ああ、もう気持は悪くないや。草は食わんでもいいか。いつものようにあのモノオキでひと休みでもしようっと。

「タツ、タッ、タッ、タッ、バタ、バタ、バタ、バタ、バタ。」
「おい、林に入るぞ。リョウ早くしろ。木か茂みに隠れるぞ。おい、トシ、待て、小屋がある。あそこに隠れよう。ようし、誰にも見られなかったぞ。確かこの辺だよな、テレビに映っていたのは。」
「そうだそうだ。あのゴミ箱だ。あのゴミ箱に足を切られたネコが捨てられていたんだ。ケイ、もしかしたらこの辺に血だらけの足が落ちているかもしれないぞ。」
「おっ、なんだこの動いてる奴は。」
「わあ、おどかすなよ、ケイ。」
「それにしてもすげえことやるなあ、誰だよいったい。なんで切ったんだろう。ナイフかな、ハサミかな。」
「良いもの持ってきたぞ。缶ビールだ。」
「プシュウ」
「あっ、うっ、うっ、おい、リョウ、お前も飲め。」
「うつ、うっねああ、にげえなあ。」
「なんだ、お前は初めてなのか。」
「リョウ、オレにも飲ませろ。あっ、あっ、ふう、喉が乾いていたからうめえやあ。」
「お前ら、ナイフ持ってきたろうな。なにが起こるかわかんねえからな。そのときには、やられる前にやっちまうんだ。」
「あっ、なんか顔がボォッとしてきた。体も熱くなってきたぞ。」
「オレもだ。なんか気持ちよくなってきたぞ。」
「あした、テストがあるんだって。」
「いやな事言うなよ。どうせ勉強したってかわんねえんだから。」
「うだそうだ。担任なんか、オレができないのは当たり前だと思ってんだから。お前なんか勉強できなくたって良いんだって云うような顔してさ。そうだよ、出来ないよ、オレたちは出来ないさ。良いこでもないよ、優等生でもないよ。いまさら良いこでなくたって良いよ。優等生じゃなくたって良いよ。その通りだよ。出来ない子だよ。駄目な子だよ。なんか文句があっかよ。それならいっそうのことほんとうに悪い子になってやろうじゃないか。悪いことやってやろうじゃないか。なあ、みんなもそう思うだろう。さあ、オレたちは今日から悪いやつだ。悪いことやってやろうじゃないか。」
「おい、誰か来るぞ。静かにしろ。おまわりだ。」
「二人で警戒してんだな、あんな事件が在ったからな。」
「見ろよ、ピストルもってるぜ。本物のピストルだぜ。触ってみたいな。」
「取っちゃおうか、襲ってさ。こっちは三人だぜ。ナイフも在るしさ。」
「ナイフがあったってだめだよ。奴らは柔道やってるから強いぜ。」
「後ろからいきなり棒かなんかで殴ったら。」
「棒か、、、、ここはなんだ、物置か、、、、」
「わあ、びっくりした。」
「なにやってんだよ、大きな声出して、聞こえたらどうするんだよ。」
「何かないかなと思って探していたら、ネコがいた。びっくりさせやがって。良い物があった、棒だ、二本ある。ほら、これで後ろから、、、、」
「おい、危ないよ。こんなところで降りまわすなよ。」
「おっ、やるか、こい。やあ、なんか、ぱあっと、暴れたい気分だな。」
「静かにしろ。なんだあれは。ほら、池のほう、気持悪いなあ。」
「なんだ、行きそうなババアじゃないか。脅かすなよ。」
「なんで、あんな所よろよろと歩いてんだよ。池に落ちて死んじまうぞ。」
「おい、こっちこつち、男と女が来るぞ。」
「オヤジがずいぶん若い女をつれてるな。林に入ってきたぞ。なにをやろうてんだ。襲っちゃおうか。」
「やっちゃおか。よし、オレとリョウは後ろから棒でオヤジを襲うから、トシは女をナイフで脅かせ、騒がれないようにな。よし、行くぞ。」
「クソオヤジ待ってろ。」
「ザブン、、、、」
「な、なんだ、いまの音は。」
「ババァか、ババァが落ちたのか。」
「いないぞ、やっぱり落ちたんだ。」
「行ってみるか、、、、くそう、ババァなんか死ねば良いんだ。」
「くそったれ。」
「あっ、やっぱり落ちてる。おい、トシ、お前、飛び込め、元水泳部。」
「ザブン、、、、」
「つかまえて、手を伸ばして、リョウ、お前も引っ張れよ。よし、上げろ。ヨイショ、ヨイショ。ああ、重いな、ヨイショ、ヨイショ。ああ、やっとあがった。ふう。」
「おい、そこで何やってんだ。」
「あっ、おまわりさん、池に落ちたおばあさんを助けたんです。」
「ええ、そうか、それで、だいじょうぶかおばあさんは。」
「たぶん、だいじょうぶだと思います。」
「よくやった。よくやった。まずは救急車だ。それから本署へ連絡だ。」
「ところで、みんなは中学生。」
「はい、そうです。」
「こんなところで何をやってたんだ。」
「はい、偶然通りかかったんです。そしたら、ザブンと音がして、走ってきてみたら、おばあさんが池に落ちていたんです。」
「とりあえず、住所と名前を教えてくれないか。」
「風邪を引くとたいへんだし、なんか変な匂いもするから、すぐ着替えたほうが良いね。」
「ピーポー、ピーポー、ピーポー」

ほんとうにニンゲンってうるさいな。ゆっくり休ませてくれよ。もうだいじょうぶだろうな。ああ、また眠くなってきた。ここ、ベンチの下で眠ろう。

「チュン、チュン、チュン、クッ、クッ、クッ、チッ、チッ、チッ、」
「今朝は久しぶりに当たりだったな。みんなが動き出す前に集めてきたんだ。ほら、酒だ。半分はあるぞ。ビールも一本はあるぞ。まあ、飲めよ。」
「すもねえな、いつもいつも、ありがたいよ。」
「まあ、良いってことよ。」


四部に続く











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